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ツタエタイ/ツタエラレナイ

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「靖友」
 新開が前を歩いていた背中に呼びかける。あ? と細い目をした男が面倒くさそうな顔をして振り向いた。
「なァんだよ」
 片手はズボンのポケット。もう片方の手には炭酸飲料のペットボトルを持っている。休み時間に買いに行っていたのだろう。首の所を指の間に挟んでぶらぶらと揺らしている。すでに開封されているらしく、少し減った中身が手の動きに合わせてくるくると動いていた。
「明日、ヒマ?」
 新開の言葉に、にやりとする。大方用件の予想がついているのだろう。その予想を裏切りたい。そんないたずら心がムクムクと沸く。
 おっと、それはダメだ。今日のこれは、そんないたずらよりもうちょっと大事だ。
「ちょっと付き合ってくれないかな」
「アァ? 練習だろ? なァに変な言い方してんだヨ」
 ぷし、と栓を開けて暗褐色の炭酸飲料をゴクリと飲んだ。開いたシャツから覗く襟元と、仰向いた細い首筋に心臓が跳ねた。もしかしたら自分の気持ちを判っててやってるんじゃないかとあらぬ疑いをかけたくなる。
 そんなワケないか。
「沼津までどうだい?」
 芦ノ湖から国道一号を走り、また帰ってくるコース。反対側の小田原へのコースと併せて、ハコガクの自転車競技部でも良く使う練習コースだ。行きはよいよい、帰りは怖いというやつで、ほぼ下るだけの往路に比べて、復路はひたすら登らねばならない。スプリンターの新開にとっては、苦手なコースだ。
 今はレースの合間の時期だから、休日の練習としては軽い方だろう。次の日からの練習にも大して疲労を残さなくて済む。
「ハッ。オールラウンダーに鞍替えかァ? 似合わねーんだヨ、バァカ!」
 荒北の乱暴な言葉に、廊下を歩いていた他の生徒たちがびっくりして足早に通り過ぎていく。誰もこの言葉の真意を判らないのかと思うと、妙な優越感を覚えた。
 彼は福富寿一とロードレーサーに出会うまでずっと荒んでいた。そのせいで未だに荒北を怖がっている生徒は多い。不自然にキメたリーゼントをやめた今でもだ。
 だが、本当の荒北は違う。言葉は悪くても、左を抜けなくなった新開がもう一度走れるように、自主的に練習に付き合ってくれるような男なのだ。
「スプリント練習が少ないんじゃナァイ」
 そう言えばそうだったか、と思う。走るコースまでは深く考えていなかった。とにかく自転車に乗って、まともにスプリント勝負が出来るようになるんだとひたすらペダルを漕いできた。コースの偏りに思い至らなかったのは、そればかりが原因じゃないけれど。
「国道一号《コクイチ》から国道一三四号《イチサンヨン》……は、休日か。ちっ」
 ガリガリと頭を掻く。荒北が上げてくれた道路は箱根町から小田原市へ降り、そのまま中郡二宮町、同大磯町と街中を抜け、平塚市、茅ヶ崎市、藤沢市、鎌倉市、と相模湾の海沿いを走る。逗子市、三浦郡葉山町、三浦市、横須賀市と三浦半島を半周し国道十六号線に合流する道路だ。平塚から三浦に入るまではほとんど海沿いと言うこともあり、アップダウンの少ない平坦な道で、スプリント練習には持ってこいだ。しかし休日ともなれば、渋滞が生じるコースでもある。こうやってスプリント向きの道路を考えてくれるのが有難かった。
 最初は新開も荒北という男に対して複雑な思いだった。福富が気に入ったようだったから見守っていたが、果たして彼に自転車に乗れるのだろうか、ましてやインターハイ常勝校であるハコガクのレギュラーに入ってくることが出来るのかと思っていた。それが今やハコガクにとってなくてはならない選手になった。
