凛誕!
あのころ(凛遙)
岩鳶小学校の体育館では、白と青の体操服を着た六年生たちがドッジボールをしていた。
体育の授業が始まってから時間が結構経っていて、ほとんどの生徒が外野にいる。
内野にいるのは、遙と凛だけだ。
もちろん、ふたりは別々のチームのメンバーであり、現在いわば敵同士である。
遙の眼は自分と同じチームの者がいる外野に向けられた。
そこには幼なじみの真琴がいる。
真琴の手にはボールがある。
遙は真琴に眼で伝える。
ヤツを仕留めろ、と。
真琴はその遙の視線を受け止め、緊張の面持ちでうなずいた。
それから、ボールを投げる。
凛に向かって。
真琴は水泳だけでなく運動は全般的に得意だ。
しかし、優しくて、他人を傷つけるかもしれないことを恐れる。
ボールは勢いよく飛んでいったが、鋭くはなかった。
凛は自分のほうに飛んできたボールをしっかりと受け止めた。
その光景を遙は無表情のまま見ていた。
ある程度は予想していた展開である。失望したりはしない。
凛はボールを片手で持ち、身体ごと遙をふり返った。
「七瀬」
呼びかけてきた。
そして。
「俺とおまえの差、教えてやるよ」
そう言うと、ニヤッと笑った。
遙は表情を変えず、凛の挑発的な視線を受け止め、見返す。
「やれるものなら、やってみろ」
冷静な声で告げた。
すると、凛がまた笑った。実に楽しそうだ。
遙と凛は対峙する。
まわりから、それぞれのチームの応援する声が飛んできているのだが、それは、あまり耳に入ってこない。
おたがい相手の動きにのみ集中していた。
ふいに。
笛の音が鳴った。
遙はハッとする。
凛も同じような表情をしている。
「ハイ、そこまで!」
先生の声だ。
「これで終了です」
「えー!」
凛が声をあげた。
「まだ決着ついてない!」
「でも、もう時間だからね」
先生は体育館内の時計を指さした。
つられるように遙は時計を見た。たしかに、もうすぐ授業の終わる時刻である。
「えーっ、えーっ、えーっ」
だが、凛はまだ不満いっぱいな顔をして意味不明な声をあげている。
しかし、少しして、その表情が変わる。
「まあ、時間ならしょうがねーか」
気を取り直したらしい。
そのあと、先生の話を聞いたり、学習カードを書いたりして、いよいよ授業が終わる時刻の間近となった。
「じゃあ、片づけは」
「俺と七瀬がやります!」
先生の言葉の途中で、凛が勢いよく手を挙げ、主張した。
遙は凛を見る。なぜ、自分を巻きこむのか。非難する視線を向けてみたのだが、残念ながら、凛はこちらのほうを見ない。
結局、先生は凛の提案を受け入れ、片づけは遙と凛のふたりですることになった。
たいして片づける物がないからだろう。
クラスメイトたちが体育館から去っていく中、遙は授業で使ったホワイトボードを体育館の倉庫へ運んでいく。
凛はボールが何個も入ったボールカゴを押して移動中だ。
遙に対抗心があるのか、先を行っている。
やがて、倉庫に入った。
跳び箱などが置いてある。
先に倉庫に入っていた凛が遙のほうを向いた。
倉庫には自分たちしかいない。つまり、ふたりきりである。
いつもバカみたいに笑っている凛が、今は笑っていない。
凛は綺麗な顔立ちをしている。
それが笑うと、八重歯がのぞき、愛嬌が出る。
お調子者で、転校してきてそれほど経っていないのに、もう人気者になっている。
外見が良く、勉強もでき、そのうえ運動神経抜群だ。
バレンタインデイが近づいてきているが、当日、凛はチョコレートをたくさんもらうだろう。
「七瀬」
凛は笑わないまま声をかけてきた。
少し緊張しているように見える。
「日曜、スイミングクラブに来るよな?」
岩鳶小学校に転校してきた凛は、岩鳶スイミングクラブにも転入してきた。
遙はうなずく。
もちろん、日曜日はスイミングクラブに行くつもりである。
「あの、さ」
凛は妙に歯切れ悪くなった。
なんだろう、と遙は不審に思った。しかし、黙ったままでいる。
「日曜、俺の誕生日なんだ」
凛が告げた。
それを聞いて、遙は首を少しかしげた。
それから、口を開く。
「じゃあ、おまえはスイミングクラブを休むんだな」
「なんでだよ!?」
「誕生日会でもするつもりなんじゃないのか?」
「あ、えっと、まあ、家族が祝ってくれるらしいが、でも、それはスイミングクラブに行って帰ってからだ」
「そうか」
じゃあ、日曜日、凛はスイミングクラブに来るということか。
それなら、なぜ、日曜日が誕生日だと言ったのだろうか?
よくわからない。
そんな遙を凛は観察するようにじーっと見ている。
少しして、凛は言う。
「日曜日は俺の誕生日」
「それはさっき聞いた」
「覚えておけよ」
なんだかえらそうだ。そう遙は感じたが、それを口に出すまえに、凛が歩きだした。
凛は倉庫から出て行く。
結局なんだったのだろうか。
遙は小首をかしげて考えてみたものの、わからず、考えるのが面倒くさくなって、倉庫から出た。
日曜日。
スイミングクラブで遙は充分泳いだあと、シャワールームでシャワーを浴び、着替えをして更衣室から出た。
休憩室に向かう。
家が近所の真琴と合流するためだ。
遙はひとりで廊下を歩いていた。
「七瀬」
背後から声をかけられた。聞き覚えのある声。
遙は足を止め、ふり返った。
想像したとおり、そこには凛がいた。
なんだ、と遙は思い、しかしそれを口には出さず、眼で問いかけてみる。
凛は答えなかった。
なにも言わずに、遙の腕をつかんだ。
遙の腕をつかんで歩きだす。
「おい!」
さすがに遙は声をあげた。
けれども、凛は黙ったままでいる。
しばらくして、凛は立ち止まった。
人通りの少ない場所である。今いるのは、自分たちふたりだけだ。
凛は遙の腕を放した。
それから、遙のほうを向く。
向かい合って立つ形になる。
凛は笑っていない。
「今日はなんの日だ?」
そう問いかけられた。
遙は思いだした。覚えておけよ、と言われたことも。
「おまえの誕生日だろ」
なんだかえらそうで、かすかに苛立ちを感じたものの、遙は答えた。
すると、凛は言う。
「で?」
遙は戸惑った。
で、とは、なんだ?
凛はなにを言いたいのか?
考えて、答えを出した。
「誕生日おめでとう」
いつもの感情のこもらない声で淡々と言った。
「これでいいんだろう?」
そう問いかけてみたが、凛はうなずかない。笑わない。浮かない表情をしている。
「……プレゼントは?」
無理矢理喉から引きずり出したような声で、凛が聞いてきた。
遙は眼を丸くした。
だが、すぐに無表情にもどる。
「そんなもの、用意していない」
プレゼントを要求されるとは思ってもみなかった。
家族ではない。友達、ではあるのだろうが、それにしたって。
「じゃあ」
ふいに、凛が声をあげた。
さっきとは違う強い声。
その顔にあるのは、なにか決意したような表情。
視線がぶつかり合い、なぜか、遙はひるんでしまった。いつもだったら、決して、ひるまないのに。
その一瞬の隙を突くように、凛が動いた。
腕をつかまれた。
強い力で押された。
背中が壁にぶつかるのを感じた。
思わず眼を閉じ、すぐに開けた次の瞬間、唇になにかが触れたのを感じた。
えっ。
胸のうちで声をあげた。