デキちゃいました!?
シズちゃんの部屋から始発で新宿へ戻った俺は、帰宅すると同時に最悪の気分に襲われた。
シズちゃんの部屋を出たら次第に俺の身体からシズちゃんの匂いが消えて、雑踏に洗い流されていく。
そして自分の部屋に戻った頃には完全に消えていて、誰もいない部屋はいつもの事なのに急に淋しさなんてものを感じてしまった。
もう会わないと決めた癖に、身体がそれを嫌がるようだった。
…自覚したとたんに、身体は正直になった。
…そんな自分が気持ち悪い。
気分の悪さに少し休んだ後、何とか身体を起き上がらせる頃に波江が出勤してきた。
しばらくこの部屋には戻らない事と買い物を頼んで、俺はさっそく荷物を纏める事にした。
新羅が余計な事をシズちゃんに言わないうちに。
シズちゃんが野生の勘で何かを嗅ぎ付けないうちに。
早く新宿からも出た方がいいと思った。
しかし俺の誤算は、早くに新羅に話しておかなかった事だ。
この俺が、なんて言う失態だ。
「どうでも良いだろうが、ンな事はよォ…。何のための荷造りかって聞いてんだよ」
波江が帰ってきたのかと思ったのに、声は聞き慣れすぎたシズちゃんのものだった。
床に座り込んで旅行用の鞄に荷物を詰め込んでいた俺が見上げるシズちゃんは、いつも通りに酷く不機嫌な顔。
でもいつもと違うのは、寄りかかるドアやらそこらの机やらを武器にして暴れる様子がないと言う事。
新羅が何か言ったんだろうとは予想はするけど、早すぎる。
いや、俺が遅すぎたのか。
「……何で来たの、シズちゃん。俺、もう会わないってメールしたよねぇ?」
「…ンなの、手前の都合だろうが。俺が知るか」
シズちゃんの問い掛けに答えない俺に、またシズちゃんの顔に青筋が浮く。
そしてまた深い溜息を落としてその青筋を消す。
忙しないったらない。
「どこ行くつもりか知らねえが、どうせ新羅の世話になるんだろうが。無駄な事は止めとけ」
「何でシズちゃんにそんな事言われなきゃいけないの。シズちゃんには関係ないだろう?」
俺の身体の、俺の問題。
シズちゃんには関係ない。
責任だのなんだの、シズちゃんが気にする事もない。
きっと優しいシズちゃんは、嫌いな俺が相手でも気にしてしまうから。
知ってしまったのかは知らないけど、突き放すしか俺には出来ない。
するとまたシズちゃんの顔に青筋が浮く。
「……関係、ねえのかよ?」
「……………ないよ」
「…本当か? 俺に話があるんじゃねえのか」
「…新羅に何を聞いたか知らないけど、これは俺だけの問題。俺の身体の事なんだから、シズちゃんには関係ない」
「だから、手前の身体をそんな風にしたのは俺の責任だろうがよ」
…ああ、だから。
シズちゃんにそんな言葉を使って欲しくなかったんだ。
俺の責任でこうなった。責任があるからどうにかする。
責任だけで何かされるなんて真っ平だ。
シズちゃんに似合わない台詞に、吐き気がするよ。
シズちゃんにまた背を向けて荷造りの続きを始めたら、シズちゃんは今度は俺の正面に回って俺の手を掴み止める。
俺より大きいゴツゴツした手なのに、その指先は妙に滑らかで綺麗だ。
やけにその手が熱く感じる。
「…信じられる話じゃねえが、本当なんだろ? 堕ろす気ならさっさと新羅のところに行ってる筈だよなァ? なのに新羅のところにも行かねえで俺の前から姿消すって事は、産むつもりなんだろうが、手前は」
…嫌だな。
どうしてシズちゃんはこう言う時ばっかり勘が良いんだろう。
どうしてこう言う時ばっかり、頭が働くのかな。
…馬鹿の癖に。
「……気持ち悪いだろ…? 男の癖にさぁ…。…安心してよ、シズちゃんに責任取れだの何だの、詰まらない女みたいな事は言わないからさ。それにシズちゃんに養育費出せだの言ったって、無理だもんねぇ?」
「…悪かったな、稼ぎがなくてよ」
「俺が一人で育てるから、安心してよ」
「安心安心って、安心なんか出来るか、馬鹿が」
「でも…堕ろすなんて俺には出来ないよ」
「誰が堕ろせっつったんだ。産むなら俺の傍にいて産め」
「……………何、それ」
産めって言った? 今、この人。
「……だから…シズちゃんに責任とか感じて欲しくないんだよ」
「だから、責任とかじゃなくて産めっつってんだ。俺の子だろうが。俺にも育てさせろ」
「……だから…何、それ…」
「…どこまで馬鹿だ、手前。好きな奴に俺の子供が出来たんなら、普通そう言うモンだろうがよ」
…何言ってんの、この人。
ついに頭可笑しくなったんじゃないの。
ついでに俺の頭も可笑しくなったんじゃないのか…シズちゃんの言葉が、都合よく聞こえて、嬉しいなんて。
…どうしよう、涙が出る。
「……泣くな、馬鹿」
「……馬鹿って言うシズちゃんが馬鹿だ」
「俺は馬鹿でいい」
「…ホント、馬鹿」
「…おう」
事もあろうにシズちゃんの前で泣く事になるなんて。
恥ずかしくて悔しくて、また涙が出る。
その顔を隠したくてうつむこうとしたら、俺はシズちゃんに抱き締められてた。
…シズちゃんの匂いがする。
一人になってから続いていた吐き気なんか、いつの間にか消えていた。
作品名:デキちゃいました!? 作家名:瑞樹