♯ pre
ちなみに、ハルカも器用だ。それについては、自慢はしないが、自信がある。
ハルカの言ったことを聞いて、リンは戸惑いの表情を顔に浮かべた。
そのあと、リンは口を引き結んだ。なにか不満があるような、なにか訴えたいことがあるような顔をしている。
リンはハルカに向けていた眼を伏せた。
さらに、つかまえていたハルカの右手を放した。
ハルカは右手を自分のほうへもどした。
妙な反応をしたリンを無表情で眺め、首を少しかしげる。
ふと、リンは眼を伏せたまま、なにかを取り出し、ハルカのほうに差し出した。
「これ、やる」
白い簡素な紙袋。
マコトが夜店で買った砂糖菓子も似たような紙袋に入れられていたのを、ハルカは思い出した。
リンは甘い物が苦手だ。だれかからもらった砂糖菓子だろうか。
ハルカは紙袋を受け取った。
砂糖菓子にしては重く感じた。
直後。
「待っててもアイツら来ねえから、もう帰るか」
リンがハルカを見て言った。気持ちを切り替えたような、妙なところのない、落ち着いた様子だ。
「捜しに行ったって行き違いになりそうだしな」
たしかに、そのとおりだ。もし今マコトとナギサが自分たちを捜しているにしても、やがて、同じ判断をして帰るだろう。
ハルカはうなずいた。
それが合図になって、歩き出した。
ふたたび混雑の中に入っていくことになる。
しかも帰る方向なので、さっきまでとは逆の方向に進む。
ハルカたちと同じ方向に歩く者もいるが、細い流れだ。向かってくる圧倒的なひとの流れにさからっているみたいだ。
さっきより歩きづらい。
あまり表情を変えないハルカも思わず眉根を寄せた。
そのとき、だれかがハルカの手に触れた。
リンだ。リンがハルカの手をつかんだ。
なにも言わないまま、リンはハルカの手を軽く引っ張って歩く。
ハルカはほとんど表情を変えず、内心、む、となった。
これでは自分はリンの妹のようだ。
リンには妹がいる。兄として妹を守るように手をつないで歩くことがあっただろう。だから、自然にこうした行動に出たのではないだろうか。
自分はリンの妹じゃない。
そう反撥して、リンの手を振りほどこうとした。
だが、そうするとリンはますます強く握ってきて、振りほどけなかった。
ハルカは悔しい気もしたが、結局あきらめて、リンと手をつないだまま混雑した道を歩いた。
ハルカとリンは途中で帰路がわかれるのだが、ハルカが必要ないと言ったのに、リンはハルカの家までついてきて、それから自分の家に帰っていった。
家族への挨拶などを済ませたあと、ハルカは二階にある自分の部屋に行った。
部屋に入り、ランプをつけ、荷物を所定の場所に置き、置き場所の決まっていないリンからもらった物を確認することにした。
紙袋の中身を取り出す。
重さから予想はしていたが、やはり、砂糖菓子ではなかった。
卵型の銀細工の容器。
その細工は精緻で美しい。かなり高価な物だろうと感じる。
ハルカは貝のように合わさっている容器を開けた。
中に入っているのは赤い布。
しかし、その布が主役ではなさそうだ。
主役はその布に包まれている。
布を広げていく。
包まれていたのはガラスの小瓶だった。
小瓶には液体が入っている。
ハルカは小瓶の蓋を開けて、試しに、紙袋にほんのちょっとだけ液体を落としてみた。
いい香りがした。
これは、薔薇の精油だ。
王都は薔薇の花薫る麗しの都と謳われている。
そう、王都は芳しい香を持つ薔薇の精油で名高い。
この薔薇の精油はほんの少量でも朝摘みした薔薇の花びらを原料としてたくさん必要としていて、そのため驚くほど高価なのだ。
ハルカは小瓶に蓋をし、小瓶を布で包み、銀細工の容器にもどした。
これほどの物がまさか砂糖菓子を入れるような簡素な紙袋に入っているとは思わなかった。
どうしてリンはこれをハルカにくれたのだろうか。
リンは王族なので、それほどたいした物だと思っていないのかもしれない。でも、砂糖菓子のように気軽にやる物ではない事ぐらいはわかっているだろうに。
よくわからない。ハルカは小首をかしげた。
翌朝、ハルカは目覚めると、良い香りが鼻をくすぐって身体の中に入っていくのを感じた。
リンからもらった薔薇の精油の香りがまだ残っていたようだ。
どうせだれも見ていない。ハルカは寝具に身を横たえた状態のまま微笑んだ。