わたほうしのゆくえ
太陽が再び昇った。
私は今日も調査予定地に行くために花畑の横を歩いていた。赤や白、ピンクの名前のわからない花の花畑を横目に見ながら進む。
昨日と同じように花畑のずっと先を見ると昨日と同じようにその中に茶色い点があった。昨日と同じようにガラガラは居眠りをしている。今日も食べに来るつもりなのだろうか。
私は内心、夕刻を楽しみにして今日のフィールドへと向かった。
早足で歩きながら私は思った。
今日はもっと早めに帰ってこよう、と。
――そろそろ夕食にしようか。
早めに調査を終えた私は火を焚いてお湯をわかしはじめた。湯をわかすといっても料理をつくるというわけでもなく、このカップめんにそそぐためなのだが。
世の中便利になったもので、大量のカップ麺やインスタント食品もボールひとつで簡単に持ち歩ける。これはモンスターボールを応用したどこぞの製品なのだそうだが、くわしいことはよく知らない。何はともあれこいつのおかげでたとえ山で遭難したとしても火と水さえあれば食べ物には困らない。
ちいさなやかんがぐつぐつと音を立て、湯気を吹いた。湯が湧いたようだ。私は用意したカップ麺二つのうち一つに湯をそそぎ、蓋をした。蓋のわずかな隙間からおいしそうなにおいが漂う。あとは三分待つだけ。
え? なぜカップ麺が二つあるのかって?
それは私のほかに食べるのがいるからだ。もうひとつのほうはそいつが来てから湯をかけることにする。
三分が経過した。カップメンの蓋を開けるとおいしそうなにおいがわっと広がる。私はカップを持ち上げ麺をすすりはじめた。
それにしても今日は遅いな。
いつもならお湯をいれるとすぐ気が付いてくるのだけど。
今日はやけにゆっくりだ。
お湯が冷めないうちに来るといいのだが。
……
…
目の前の炎はもう長いことゆらゆらと揺れている。気が付けば私はカップ麺を半分以上食べてしまっていた。
おかしい。
いままでならにおいがすればやってきたはずなのに。
今日はどうしたことだろう?
インスタント食品に飽きてしまったのだろうか?
それとも私が調査をしている間に別のどこかへ行ってしまったのだろうか?
私はさびしくなりそして不安になった。
そしてガラガラが寝ていた場所へ行ってみることにした。
日が沈みかけた花畑を私は走った。そしてガラガラの姿を探した。花畑の中に浮かぶ茶色い点を捜し求めた。
走るたびに花の種が舞い上がる。あたりを見ます。そしてまた走る――ふと私は足を止める。花の中にうずもれた茶色い点を、私の待ち人を見つけることができたからだ。
そいつは朝と同じように花畑の中で眠っていた。私はガラガラの近くに歩み寄りながら声をかけた。
「どうしたんだい、今日は食べに来ないのかい」
ガラガラには聞こえていない様子だった。
私は花を掻き分けさらに歩み寄った。とうとうガラガラの目の前までやってきた。
そして、気が付いた。
ガラガラは目を閉じて、たしかに眠っていた。
ただしその眠りは決して覚めない眠りであったのだ。
私はもう二度と、その目が開かないことを知ったのだ。私が触れたその体は硬く、そして冷たくなっていた。
――カラカラ、ガラガラたちは、死に分かれた母親の骨をかぶっているのだという。
これは科学的には正しくない。
――カラカラ、ガラガラたちには、彼らだけの墓があるのだという。
これも科学的には正しくない。
――けれどこいつはインスタント食品の所定時間がわかり、フォークを使ってカップ麺を食べることができた。これは私が見ていたのだから確かだ。
花畑に強い風が吹いた。風でわた毛ついたの種が舞い上げられ夕日の向こうに飛んでいく。沈みかけた太陽の光に吸い込まれるように。
私は花畑の中に穴を掘って夕食の相手を埋葬した。
あのときは薄暗かったから、あのときは遠目に見ていたから気が付かなかったが、今改めてよく観察してみればずいぶんと年をとっている。
頭蓋骨に刻まれた傷、使い込まれた骨……それらがこのポケモンの歳月を物語っていた。
こいつは死期を悟っていたのだろうか。
死に場所としてここを選んだのだろうか。
「こういう場所で死ねるなら、それはそれで幸せなのかもしれないな」
穴を掘り終わって花と共に亡骸を穴に納めた。
お湯がそそがれなかったもうひとつカップ麺の中身を取り出して、それも一緒に入れることにした。
「これは餞別だ」
風がいつまでも吹いて花畑は波打っていた。花畑が波打つごとにわた毛をつけた種が飛んでいく。彼らは風に飛ばされてどこへゆくのだろうか。
ほどなくして調査の全日程を終え、私はこの地を後にした。
あれから調査のために様々な地に赴いたものだ。
調査地の数だけ思い出があるが、あの日の出来事が一番印象深い。
――今になって思う。
私はあのころガラガラたちの墓は科学的に正しくないと思っていた。でも今は……、あの場所こそがガラガラたちの墓だったのではと思う。
あの荒地に突如現れた花畑……あの花々は彼らの亡骸を養分にして咲き誇っていたのではないのか。彼らは死期を悟るとあの場所で最期を過ごすのではないだろうか。 科学的に正しくないと思っていたのは今まで見つけた者が誰もいなかったからだ。
――カラカラ、ガラガラたちは、死に分かれた母親の骨をかぶっているのだという。
これは科学的には正しくない。
――カラカラ、ガラガラたちには、彼らだけの墓があるのだという。
いままで誰も見たものはいなかった。けれど私は見たのだ。
――そして彼らの中には、インスタント食品の所定時間がわかりフォークを使ってカップ麺を食べることができるやつがいる。
私が出会ったガラガラはそういうやつだった。
私は数年後に再びあの地を訪れたのだが、あの花畑を、彼らの墓をたずねることはついにできなかった。
あるはずの場所を何度も探した。それなのに見つからないのだ。
それでは私が見た花畑は幻だったのだろうか。いいや、私が見たのは幻なんかじゃない。あのときとったスケッチ、デジカメのデータ、そして花畑から失敬した数本の標本、すべて手元に残っているのだから。
ああ、そういえばこの花の名前がわかったよ。
この花にはね、名前がないんだ。
新種だったんだよ。
わたほうしのゆくえ 了