 そればかりか。新開自身にとっても大事な存在になってしまった。
 加えて彼の優しさが乱暴な言葉でしか出てこないだけだと気づいてからは、彼の言葉に一々反応してしまって仕方がない。
「沼津から田子浦まではスプリントできる」
「最初っから田子浦って言えっつーの」
 かは、と笑った。いつものちょっと斜に構えたような笑い顔ではなくて、素直な笑みが新鮮だ。
 靖友はこんな顔で笑うことも出来るんだ。
 ちりりと不快な痛みが胸を焼く。俺しか知らないのなら良いのに。



 綺麗に晴れ渡った朝だ。陽はとっくに登っているが、山間部の箱根に太陽の熱が届くまで、まだしばらく時間が掛かる。山道には少し靄が出ているが、この程度なら見通しにも影響しないだろうし、すぐに晴れるだろう。
 カチャカチャと靴の金具がアスファルトを噛む。アップ代わりに待ち合わせ場所まで走ってきて、体は充分に暖まっていた。
「や」
 ロードレーサーのサドルに手を置いて、むっつりと黙っている荒北に声をかける。いつものハコガクの文字が入ったものではなく、私物のバイクウェアが新鮮だ。
「こんな朝早くに呼び出してんじゃねーヨ、眠ぃーからァ」
 いつもの悪態も少し勢いがない。
「すまない。少しでも早く走りたくてサ」
 にやりと笑ってみせると、ち、と不機嫌そうに舌打ちをして、一転にやりと笑う。
「俺とそんなに勝負したかったのォ?」
「まぁな」
 びしりと人差し指で荒北を指す。指鉄砲はレースで競争相手を仕止めるときのクセだ。こんなことが出来るほどにまで回復した。これも全て目の前の男と、仲間のお陰だ。
「靖友と走ると興奮するんだ」
 冗談の顔で言葉に少しの真実を混ぜる。俺のこの気持ち、正直に伝えたらどうするだろう。言葉はどうでもきっと正面から、至極真面目に向き合ってくれるに違いない。それが荒北靖友という男だ。
 だけれど、言えば確実にお前を悩ませることになる。
 イヤ、正直になろう。拒否されたくない。お前は普通に出来るかもしれないが、俺はきっと無理だ。
 それなら言わない方がマシだ。そう思ってしまう。
「そう簡単に抜かせねーよ、バァーカ」
 飢えた野獣が獲物を見つけたみたいに口元を歪ませる。勝負したくて堪らないと言う顔だ。
 気持ちを抑えなくてはと思った傍から、荒北の不敵な笑みを見て不埒な気持ちになっている。
 一瞬とは言え勝負したい気持ちを上回るなんて、走れなくなって鬼の牙も抜けたのだろうか。
「行くか」
 自転車に跨った荒北の足下で、ぱちん、と金具が鳴った。
 芦ノ湖の南側にある箱根関所資料館の近くにある大きな駐車場から走り出す。箱根の街中を通り抜けゆるやかな山道を登って、すぐに下る。少し冷たい風が夜露に濡れた木々の匂いを運んでくる。馴染み深い箱根の朝だ。三島へ向かって下っていく道は、小田原から箱根へ入ってくる時ほど急ではないが、勾配が続く。下りであることもそうだが、道が左右に曲がりくねっている、曲者の道だ。サイクルロードレースでは、こうした先の見えない下りのカーブでもペダルを緩めることはない。むしろペダルを踏み、更に最も速く走れるコース取りで山を駆け下りる。下りが好きな選手は頭がおかしい、なんて言われることもあるくらいだ。
 休日とはいえ早朝ならまだ車通りも少ないから、車道を広く使って走っても危なくはない。前を走る荒北が愛車のビアンキを駆って右に左に揺さぶってくる。新開は隙があれば右から抜く。そう言う練習だ。左右の景色がどんどん後ろに飛んでいく。