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37度2分

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仙蔵は文次郎に抱かれたことがある。あれはまだ十三、いや、十四の頃だろうか。
それが初めての経験ではなかった。仙蔵も、文次郎も、授業の一環で、実技として済ませていた。誰かを抱くことも抱かれることも、とっくに経験済みだった。
だからそれはけして感慨深い思い出でもなく、甘い痛みを抱く記憶でもない。
どちらが先に言い出したのかは覚えていないけれど、授業の復習だった気もするし、ただの肉欲の昇華であったような気もする。一度抱かれ、二度抱かれ、数え切れないほど体を重ね、しかしそれで二人の関係性が変わりはしなかった。
同級生であり、同室者であり、それに肉体関係が加わっただけの曖昧な距離につける名前を、仙蔵は今でも持たない。友人と呼ぶほど親しくはなかった。恋人と呼ぶには遠すぎた。他人と呼ぶのはもっと違う気がした。
二人が体を重ねるのは決まって夜で、自分たちの部屋だった。誰の目も届かぬ場所で、どちらかが名を呼び、視線を交わし、それが合図だ。
仙蔵の指が文次郎の髪を絡め取り、文次郎の目が仙蔵の姿を捉え、確かな熱を混じり合わせる。月が昇り沈むまでの間ひたすら抱き合った。何度も、何度も。
けれど、そこに愛などなかった。
セックスとは愛を交わす行為などではなく、己の楽など求めていない。忍びの技のひとつに過ぎず、術にすぎず、手段でしかない。文次郎と交わす行為に意味などなく、暇潰しに過ぎなかった。学園を卒業し、互いに背を向けた日まで関係を続けたのも、単なる趣味だったのかもしれない。指を絡め見つめあい、肉欲を昇華出来るてっとり早い遊びのひとつ。お互いを選んだのも同室故の手軽さで、始まりにも意味はない。思い返せば思い返すほど、文次郎と仙蔵の間にあったものは、形を成さない曖昧なものばかりで、確かなものなど何もなかった。
「……――ったのか?」
「え?」
不意に耳を打った声に仙蔵は弾かれるように顔を上げた。思考に気をとられ、文次郎の言葉を聞き逃していた。
「お前も、終わったのか?」
聞き返した仙蔵に、文次郎は同じ言葉を繰り返す。終わったのか。
当たり前だろう、と仙蔵はまず思った。それから、文次郎にもまた複雑な想いがあるのかもしれない、と気付いた。仙蔵が数年前に感じたものを、文次郎は今感じているのかもしれない。
「……当たり前だろう。でなくば、こうして会いになど来られるものか」
けれど仙蔵が出来たのは、以前と変わらない、人を食った物言いだった。気遣ったところで、お前らしくないと言われるような気がする。結局、過去を引っ張り出して二十年前の自分をなぞるしか仙蔵には出来ない。
そうか、と文次郎は一人ごちた。下唇を少し噛んで、すぐにやめて、どこか遠くを見る目をしていた。隣で見ていた仙蔵も、続ける言葉がないので文次郎に倣い前の方へ視線をやる。茶屋から街道を挟んで向こう側は、不思議な景色だ。草原にも見えたし、季節外れの花が色とりどりに咲いているようにも見えたし、もやがかかる湿地にも見える。例え話ではない。仙蔵の目には実際にそう見えている。田植えされた水田だ、と思ったら、目を瞬かせた次の瞬間には松の大森林になっていたり、景色はころころと表情を変えた。文次郎の目には違う景色が映っているのだろうか。文次郎が生きた景色が。生まれ故郷の景色が、学園で過ごした景色が、仙蔵が知らない、文次郎が一人で生きた景色が。
並んでぼんやりと前を見る仙蔵の耳にさらさらと流れる川のせせらぎが聞こえる。振り返ると、茶屋の裏手に小川が見えた。さして広くはない、歩いて渡れそうな幅のものだ。今まで気付かなかったのが不思議だったが、今更不思議も何もないな、と思い直す。もう会うことはないだろうと思い別れた文次郎と、二十年の時を経て顔を会わせていることを思えば、この世にはこれ以上の不思議などない。
作品名:37度2分 作家名:385