ベルベットブルー
ベルベットブルー
それは静かな夜だった。深夜、と呼ぶべき時間帯。
ここは、もともと喧噪とは縁遠い場所。けれどさらに人気も失われたそこは、神聖な場所のような気がしてしまうほどだった。いや、祭壇なんて呼び方をする以上、神聖で汚してはならない場所なのだろう。
そんなコトをぼんやり思考していたモノは、キュルキュルと自分の中の機械が計算処理する音が耳に響くな、なんて感想を抱きながら、その祭壇に向かって歩み寄る。
深夜でも香も蝋燭の明かりも耐えない祭壇。
ピンクの花で満たされ、一般的な色彩とはどこか異質であった。
これも、人の愛の形なのだろうか。
ピンク色は、花が囲む棺にいる彼のトレードカラー。
白い棺、今は閉じられているその箱の中、永遠の眠りについた彼の、色。
華やかで、けれどどこか儚くも思える花の色。
甘い花の香りを、香りだと認識する人の形をしたモノは、一歩また一歩と棺に近づいていく。真っ黒いスーツに真っ白なシャツを着て、その左手には花束を握って。言葉無く、静かに、蒼い髪を揺らして、蒼い目で祭壇を仰ぎながら。
そして、棺の側に着た人の形――青年の形をしたモノは花に埋もれる棺に右手を伸ばし、そっと頭を撫でるように触れた。
触れたところで何を感じるわけでもないはずなのに。それでも、触れずには居られなかった。
不思議な、不思議な感覚だった。
キュルキュルとまた彼の内側からは機械音。これも一つの感情だと、飲み込むように鳴る音。
音を立てながら青年は、瞬きも忘れたように棺を、そして一面の花を、祭壇に供えられている写真や、帽子、おもちゃをまるで記憶に焼き付けているかのように、見つめる。
写真はきらびやかな衣装を身にまとったまだデビューしたての彼の姿、学生時代の仲間達との集合写真。一躍有名になった映画の一枚など。
トレードマークの一つだった帽子は学生時代にかぶっていた一番思い入れが強いモノ。
おもちゃは眠る彼が一番好きだった、あのヒーローのフィギュア。
それらは、一緒に燃やしてしまう、思い出の品々。
蒼い髪の青年はここでようやく瞬きを一回。まるで録画が終わってカメラの電源を一度落とすように、しっかり目を閉じて、そして開いていた。
きっと、明日明後日はこんな風にみて記憶することはできないだろう。
真夜中、静かなこの祭壇のある会場。
ここに明日、沢山の人が集まるのだ。
永遠の眠りについた、人気アイドル、来栖翔を送るために。
彼は、生まれつき心臓に病を抱えていた。二十歳まで生きられればいいと宣告を受けていたのだが、それでもなんとか二十歳を過ぎ、二十一歳の若さでこの世を去った。
これでも、長く生きた方のだろうか。
それは、今ここにいる青年、美風藍には分からなかった。
生きた時間の長さが、長いのか、短いのか。決めるのはいったい誰なのだろう。
検索をかけてみても、結論は様々で、一端に決められるものではなかった。
棺に触れていた右手をゆっくりと離し、藍は左手に持っていた花束を、花の部分を天井に向けるように両手で持ちなおす。
花はナデシコ科ナデシコ属の多年草、別名麝香撫子とも呼ばれる花……カーネーション。
ただ、彼が手にしていたのは一般的な赤い色ではなく、深い紫色をしていた。
青いカーネーションと呼ばれる通称ムーンダスト。それがこの花の名前。自然界に存在し得ない青いカーネーションは、とある花言葉を持っていた。
藍はおもむろにその場にしゃがむと、持っていた花束の包みを、解いていく。
リボンを外し、フィルムを剥き、薄い布状の黄色い紙を解けば、輪ゴムとアルミで包まれた茎が現れ、さらにそれも外せば、花束はただの花となる。
花を束にしていたフィルムなどを綺麗に畳み、束ではない何本にもなるカーネーションを左腕で抱えると、膝を伸ばして立ち上がる。
立って、見下ろすのは白い棺。
一輪、花を右手で掴み、藍は棺の側に手向けていく。
ピンクと白の中に混じる、深い紫。
花を手向けることが、別れの行為だと、この人の形をした末端端末は膨大な情報から検索をかけて知ったのだ。
一輪置いて、また一輪、まるで花占いのように丁寧に花の束から一輪抜いて手向けていく。
「……あれ……?」
ふと、カーネーションを置いていた手が止まる。
視界が滲んで、よく認識できなかったから。
これは、何だろう。
手を止めた藍はぼんやりと頬に伝う感触に、滲む理由を知った。
これは、涙だ。
「……こんな機能、いらないって言ったのがなんだか懐かしいや」
ぽつり、誰に話しかけるでもなく震える音色で藍は呟く。思わず思考が口に出て音声になってしまったのだろう。
こんな些細なことも、人らしいと、人は言うのだろうか。
それに、懐かしい、なんて。
「ボクも……ずいぶん人間らしくなったのかな?」
静かに涙を流しながら、止めていた手を再び動かして花を棺に添える。本当は棺を開けてするのかもしれないけれど、今の藍にはソレがどうしてもできなかった。
生気のない顔を見て、故障しかねないと判断したためだった。
それを、人は悲しいと言うのか、それとも、寂しいとも言うのだろうか?
