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旅立ち集 ハイランダー編 No2

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幼い頃から女は歌うのが好きだった。

その理由はわからない。歌うことが好きなのか、それとも歌うことで友達が増えたから歌好きになったのか。それはともかく、とにかく歌は好きなのだ。


生まれは小さな島国。陸地は狭く、岸を包み込むように続き、上空から俯瞰すれば三日月のように見える。


傾斜は急で、高低差のある坂道に家が密集している。石造りの家は漆喰で白く塗装され、常に陽光が跳ね返って眩しかった。


自分の歌に不思議な力があると知ったのは、四歳の頃。

その日は祭日だった。

島全体がお祭りムードに包まれ、港には店が並んでいた。

異国のアクセサリーを売る店に、高級そうなシルクを売る店、それに酒や軽食をふるまう店にと、いつは漁師達しかいない処がその日だけは違っていた。


女は両親と並び、夕凪を迎えた港を歩いていた。

何か食べたいと言った覚えはないが、父が何かを買ってくれて、それを手渡してくれた。木串に刺された一口サイズの鯨肉だったと思う。その香ばしい匂いは今でもよく覚えている。

だが口に入れようとしたとき、母がそれを横取りしたのだ。

その瞬間、胸の奥底で何かが蠢くのを女は感じた。そして自分でも信じられない行動に出た。


女は顔を真っ赤にして母に飛びかかったのだ。


――なぜ奪った。

――なぜ盗んだ。

――返せくそ婆。


怒りにまかせて暴言を吐き、そして母に何度も拳をぶつけて爪をたてる。

服を裂き、髪を引っ張り、押し倒して馬乗りになる。

その迫力は周囲にいた島民達の視線を集め、それまでの賑やさが一変し殺伐とした空気に包まれていた。


父が自分を引き離し、ようやく我に返ると、母は顔のいたるところから血を流し、震えながら怯えた眼差しで自分を見ていた。あれは実娘に向ける眼差しではなかった。

倒れた母の手には、潰れた紙のコップが握られていた。母は盗むつもりではなかった。幼い子供は串刺しにされた食べ物で口の中を傷つけてしまうことがある。それを知っていた母は、鯨肉をコップに移し替えて、フォークか何かで食べさせようとしたのだろう。


事件を目撃していなかった島民が、何があったのかと群衆に訊く声がする。母はなおも自分を見据え、その隣で父がおろおろとしている。夕凪が終わり陽光の沈みかけた海原に向かって風が吹いた。


どうしたらいいのかわからないまま。奇異の視線に耐えながら。会話することなく親子揃って帰路についた。


途中で幾人かの家族とすれ違った。顔見知りもいたが、ろくに会釈することもできなかった。


帰宅すると女は自室に引きこもった。

なぜ母にあんな事をしたのだろう。確かに盗まれたと思い腹が立ったが、あれは自意識によるものではない気がする。あんな感覚に支配されたことはない。


餌を横取りされた時、胸底に押し殺していたものがはじけ飛ぶような、繭の中に閉じこめられていたものが糸を引き裂いて突出したような、そんなリアルな映像が脳裏をよぎった気がする。


(――餌?)


違う。あれは食べ物だ。自分は動物じゃない。なぜ餌と思った?

台所で水を流す音と、ひそひそと居間で話す両親の声が聞こえた。母のすすり泣く声もする。夜になっても祭は続き、窓から港の灯りが見えた。


母も祭を楽しみにしていたはずだ。それを自分が奪い、それのみならず母を傷つけた。身体だけではない。もっと大切なものを壊してしまったような気がする。

ふと。女は歌い始めた。

両親と向き合うのが怖く、かといって鬱々と一人でいるのも、家が辛気くさい空気に包まれるのは嫌だったからだ。


居住区を歌いながら散歩する時のように、いつもと同じ明るい声で思いつくまま奏でてみたのだ。


天性の美声に頼って歌われたものとは違い、その歌には強い感情が宿っていた。

後悔や贖罪の念とでもいえばいいだろうか。それこそが、女が自分に秘められた力を知る最初の歌であった。


※※※※

目覚めると見知らぬ天井が見えた。

固い石のベッド。そこに自分は寝かされていた。あの青年に招かれた途中で意識を失ったはずだ。となるとここは彼の家か。


腕を見た。止血され包帯が巻かれている。手当してくれたのだろうか。

礼を言いたくて青年を、否、ウィルを捜すが彼の姿はない。別室にいるのだろうか。


ベッドから立ち上がる。とその時。女は立ちくらみに襲わる。頭がくらくらと揺れて視界が黒く染まる。足に力を入れられず、椅子につかまって立とうとするも手が届かず、とうとう倒れてしまった。


失血のせいか、ただの立ちくらみでもそうとうこたえた。

「うっ!」

頭痛が倒れた女を襲う。

ずきずきと脈打つような痛みが這い回り、目の奥がかっと熱くなると、瞑眩の続く視界にある映像がよぎった。


「……!」

そこは今にも崩れ落ちそうな洋館の地下室。

むせかえるほどに焚かれた香。その匂いも蘇る。

石造りの床には、怪奇な図形と文字がびっしりと描かれた魔法陣が記され、手足を鎖で繋がれた自分が棺に拘束され、真っ黒な長衣を纏った男達に囲まれていた。


――神獣の血をよこせ。


身体を槍で突かれ、血が棺の表面に刻まれた隙間を流れ杯の中へ落ちていく。

――正体を見せろ、怪物。


「――!」

意識を振り払い、女は記憶のなかの映像を止める。

もう違う。

ここは安全だ。

自分の血さえ制御できれば普通に生きられるはずだ……。


女は手をついて立ち上がる。悪寒に襲われふと気付く。マントがなかった。ベッドへ振り返るがそこにはない。室内を見回す。やはりなくなっている。まさか……。


――盗まれたのか。


そう思った瞬間、女のなかにある何かが、無制限に膨張する。抑えられない。押し殺せない感情に支配される。


ぐらりと、支えていたはずの中立的な人格が大きく傾きかけ、女は必死にそれを戻そうとする。


ウィルが ‘あれ’ を持って行った時、自分は自分でいられたはずだ。だからきっと普通でいられるはずなんだ。


息苦しくなり、女は食卓にもたれて頭を抱える。


どこかで木戸の開く音がなる。ウィルが来たのか。自分の姿を見られまいと辛うじて立つが、居間に入ってきたのは彼ではなかった。