デキちゃいました!?
新宿から臨也のマンションまで走り続けた後、俺はそのマンションの入口で動きを止めた。
新宿と言う都会のど真ん中の超が付くほどの高級マンションは、入口で部屋番号を押してインターフォンを鳴らすか、暗証番号を押さないとエントランスにすら入れない。
臨也の部屋の番号なんて覚えちゃいねえし、暗証番号なんて知るはずがない。
エントランスに入る自動扉か暗証番号を押すタッチパネルをぶち壊してやろうかと思ったが、さすがにマズイだろう。
警備会社の人間が駆けつけるシステムになってる事くらい、俺でも知ってる。
それに部屋番号を知っていた所で、俺だと確認した臨也が素直に扉を開けるとは思えなかった。
俺から逃げるつもりらしい臨也が、素直にそれに応じるはずがねえ。
元から俺たちの間に、会話ッつーモンは成り立たねえんだが。
「…クソ…」
「……あら?」
悪態を吐いた俺の背後から、突然女の声がした。
振り返るとそこには、髪の長い女が立っていた。
コイツ、どこかで……?
「…折原に用? 部屋にいるはずだけど、出ないの?」
「…あー…、いや、部屋の番号知らねえし」
確かこの女は、臨也の仕事の秘書とかって言ってた。
前に臨也とこのマンションに来た時に一瞬会った気がする。
俺と臨也の関係を唯一知っている奴だと言ってもいい。
興味のない事は口にしない女だから大丈夫だとか、臨也が言っていた。
女――確か臨也はナミエとか呼んでた――は無言で俺に近付くと、傍らのタッチパネルを素早く操作する。
すると目の前で自動扉が開いた。
暗証番号を知ってるんだろう。秘書なら当然か。
「私はお邪魔みたいだから、帰るわ。折原にもそう言っておいて。…それとこれ。貴方から渡しておいてくれる? 折原に頼まれてた買い物」
淡々とした口調で女は俺に片手のビニール袋を差し出してきた。
受け取って中を覗いてみると、グレープフルーツが幾つか入っているだけだった。
その後女は俺に部屋番号を告げて、自分の持っていた鍵も俺に手渡した。
小さな鈴の付いたキーホルダーに通された鍵。
冷たい感触のそれが、手の中で小さく鳴る。
こんなものすら俺は持ってなくてこの女が持っていると言う事に、俺は何だか知らねえが無性に腹が立った。
俺が何を言う事もなく無言でいると、女もその後は無言で背を向ける。
呼び止める事も礼を言う事もせず、俺も扉が閉まらないうちにエントランスへと進んだ。
秘書の女に聞いた番号の部屋の前に辿り着くと、俺は受け取った鍵を使って静かに開けた。
中にいるはずの臨也に、俺だと知られないように。
特別気を付けて、音を立てないように。
ここまで来てまた逃げられてたまるか。
広い玄関に広い廊下。進むとリビングと言うよりも奴の仕事場らしくオフィス然とした広い空間が広がる。
窓辺に大きなデスクとパソコンが2台。
ソファにローテーブル。
キッチンはあっても、あまり生活の匂いがしない。
どこまでも俺の部屋とは大違いな広い部屋。
しかしそこに臨也の姿はなかった。
テーブルにビニール袋と鍵を置くと、鍵に付いたキーホルダーの鈴がチリリと微かな音を立てる。
「…波江さん? 悪いんだけどさぁ、買って来てもらったグレープフルーツ、絞ってくれない?」
鈴の音か袋の音か、または人の気配に気付いたのか、傍らの部屋から聞き慣れた声が聞こえてくる。
そちらに視線を向けると、開かれたままの扉の向こうに床に座ったままで何かしている臨也の姿が見えた。
「こうしてまとめてみると、意外と人一人が生活するだけの荷物って結構あるもんだよね。何だかんだと人はモノを必要とするんだねぇ」
振り返らない臨也はまだ俺に気付いてない。
「この荷造り済んだら直ぐそっち行くから、」
「…何の荷造りだ?」
足音を立てないようにその部屋の入口に立った俺は、臨也の言葉の途中で低く声を掛ける。
途端に、臨也は弾かれたように振り返って、俺を見上げた。
「……シズちゃん…、何でここにいるの…? つか、どうやって入ったの?」
「どうでも良いだろうが、ンな事はよォ…。何のための荷造りかって聞いてんだよ」
「……………」
臨也は答えない。
床に座ったまま固まっているだけだ。
こんな奴の姿を見るのは珍しい。
新羅の言いたい事が本当の話だとしたら、とても信じられるモンじゃねえ。
けど本当だったら…。
コイツが俺の事が大嫌いで心底憎んでいて何もなかった事にするのなら、数日だけ姿を消して新羅に頼んでまた何もなかったように俺と顔を合わせて殺し合いでも続ける筈だ。
例えばもう身体の関係はなくしたとしても、俺には告げずに何もなかったように。
俺に知らせて、嫌いな俺に責任うんぬん言わせない筈だ。
コイツはそう言う俺の性格だって良く知っている。
俺だってコイツの性格は知っている筈だ。
だったらなぜ、俺の前から消えようとした…?
…答えは一つだ。
俺に何も言おうとしないコイツに、俺はイライラのボルテージが上がるのをこらえるために開いた扉に寄り掛かって、深く長く溜息を吐いた。
作品名:デキちゃいました!? 作家名:瑞樹