深い、深い感情に一つだけの感情を当てはめることは、藍には出来なかった。
こうして思考している間にも、涙は流れ、頬から顎に伝い、ぽたり地に落ちていく。
落ちていく涙をそのままに、藍は棺に語りかける。意味のないことだと、理解はしていても。それでも、人らしいその行動を止めることは出来なかった。
「ねえ、ショウ……知ってる?ショウのことだから知らないと思うけど。青いカーネーションの花言葉は永遠の幸福って言うんだ」
人が作り出した、青い花。幸せは人の手で作り出すものだと言う願いなのだろうか。
「……ショウは、シアワセ、だった?」
届かない、言葉。それでも語りかけるのは、どうしてだろう。
問いかけに、もちろん回答はなく。ただ何もない音だけが、響くだけだった。
そして最後の一本を置こうとしたその時、藍は声を聞いた。
「何をしているんですか?」
誰かの面影がある声色。
人の声に、藍は誰だろうとゆっくり振り返った。どうやら入り口の方から、藍の背中の方からの声だった。
涙を流しながら、振り返る藍の目に映ったのは翔に瓜二つな青年の姿だった。少し涙で滲んでいるけれど、間違いはなかった。同じ顔の彼。もちろん翔の幽霊などではない。翔には双子の弟がいた。
名前を。
「カオル……」
呼んだ藍は自分に近づいてくる薫をじっと観察。彼がここにいるのはごく自然なことで。彼自身が翔を依存するほどに好きだったことは知っていた。
涙を流し続けた結果だろう、目元は赤く、眠れないのか隈も見える。
「美風さん、お別れは……明日ですよ」
生気無く藍に告げる言葉。
言葉を発した薫は振り返った藍の綺麗さに、不機嫌そうに眉をひそめる。
綺麗な、完成された人としての美麗さ。それもそうだ、人が人工的に生成し、綺麗だと思うように思わせるように作ったのだから当然だ。心を揺らがされるものか。
兄が、綺麗だと純粋に言っていたとしても。決して。それが美しいとは思いたくない。
煮えたぎるような感情を身の内に潜める薫は、そんな藍のところへと歩み寄る。静かに。
それは静かな夜だった。深夜、と呼ぶべき時間帯。
ここは、もともと喧噪とは縁遠い場所。けれどさらに人気も失われたそこは、神聖な場所のような気がしてしまうほどだった。いや、祭壇なんて呼び方をする以上、神聖で汚してはならない場所なのだろう。
そんなコトをぼんやり思考していたモノは、キュルキュルと自分の中の機械が計算処理する音が耳に響くな、なんて感想を抱きながら、その祭壇に向かって歩み寄る。
深夜でも香も蝋燭の明かりも耐えない祭壇。
ピンクの花で満たされ、一般的な色彩とはどこか異質であった。
これも、人の愛の形なのだろうか。
ピンク色は、花が囲む棺にいる彼のトレードカラー。
白い棺、今は閉じられているその箱の中、永遠の眠りについた彼の、色。
華やかで、けれどどこか儚くも思える花の色。
甘い花の香りを、香りだと認識する人の形をしたモノは、一歩また一歩と棺に近づいていく。真っ黒いスーツに真っ白なシャツを着て、その左手には花束を握って。言葉無く、静かに、蒼い髪を揺らして、蒼い目で祭壇を仰ぎながら。
そして、棺の側に着た人の形――青年の形をしたモノは花に埋もれる棺に右手を伸ばし、そっと頭を撫でるように触れた。
触れたところで何を感じるわけでもないはずなのに。それでも、触れずには居られなかった。
不思議な、不思議な感覚だった。
キュルキュルとまた彼の内側からは機械音。これも一つの感情だと、飲み込むように鳴る音。
音を立てながら青年は、瞬きも忘れたように棺を、そして一面の花を、祭壇に供えられている写真や、帽子、おもちゃをまるで記憶に焼き付けているかのように、見つめる。
写真はきらびやかな衣装を身にまとったまだデビューしたての彼の姿、学生時代の仲間達との集合写真。一躍有名になった映画の一枚など。
トレードマークの一つだった帽子は学生時代にかぶっていた一番思い入れが強いモノ。
おもちゃは眠る彼が一番好きだった、あのヒーローのフィギュア。
それらは、一緒に燃やしてしまう、思い出の品々。
蒼い髪の青年はここでようやく瞬きを一回。まるで録画が終わってカメラの電源を一度落とすように、しっかり目を閉じて、そして開いていた。
きっと、明日明後日はこんな風にみて記憶することはできないだろう。
真夜中、静かなこの祭壇のある会場。
ここに明日、沢山の人が集まるのだ。
永遠の眠りについた、人気アイドル、来栖翔を送るために。
彼は、生まれつき心臓に病を抱えていた。二十歳まで生きられればいいと宣告を受けていたのだが、それでもなんとか二十歳を過ぎ、二十一歳の若さでこの世を去った。
