AQUA
AQUA
雲の切れ間から光の梯子が穏やかに波打つ海面を照らしている。
その光の梯子を伝って、翼持つ者が降りてくるのではないかと思えるほどに美しい光景だった。
少し離れた岩肌の上に佇む人影……黄金聖闘士の乙女座のシャカ。彼は海に堕ちる光の筋を遠く眺めている。そして、その様をムウが静かに見つめていた。
【 AQUA 】
乙女座の黄金聖闘士シャカは幼き頃から物事を大きく捉え、先を見つめる者といった風にムウにはみえた。瑣末な事象は心に留めず、過程に囚われることなく、果たすべき使命は聖戦であると割り切っているように感じていたのだ。
先を見据える視点を持つ自分とは同質のようで、まったくの異質。
あらゆる可能性を計算し、緻密な分析をした上での「予測」を立てるムウに対して、シャカはまさしく、「視えている」といった感じだった。なぜ、「結果」に至るのかが彼自身には説明がつかないことも、ままあることなのだろう。
ムウとはまた違った視点の持ち主だが、脅威ともいえる力の持ち主として、ムウは尊敬もしていた。そして、久々に再会した同僚に対して、今はひどくムウの心はかき乱されてもいた。
傲慢な麗人はその類稀なる容姿と崇高なる魂でもって、ムウの心を惹きつけてやまなかった。だが、彼の奥深いところはまったくといってもいいほど謎に包まれていた。
少しでも理解できればと観察すること数日……。
瞑想に耽っているかと思えば、現在のように不意にあちこちの場所に出歩き、何かを「視つめて」いる姿がしばしば見受けられた。
何を思い、何を考え、その光の筋を見ているのだろうか。そんな風にムウはシャカの様子を伺っていたのだが、徐に海面に視線を落として岩肌に打ち寄せる波を見つめ始めたシャカを訝しんだ。
「まさか……飛び込む気じゃないでしょうね?」
断崖絶壁というわけではないが、それでもシャカが立つ岩肌から海面まで、結構な落差がある。それにここら一帯の海流は潮の流れが速いとかでとても危険なのだと、幼い頃に教わった覚えがあったのだ。
「あっ!」
ムウが考えているうちに、トンッと軽やかにシャカは跳躍し、綺麗な弧を描きながらパシャンッと海面へと姿を消したのだった。
ムウはシャカがいた場所に急いで瞬間移動すると、海面を覗き込んだ。すると沈んでいたシャカがザッと海面に現われた。とっくに彼はムウの存在に気付いていたらしく、上を見上げて僅かに笑っていた。
「―――きみもつくづく暇なようだな。ここに来るがいい。爽快だぞ?」
普段は閉じられている瞳を開けて、ムウを見ながら叫ぶシャカに、呆れながらもムウは言い返す。
「ここは―――危険だと聞いています。あなたこそ、サッサと上がってここに来なさい!」
シャカは海面にぷかぷかと浮きながら、気持ちよさそうに手足を動かしていた。
「それは子供の頃の話であろう。大の大人ならば、ましてや聖闘士ならば、まったく問題はない。君にも面白いものを見せてやろう」
「そうかもしれませんが……」
しばらくムウは考え込んだが、シャカがなんとなく自分を試しているようにも感じられたことと、並大抵のことでは問題はないだろうと判断し、身につけていた邪魔な装飾品を取り除いたのち、ムウは勢いよく海面へと飛び込んだ。
「―――ぶはっ!」
思い切り深く沈んだあと、再び海面に出て息を吸い込む。
こんなふうに海に入るということは久しぶりであった。
「随分、しょっぱいものですね」
「海だからな」
至極当然とばかりに小さく笑んだシャカへ言い返そうとしたムウだが、すかさずシャカはスウッ…と大きく息を吸い込むと海に潜っていった。仕方なく、ムウもシャカに倣って大きく息を吸うと、海中に潜ってみせた。
さすがに服を着たままでは泳ぎにくかったが、一面に広がる青の世界は普段目にすることのない美しいものだった。
それに、先行くシャカの姿は白い袈裟が海面から挿す陽光を反射して、淡い水色に輝きを放っていて、まるで尾びれを靡かせながら優雅に泳ぐ人魚のようにも見えた。
色とりどりの魚たちの群れを過ぎながら、深く潜っていくシャカを追う。どこまで泳ぐつもりなのだろうと思っていたところ、シャカのほうから小宇宙で話かけてきた。
『―――そこの岩孔を潜り抜ければ到着だ』
シャカは一方的に伝えると、羽衣のように袈裟を靡かせながら、その岩孔へと滑り込んでいった。
人ひとりがやっと通れるほどの狭い孔に注意深く進んでいくと、ようやく広い場所へと辿り着く。一筋の陽光に導かれるように上を見上げると、シャカは海面でゆらゆらと浮かんでいるらしく、背中だけが見えた。