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AQUA

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「……ふぁっ!」
「―――海中散歩はどうだったかね?」

 普段、高地で過ごしていることもあって、さほど苦痛ではなかった。それでもやはり空気は恋しいものだと思いながら、ちゃぷんと岩に波打つ音に耳を傾けつつ、ムウは笑った。

「そうですね。いい経験ができましたよ」
 青い潮の世界も、シャカが泳いでいる姿を見るのも、とても新鮮だったのは確かである。
「なら、うしろを見てみるがいい。きっと君の興味を引くものだろう」

 言われるがままにムウは振り返る。広さにしておおよそ10メートル四方の空間があった。岩の隙間から毀れる光が目の前に幻想的な空間を露にしている。

「すごい……」

 波を掻き分けながら進み、海面から上がり、ムウはぐるりと周囲を見回した。細部に渡って緻密な彫りが施された大理石の壁にはギリシャ神話をモチーフにしたようなものがあった。
その奥には巧みな技術を駆使して地上の光を導き、この海の洞窟まで届けられた光を受けて輝く美しい女神像がムウを見下ろしていた。潮に侵食されることもなく、これほど原型を留めているのは珍しいものだと我を忘れてムウは目を輝かせながら、女神像を入念に調べ始める。
 ぶつぶつと独り言を言いながら、あちこちの部位や壁などを探っていると、ふとシャカのことを思い出した。
 くるりと振り返り波打ち際を見ると、シャカは腕を枕にのんびりと横たわって目を瞑っていた。

「すみません。つい、夢中に……なって……?」

 どれだけ時間が経っていたのかはわからないが、こんなところで眠らなくても……と呆れたようにムウはシャカを見た。

「シャカ、起きなさい、濡れたまま眠ると身体が冷えます」
「―――もう、いいのかね?」

 うん……と気だるそうに起き上がったシャカは片膝を立てると、その膝頭に腕を乗せるような恰好をして額に手を宛がった。

「いえ、まだ途中ですが……」

 ぼんやりと光に照らし出された女神像のようにシャカの身体に仄かな光の粒子が纏わりついていた。うっすらと半眼に開いた瞳が妖しげに光り、ある種の衝動に駆られそうになるのを必死で押し留めた。

「―――如何した?」

 黙り込んだムウを訝しむように問うシャカに向かって苦笑する。

「いえ、何でもありません。ただ……あまり長くここにいるのは良くないような気がするのです」

 ざっと見た印象を述べると、シャカはふっと僅かに口端を歪めた。

「そうか。やはり、君も感じるのかね」

 そんなシャカの言葉に引っ掛かりを覚えて眉を顰めると、ムウは調べてわかったことを口にした。

「あの女神像は復讐の神、ではないのですか?」
「さぁて。私にはギリシャの偶像を愛でる目は持たぬのでわからぬが……発せられる邪気はその類のものであろうな」
「邪気、ですか」

 思わずぶるりと身を震わせたムウにシャカは頬杖をつきながら、フッと軽く笑んだ。

「己が復讐を果たすために、生贄を捧げ、祈る。そんな思念がここを満たしている」
「そんな物騒なところを何故あなたは知っていたんです?」
「君は何故だと思う?」

 すぅと半眼に伏せて流し見るシャカ。ひどく危険な思考に彼が憑りつかれているようなそんな危うさを秘めているようにもムウは感じた。

(―――まさか、誰かに復讐したいとでも思っているのだろうか?)

 ふと、そんな風に思わずにいられないほどの雰囲気を醸し出しているシャカに、ムウはゴクリと喉を鳴らした。

「わからないから……あなたに訊いているのです」

 干乾びたような声でそう告げるのがやっとだった。

「わからぬのなら、わからぬままでよいではないかね。何でもかんでも尋ねればよいというものではない。きみ自身が考えた上でそれが正しいかと問われれば、答えないわけでもないが。そろそろ私は戻る。今度は泳ぐ必要はないだろうから、きみは好きなだけ此処を調べて、好きな時に自力で戻りたまえ」

 そう云うが早いか、すっと姿を消したシャカに呆気に取られるムウである。

「あ、ちょっと!……ほんとうに、勝手な人だ」

 だったら泳がずとも、最初から瞬間移動してここに来ればよかったのではないか……とムウは思いながら、やはりシャカの思考はどこかズレていると、改めて思い知らされた気がした。
 そして、ムウは見た目には美しい女神像をもう一度眺め見たのち、小さく身を震わせると、己が宮へと意識を集中し白羊宮へと移動した。


作品名:AQUA 作家名:千珠