これでも、長く生きた方のだろうか。
それは、今ここにいる青年、美風藍には分からなかった。
生きた時間の長さが、長いのか、短いのか。決めるのはいったい誰なのだろう。
検索をかけてみても、結論は様々で、一端に決められるものではなかった。
棺に触れていた右手をゆっくりと離し、藍は左手に持っていた花束を、花の部分を天井に向けるように両手で持ちなおす。
花はナデシコ科ナデシコ属の多年草、別名麝香撫子とも呼ばれる花……カーネーション。
ただ、彼が手にしていたのは一般的な赤い色ではなく、深い紫色をしていた。
青いカーネーションと呼ばれる通称ムーンダスト。それがこの花の名前。自然界に存在し得ない青いカーネーションは、とある花言葉を持っていた。
藍はおもむろにその場にしゃがむと、持っていた花束の包みを、解いていく。
リボンを外し、フィルムを剥き、薄い布状の黄色い紙を解けば、輪ゴムとアルミで包まれた茎が現れ、さらにそれも外せば、花束はただの花となる。
花を束にしていたフィルムなどを綺麗に畳み、束ではない何本にもなるカーネーションを左腕で抱えると、膝を伸ばして立ち上がる。
立って、見下ろすのは白い棺。
一輪、花を右手で掴み、藍は棺の側に手向けていく。
ピンクと白の中に混じる、深い紫。
花を手向けることが、別れの行為だと、この人の形をした末端端末は膨大な情報から検索をかけて知ったのだ。
一輪置いて、また一輪、まるで花占いのように丁寧に花の束から一輪抜いて手向けていく。
「……あれ……?」
ふと、カーネーションを置いていた手が止まる。
視界が滲んで、よく認識できなかったから。
これは、何だろう。
手を止めた藍はぼんやりと頬に伝う感触に、滲む理由を知った。
これは、涙だ。
「……こんな機能、いらないって言ったのがなんだか懐かしいや」
ぽつり、誰に話しかけるでもなく震える音色で藍は呟く。思わず思考が口に出て音声になってしまったのだろう。
こんな些細なことも、人らしいと、人は言うのだろうか。
それに、懐かしい、なんて。
「ボクも……ずいぶん人間らしくなったのかな?」
静かに涙を流しながら、止めていた手を再び動かして花を棺に添える。本当は棺を開けてするのかもしれないけれど、今の藍にはソレがどうしてもできなかった。
生気のない顔を見て、故障しかねないと判断したためだった。
それを、人は悲しいと言うのか、それとも、寂しいとも言うのだろうか?
深い、深い感情に一つだけの感情を当てはめることは、藍には出来なかった。
こうして思考している間にも、涙は流れ、頬から顎に伝い、ぽたり地に落ちていく。
落ちていく涙をそのままに、藍は棺に語りかける。意味のないことだと、理解はしていても。それでも、人らしいその行動を止めることは出来なかった。
「ねえ、ショウ……知ってる?ショウのことだから知らないと思うけど。青いカーネーションの花言葉は永遠の幸福って言うんだ」
人が作り出した、青い花。幸せは人の手で作り出すものだと言う願いなのだろうか。
「……ショウは、シアワセ、だった?」
届かない、言葉。それでも語りかけるのは、どうしてだろう。
問いかけに、もちろん回答はなく。ただ何もない音だけが、響くだけだった。
そして最後の一本を置こうとしたその時、藍は声を聞いた。
「何をしているんですか?」
誰かの面影がある声色。
人の声に、藍は誰だろうとゆっくり振り返った。どうやら入り口の方から、藍の背中の方からの声だった。
涙を流しながら、振り返る藍の目に映ったのは翔に瓜二つな青年の姿だった。少し涙で滲んでいるけれど、間違いはなかった。同じ顔の彼。もちろん翔の幽霊などではない。翔には双子の弟がいた。
名前を。
「カオル……」
呼んだ藍は自分に近づいてくる薫をじっと観察。彼がここにいるのはごく自然なことで。彼自身が翔を依存するほどに好きだったことは知っていた。
涙を流し続けた結果だろう、目元は赤く、眠れないのか隈も見える。
「美風さん、お別れは……明日ですよ」
生気無く藍に告げる言葉。
言葉を発した薫は振り返った藍の綺麗さに、不機嫌そうに眉をひそめる。
綺麗な、完成された人としての美麗さ。それもそうだ、人が人工的に生成し、綺麗だと思うように思わせるように作ったのだから当然だ。心を揺らがされるものか。
兄が、綺麗だと純粋に言っていたとしても。決して。それが美しいとは思いたくない。
煮えたぎるような感情を身の内に潜める薫は、そんな藍のところへと歩み寄る。静かに。