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37度2分

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歩くたびにじわりと滲んでくる汗が心地好い季節だ。額から頬へと伝い降りてくる汗の雫を仙蔵はむき出しの手の甲で乱暴に拭った。そのままの流れで編み笠を軽く持ち上げて天を仰いでみると、空の中央まで昇り切った太陽が目を刺さんばかりに日差しを振りまいている。痛いほどの眩しさに思わず双眸を細め笠を深く被りなおした。
眼前には緩やかに波打った街道が続いている。人通りも多いのだろう、砂利もなく歩きやすい道だが、その脇に目をやると雑草が好き勝手に生え伸びていた。どれも背丈は低い。くるぶしほどの高さだ。丈の伸びるやぶ草などは、虫の寝床になるのを嫌った者にでも駆除されたのかもしれない。
歩を緩めることなく仙蔵は進んでいく。今日は再会の日だ。落ち合う場を、ここと具体的に決めていたわけではないが、恐らくは会えるだろう。相手もまた、同じ道を歩いてやってきたに違いないのだから、このまま道なりに歩けば、手頃な場所で腰を落ち着けているだろう懐かしい姿に会えるはずだ。
再会の相手、潮江文次郎と顔をあわせるのは、かれこれ二十年ぶりだった。
彼とは同窓の仲であり、また、学園で過ごした六年の月日、ひとつの部屋で生活し、枕を並べて眠った仲でもある。とは言っても、仙蔵は取り立てて文次郎と親しかった記憶はない。同級生として、同室の者として、適切、あるいは適当な関係ではあったが、それ以上でも以下でもなかった。
それでも二人は、六年の月日をそれなりに上手く過ごしたと思う。幼い年頃の子供が集まれば喧嘩のひとつも起きようものを、けれど二人は、ただの一度も諍いなど起こさなかった。他愛もない軽口の応酬や憎まれ口を叩くことはあっても、本気で争ったことは一回もない。
不思議な縁だと仙蔵は思う。
先ほどよりも熱気が増した気がした。汗の粒がつうと背中を流れ落ちていく。額に滲むだけでは飽き足らないらしい。これまでに随分な距離を歩いてきたはずだ。土埃や流れる汗で臭ってはいないかと、腕を持ち上げ着物の袖を鼻先に寄せてすんと鼻を鳴らし嗅ぐが、その無意味さにもすぐに気付いた。忍びとして働いていたつい先日までならともかく、それを辞した今となっては、体臭など取り立てて気にする必要もない。
十の頃から忍びになるべく生きてきて、二十五年と幾日。身に染み付いた習性はそう簡単に抜けてはくれぬようだ。仙蔵も、そして、彼も。
おかしくなって仙蔵は喉を鳴らし笑った。仙蔵の行く先に、一軒の茶屋がある。軒先に椅子を出し、歩くに疲れた客が足を休める休憩所になっていた。遠目にも映える赤色の上に、腰を降ろし茶をすすっている中年男が一人。文次郎だ。
彼は驚くほどに気配を消し、周囲の空気に馴染んでいる。文次郎を探していた仙蔵でさえ、一瞬は見落としかけた。それは意識してのものではない。恐らく、習性だろう。仙蔵にも覚えがある。忍びの生業を辞したとしても、今更簡単に、ただの町人になどなれるわけがない。
「文次郎」
こちらはわざと気配を消して、文次郎の前に立つ。茶碗の底に残る温い茶を眺めていた文次郎の目が上を向き、仙蔵の顔を捉えた。
「……ああ、お前か」
「お前か、とはぞんざいな言いようだな。久方ぶりの再会だというのに」
「なら感動的に言えば良いのか?」
想像して、胃の辺りが食いすぎた後のように気持ち悪くなった。
「……遠慮する」
げんなりした顔で仙蔵は文次郎の隣へ腰を降ろした。軽口の応酬を気にしたふうもなく、文次郎は残りの茶を一息に飲み干している。その横顔をちらりと盗み見た。
目の下に色濃く浮かぶくまは相変わらずで、それ以外は随分と変わったように見える。人相は、変化のない一点を除けば随分と穏やかになっていた。学び舎で暮らしていた頃は、厳しい物言いと相俟っていかめしく思えていた表情が幾分和らいでいる。人も丸くなった、と仙蔵は思う。軽口にしても、以前、二十年前であれば、仙蔵は好んで使っていたけれど、文次郎はといえば、むしろそれに振り回され声を荒げる側であったはずだ。それが今では受け流し、それどころか自身も軽口で返してくる始末だ。
文次郎は丸くなった。穏やかになった。それが月日というものだろうか。文次郎の目尻には薄く皺が浮かんでいた。それが別れてから重ねた年月だ。
仙蔵は細く長く、息を吐いた。知らず気負っていた肩から力が抜ける。その変化に気付いたのか、文次郎がちらとこちらへ視線を寄越した。
「なんだ」
敢えて意図に気付かぬふりをして問うと、仙蔵の気付かぬふりまでを承知した顔で文次郎はぼやく。
「お前、老けたな」
 仙蔵の眉間に皺が寄る。対する文次郎は、仙蔵がぎろりとねめつけてもにやけた口元を晒すのみだ。これでは昔とまるで逆だった。食って掛かるのも馬鹿らしく、仙蔵は呆れたように大げさな溜め息をつくに留める。
「お前こそ老けただろう」
「そうか?」
「性格が捻じ曲がった」
昔はあんなに可愛かったのに、と肩を落とすと、お前に言われるとはと文次郎は声を上げて笑った。文次郎の双眸が細まり、目尻の皺も深まる。目頭から皺にかけてが一筆に描いたように繋がった。年を食った文次郎の笑い顔は、それだけを見れば随分と人の好い顔に見えた。笑うにあわせて揺れる髪が日差しを受けてきらりと一筋輝くのが目に入る。もしかしたら、白んできた髪もあるのかもしれない。それさえもますます文次郎の相貌を優しげに見せていた。
それは仙蔵の知る文次郎ではなかった。仙蔵が指を絡めたあの髪は黒々としていて、仙蔵を見つめたあの目は、もっと。
作品名:37度2分 作家名:385