独伊
(…どうしよう、恐い)
ノブを握った指が引き攣れるようにびくりと跳ねた。
もし、本当にこの扉の向こうにあの子がいるのだとしたら。
(会えないよ、もう…おれ、あの頃のおれじゃないんだもん…)
背が伸びて、声は低くなり、むきむきではないけれど、れっきとした男の体になった。
それになにより、たくさんの時間の中で、おれはきっと変わってしまった。
昔を美しい、綺麗な思い出として憧憬という言葉で飾れてしまうおれは、きっともう君が愛してくれたおれじゃない。
(だって君はいつまでも綺麗なままじゃないか)
いくら君との思い出を守り続けたところで、おれが綺麗なままいられる筈も無い。
会えない。会いたい。
思いがぐちゃぐちゃになって、大きな声で叫んでしまいたいのに、喉は枯れて、息も上手く出来ない。
「苦しいよ…助けて…どいつ…」
切れ切れの息の合間から、思わず呟いた言葉。
聞き届けられる筈も無いその言葉に、返事があった。
「イタリア!どうした!?」
「ド…イツ…?」
突然視界に飛び込んできたのは、ドイツのしかめっ面。
いつもより、もっと眉根が寄って、恐い顔になっている。
「ドイツ、どうしたの…?」
「それはこっちのセリフだ!何があった!?」
「ヴェー…なんでもない、ちょっと、眩暈がしただけー。ドイツ、来てくれたんだー」
「あ、ああ…ハロウィンにうちでも少し菓子を作ったから、お裾分けにだな…」
そういえば、抱き寄せられたドイツの体からは、甘い砂糖とミルクの香りがする。
ふと見れば、開け放たれたドアの外には大きな籠が置き去りにされていた。
「ドイツが、ドアをノックしたの?」
「あ、ああ、そうだ…結局自分で開けて入ってきてしまったがな。ああ、勝手に入ってすまない」
「ううん、ありがと、ドイツ。おれのこと、心配して来てくれたんでしょう」
ドイツは本当に優しい。
きっとあの日、おれの態度が変だったのに気がついて様子を見に来てくれたんだ。
「ドイツ、ドイツ、おれ、ドイツのこと大好きだよ」
「いいから、少し黙っていろ。顔が真っ青だ」
「ドイツ、ハグして、ねぇ」
「ああ、わかったわかった」
ぎゅうっと抱きしめられて、暖かいドイツの体温に包まれる。
甘い匂いの中に、ドイツの匂いがしたから、思いっきり吸い込んだ。
ようやく、息が出来るようになった気がした。
「イタリア、もう大丈夫か?」
「まだ、もっとギュってしてて欲しいであります…」
「…体が冷えるぞ、とりあえず、中に入ろう」
「まだ、まだもう少しだけ」
「どうした、イタリア、少しおかしいぞ」
おれの背中をぽんぽんと軽く叩いてあやすようにしながらドイツが言った。
優しい、掌。優しいドイツ。
ドイツ、おれお前が好きだよ。大好きだよ。
来てくれてありがとう。今日、この時に来てくれてありがとう。
零れそうになった涙をきゅっと飲み込んで、精一杯、笑って見せた。
おれの気持ちがお前に伝わればいいな。
「…うん、もう、大丈夫。ありがと、ドイツ」
「いや、いいのか?」
「うん、中入って。一緒にお菓子食べよう。ドイツのお菓子楽しみだー」
「ああ…」
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「…菓子、減ってないんだな」
「うん、今日は来れなくなっちゃったみたい」
「そうか…残念だったな」
「うん、寂しかったけど…ドイツが来てくれたからもう全然平気だー」
「そうか」
薬缶に火をかけて、お茶の用意をしている間、ドイツと他愛も無い話をした。
それから一緒にお茶を飲んで、お菓子を食べて。
また話をした。
笑ったり、怒られたり、拗ねたり、茶化したり。
短い時間の間に、何百回も「好きだよ」って心の中で呟いた。
その度に、キャンバスに増える色は、かつての様に、透明な色じゃない。
きっと今おれが描いている絵は、かつての様に淡く、儚く、透明な光が遊ぶような綺麗な絵じゃない。
君はそれでも好きだと言ってくれるかな。
お前は、好きだと言ってくれるかな。
わからなくて、ずっと苦しい。
きっと、ずっとこの苦しさを抱えていくんだなあ。
それは多分、とても辛いことだけど、時々、泣きたくなる夜もあるけど、でも、おれ大丈夫かも。
「ドイツーおれ、お前のこと好きだよ」
「…何度も言わなくてもわかっている」
あはは、ドイツ、耳まで赤くなってる。
ごめん、怒らないでー
だって何度も言いたいんだよ。
いつも、いつでも、いつまでも
お前に大好きって言いたいんだ。
だから、ずっと一緒にいてね?
この世界の中で、お前と一緒にいたいんだよ。