未来への報償①
平古場は他人に何て興味が無いくせに、木手のことや部員のことは意外によく見ている。いや、興味が無い訳ではないのだろう。平古場は仲間だと認識した相手には、深入りこそしないが平古場なりに気にかけている。面倒見が悪い訳ではなかったし、人付き合いは上手い部類に入るだろう。だからこそ、平古場には絶えず彼女が出来るのかもしれなかった。
そこまで考えて、木手はより一層眉間に深く皺を刻んだ。妙に心が苛立つのは、下らない方向へと思考が移った所為だと己を無理やり納得させる。
木手は平古場の顔が見えない位置まで海の中へと入って行った。背中に視線は感じていたけれど、木手は気づかない振りをしたまま海を眺めた。
「嘘やっし」
「嘘ではありません」
振り返ることのない背中へと、平古場は声を投げつける。
「なら、何で溜め息ばっかり吐いてるんばぁよ」
「……それは、君が手のかかることばかりするからでしょう」
「わんの所為?」
平古場の声が、険のある一段と低い声に変わった。突き刺すような視線が背中へと向けられているのが分かったが、木手は決して振り返ることはしなかった。
「……やーがうじうじ悩んでるのは、わんのことじゃなくて、全国大会のことだろ?」
「はっ? 言っている意味が分かりませ……」
「違うとは言わせねぇからな!」
思わず振り向いた先には、厳しい表情の平古場が睨むように木手を見つめていた。平古場の言葉に、強い反発心を覚えて否定しようとしたが、平古場の覇気に思わず気おされて言葉尻りが弱くなった。そんな木手の言葉を遮って平古場は怒りを顕にする。
「やーが勝つことに拘っているのは知ってる。その為にどれだけ理不尽な特訓に耐えてきたかも……。けどな、何時までも負けた過去を引きずっててもしかたねぇだろ!」
「仕方、ない……?」
「そうだろうが! わったーが進む道の邪魔になるだけだ」
進むべき足を捕らえられてしまえば、進みたくても進むことが出来ない。目の前に、新しい道が見えるのに、その先に新しい戦いが待っているのに、捕われてその先に進めなくなる様な感情なら邪魔以外の何ものでもない。
「全国には強い奴らがいる。わったーはそいつらに今回は負けたけど、次は勝てばいい。今度こそ、誰にも負けないほど強くなればいい」
平古場の意志の強い瞳が暗闇でも輝いているのがわかった。「随分と簡単に言いますね」と木手は小さな声で言った。平古場が言ったように、負けないように強くなればいいだけだ。
けれど、木手の中には一つだけ迷いがあった。
理不尽な特訓を耐えてきたことも、卑怯な手で試合に勝つことも、対戦相手を脅すことも、全ては試合に勝つための手段だった。他人を蹴落とし、傷付けることも厭わなかった。勝つためなら何だってしてきた。
勝つために。
その免罪符にも似た言葉だけを頼りに、ずっと前だけを見て走り続けてきた。目標を叶えるための手段を間違っていると思ったことなんてなかった。それが、比嘉中の木手の信念だと疑ったことなどなかった。
けれど、全国大会で敗北した。悔しかったけれど、平古場が言ったように次に勝てばいいとそう思っていた。今まで、残念なことだが、試合に負けたことが無かった訳でないから、次に繋がるようにと今回の反省点と改善点を考えていた時に、木手の脳裏に手塚の言葉が浮んだ。
――部員は望んでいるのか
馬鹿げた質問だと思った。侮辱されたような気さえした。ずっと過酷な特訓を耐え忍びそして乗り越え、全国大会まで共に戦ってきた仲間達の絆を否定するその言葉に怒りさえ覚えた。
木手は、ラフプレーを強制をしている自覚はあったし、その過程で部員を脅すようなこともしてきた。だが、最終的に決めるのは部員達自身だ。平古場が試合中に早乙女の指示を拒否したように、試合中は戦っている者の裁量で行動の有無は決まる。それが分かっているからこそ、木手は信頼していた。ただ言いなりになるだけじゃなく、それぞれの考えで行動しているはずだから。だからこそ、部員達の意思は、木手と同じ目標に向かっているのだと。
けれど、手塚の言葉に心が一瞬揺れたことも否定出来なかった。
全国大会での敗北。
木手にその言葉が重く圧し掛かる。今まで行ってきた血の滲むような努力や、過酷な特訓に耐えて来た日々、全国大会優勝という目標に向かって生まれた絆さえ否定された気がした。そして、手塚の言葉がその考えを後押しする。
違うと分かっているのに、頭の片隅にこびり付いて離れなかった。沖縄に帰ることが決まった日から、この先どんな風に部員達を導くべきなのかという迷いが生まれた。そんな幾つもの感情が、木手に溜め息を零させていた。
木手は、平古場の言葉を心の中で反芻した。「負けないように強くなればいい」そうする為に、どうすべきか、どう進むべきか、今の木手には答えが見えなかった。
こんなことは初めてで、木手は心に溜まった戸惑いを吐き出すように小さな溜め息を零した。