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甘い憂鬱

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 ――街へ出ると、大声で泣いている女性を見た。
 女性の傍らには友人と思われる女性の姿。必死に慰めているようだった。
 泣いている女性の友人は、「ほら、こっちに行こう」と言って優しくその女性の手を取り、大通りを離れて行った。
私は、何となくその様子をぼんやりと眺めていた。
(……どうせ大通りを離れて、人目をはばかるのなら、最初からそうすれば良かったのに)
 そんな事を考えてしまう。
 まぁ、友人の女性からしてみれば突然の事で驚いただろうし、賢明な判断だっただろうとこれまたぼんやりとした思考と視界で眺めていた。
(……泣く、か)
 私には程遠いものかもしれない、と心ここに非ずな状態で考えていると、私を呼ぶ声がすぐ近くから聞こえた。
「シエラ」
「ぁ……、はい。どうかしました?」
 ここまで共に行動していた人物の事を思い出し、私はパッと顔を上げる。
 視線を向けた先には、いつも通りの深い皺を眉間に寄せた、無愛想なジャスティン様の顔がそこにはあった。
 ジャスティン様は眉間に皺を寄せたまま、溜息をつく。
「はぁ……〝どうかしました?〟ではない、どうかしたのかと聞くのは俺の方だ。……ぼんやりとしていたようだが、何だ、体調でも悪いのか?」
 ジャスティン様はずいっと皺を寄せたままの顔を近づけ、私の顔色を確認している。
「……い、いえ。どこも悪くありません、大丈夫です」
「………………、ふん。お前の大丈夫は信用できんからな」
 意味ありげな沈黙を挟み、ジャスティン様は吐き捨てるように言う。
 まったくその通りである。何の反論も私は口に出す事はできない。
「〝私〟をわかって頂けて光栄です。ですけど、本当に何でもないんです。ただ考え事をしていただけですので」
「考え事とは何だ」
「……ジャスティン様のお耳に入れる程のものではありませんよ」
 私がそうあしらうと、ジャスティン様は不満げな顔(威圧的とも言う)で「いいから言え」と促している。
(……。困ったなぁ)
 こうなってしまったら、適当な事を言ってもジャスティン様は信じてはくれないだろうし、本当の事を言うまで許してもらえないだろう。
 私は「はぁ」と溜息をつくと、腹を括った。
「……何となく、あの泣いていた女性が羨ましくなったんです」
「羨ましい?」
「……まぁ、何というか……羨ましいと言うよりは凄いと思ったとう方が正しいですかね」
 きっとジャスティン様はよくわかっていないだろう。言った私でさえ、よくわかっていないのだから。
 けれどジャスティン様は気が済んだのか「そうか」と言って私に背を向ける。帰る、という事だろうか?
 どうやらその推測は当たっていたようで、ジャスティン様は「ほら」と言って腕を軽く曲げ、私に差し出してくる
 私はその意図を汲み取り、自分の腕をジャスティン様の腕へと絡め、私達は街を後にしたのだった。


‡♔…♦…♔‡


「……お前は、泣かないんだな」
「はい?」
 ここはジャスティン様の寝室。私達は一緒の食事を終え、寝るまでの時間をソファーでゆったりと過ごしていた。
 矢先に、ジャスティン様の唐突な言葉。
(街での話は終わったものだと思ってたわ……)
 どうやら終わっていたのは私の中だけで、ジャスティン様の中では未だに残っていたようだ。
「俺は、お前が泣いているところを見た事がない」
「……そりゃ、泣いていませんから」
 ジャスティン様は真顔で私を見ている。そんなに見つめられると、穴が開きそうだ。
……物理的にも、精神的にも。
 ジャスティン様は私の腰を引き寄せ、さらに距離を詰める。
「……泣かないのか?」
「誰に言っているんです?」
(私が泣くようなか弱い女に見えますか)
 私は軽い微笑を顔に浮かべるが、やはりジャスティン様は依然として真顔のまま。
 まるで泣けと言っているかのようである。
「……泣いてほしいんですか?」
「いいや?」
 そこで二人して黙ってしまう。だがジャスティン様に話題を変えるつもりはないらしい。そんな感じがする。
 だけど、これ以上は私が話す事などない。
 寝室に、静寂が訪れる。
 そしてふと、私の脳裏には街で見かけた女性の姿が過る。
(……どうして、あんな簡単に人前なんかで泣けるのかしら)
 私には、到底理解できない事だ。理解しようとも思わないが。
 私は、他人に弱い姿を見せたくない。まぁ職業柄出しはしないが、私の性格としても出しはしないだろう。
 想像してみよう。街で見かけたあの女の人のように、人目をはばからず大声で泣く私の姿を。
あぁ、どこからともなく吐き気が。
(気持ち悪……)
 よく友達の前だからこそ気が緩み、涙が出てしまう……という話を耳にするが、私にはそれも理解しがたい。
 親しくなればなる程、私はその友人に自分の弱いところなど見せたくはない。
 適度な距離感が、私は大好きだ。
要するに、友情だとかそういう類の者は苦手という事。
(まぁ……、私には無縁の話しよね)
 無縁だからこそ、寒気すら覚える。
「……」
「……」
 そこでふと視線を感じ、私はジャスティン様に視線を戻す。
「何か……?」
 私がそう尋ねると、ジャスティン様は「ふむ」と言い、言葉を続けた。
「……お前がどれ程〝涙を流す〟という事に抵抗があるのかは理解した」
 そのしかめっ面でな、とジャスティン様は私の眉間を指でつつく。
「だが……好いている女が自分の前でだけ気を許し、涙を流す――といったシチュエーションは、多かれ少なかれグッとくる男もいるだろう」
「……、……ジャスティン様は、どちらなんですか?」
「……」
 ジャスティン様は少しの沈黙の後、唐突に私を抱きしめた。
「え」
 私と言えば、突然の事に少しばかり混乱気味だ。だが、振りほどく事はしない。
 私は顔を上げ、ジャスティン様と視線を合わせる。
 ジャスティン様は私を抱く腕を強めると、ゆっくりと口を開いた。
「まぁ……せめて俺の前では、気を許して、すべてをさらけ出してほしいものだな」
「……なんですか、それ」
 ついつい微妙な目で見つめてしまう。私のそんな目に、ジャスティン様の眉間にはまた、濃い皺が刻まれた。
「俺は本気だ」
「本気なんですか……」
 それはそれで嫌だなぁ……、と考えた事を感じ取ったのか、ジャスティン様の眉間にはさらに深い皺が刻まれる。
 だが、すぐにそれは取れた。
「……俺だけが、一方的にお前に気を許しているというのも、不公平だろう」
 だからお前も俺に気を許せ、とまた眉間に深い皺を戻しジャスティン様は呟く。
「は、はぁ……」
「間の抜けた返事は禁止だ」
「え、えぇ……?」
 ジャスティン様の唐突な言葉には、いつも驚かされてばかりだ。
 だけど、心のどこかできっとこの人なら受け止めてくれるだろうと思っている私は、矛盾しているのだろうか?
(……っ)
「ぜ、善処します……」
 今の私は、これで精一杯だ。
「よろしい」
 そう言ってジャスティン様は今まで不満げで威圧的だった表情が一変し、その顔には満足げといった笑みが浮かばれる。何という不意打ちだろう。卑怯とも言える行為だ。
(キュンときてしまった……)
作品名:甘い憂鬱 作家名:ツバキ