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賢い鳥1

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小さいころに野鳥を見に行ったことがある。いろんな色の羽。長い尾や小さな体。街中では見られない珍しい鳥も見た。
 でも、そのどれよりも街で暮らす真っ黒なカラスが好きだった。漆黒の羽がきれいで頭が良くて。母親が嫌っていても好きだった。



 母親に送られて練習場の門前にたどり着くと道路脇に人だかりができていた。子供ばかり五人。その足元に黒いゴミ袋が落ちていた。
 いや、違う。車を降りて見るとそれはカラスの死骸だった。黒一色の動かない塊となって地面に落ちている。ギャーギャー言いながらつつき回したい奴がいるのだ。
 悪趣味だと思うけど、わざわざ止めに入ろうとも思わない。無視して行こうとした時だ。集団の後ろを一人の少年が横切った。
 この春のセレクションで入った新顔だった。子供ながらに整った顔をしていて物静かな方なのにやけに目に付く。
 中学は偏差値が高いので有名な葉蔭学院中等部。練習も真面目だし人当たりが良くて大人好みの良い子という印象だった。
 少し前によその保護者とヤツが話しているところに通りかかったことがある。耳に入ってきた会話によると、ヤツの父親が以前プロチームのチームドクターをやっていたらしい。その当時の知り合いに「お父さんによろしく」ことづかるところだった。
「はい。父に伝えておきます」
 受け答えも、頭を下げて別れるまでの仕草も子供らしからぬ丁寧さで違和感さえあった。こんなヤツ周りにいたことがない。
 中学二年生になってフォワードのレギュラーをとったばかりの鷹匠瑛は優等生とは真逆の、いわゆるガキ大将だった。気が強くて声もでかい。瑛を中心に集まる子供たちもうるさいヤツばかり。
 そんな瑛の目には大人に媚びて見えた。優秀な頭、きれいな顔、その上練習熱心でコーチたちからも好かれて親は元プロのチームドクター。世の中何でも持っているヤツってのがいるものだ。
 当然ヤツはカラスに群がる集団を無視した。背後を素通りしかけて、途中で何に群がっているか気になったんだろう。チラリと見て足を留めた。意外だった。
 そして涼し気な目元を細めて片方の口角で笑った。しゃがんでカラスを取り囲む連中を見て。
「なんだそれ……」
 グラウンドで再び姿を見たときにはヤツが笑った連中と仲良く喋っているところだった。連中は笑われたことに気づいていない。
 その日もヤツは誰にだってイイ奴で練習にも真剣で行儀が良かった。
「イイ奴なもんか。とんだ裏表野郎じゃねーか」
 その日からヤツの親切そうな笑顔が全て嘘くさく見えるようになった。みんな騙されてる。

「そこまで!」
 コーチの号令でゴール前の一同から緊張が消えた。ミニゲーム形式の練習はそこで終わり。一時的な敵味方も解消でのんきな顔でコートを出る。その中で一人だけ苦い顔をして瑛は地面を蹴りつけた。
 それまではむしろ機嫌が良かった瑛の荒れた様子に仲間も声をかけ躊躇った。
「飛鳥すげェな!」
 対照的に普段は大人しいグループに属する少年たちが盛り上がっていた。普段は瑛たちに押されて萎縮しがちの連中だ。
 中心にいながら移動の指示をきっちり守って歩みを止めない飛鳥享を睨みつけた。視線を感じてか偶然か、ちらりと瑛を振り返った享は気遣わしげな顔を見せた。気に入らない。
 オーバーリアクション気味にそっぽを向いた。それをどう思ったのか享は引き返してまで隣に来た。まともに話すのは初めてだった。
「鷹匠くん」
「なんだよ、一回勝ったからって余裕を見せつけにでもきたのかよ」
 優しげな態度を崩さなかった享もあんまりな言われようにきれいな弧を描いた眉をピクリとさせた。それでも嫌味に嫌味を返すようなことはしない。
「余裕なんてないよ。さっきは偶然上手くいっただけだってちゃんとわかってるんだ」
 どうだか。小声でもすぐ隣にいれば聞こえただろう。それでも享は黙殺した。
「鷹匠くん上手いから、どうやったら止められるかずっと考えながら見てたんだ。良かったら今度一緒に練習しないか?」
 はにかみながら頭を傾げて顔を覗き込んでくる。人懐っこい仕草が大人びた少年の印象を和らげた。それもこれも計算でできた表の顔でしかない。
「よく言うぜ。俺は騙されねえからな!」
 きつく当たられる心当たりの無い享が戸惑っている間に瑛はズンズン大股で歩いていってしまった。怒鳴っても腹が収まらない。嫌いなヤツに負けたというのがプライドを傷つけて許さなかった。

 嫌われている相手とは関わらない。それが享の結論だった。
 理不尽に怒鳴りつけられて以来、享に味方する子供とそれ以外がはっきりわかれてしまった。
 もちろんコーチや大人の目もあるからお互いに嫌がらせをしたり派手な喧嘩をするわけではない。ただ空気が悪い。
「おい、さっさとそっち片付けろよ」
 瑛と同調する子供が必要もないのにせっつくとチーム内でも人一倍大人しい少年が柄にもなく眉をしかめた。ここ数日の享に対する当たりの厳しさに苛立ったのは享本人よりも周囲の方だ。
 イライラが膨れ上がっていたところに最後の一刺しをくらって声を上げそうになったところを享が肩を叩く。
「手伝うよ」
 発声のタイミングを逸らされて噴出しそうになった怒りが空中でから回る。慰めるように肩をポンポン優しく叩かれると熱い水蒸気が冷えて水滴になるみたいに怒りが情け無さに変わってしまう。
「飛鳥……」
「急ごう。君もごめん」
「あ、ああ」
 戸惑うのは自分が理不尽だった自覚があるからだ。それ以上何も言えなくなって振り返る。少し離れたところで様子を見守っていた瑛に目で何かを訴える。向こうに落ち度があると思えるからこそ理不尽だって言えるのだ。これでは一方的な悪者だ。
 そんなことが続くと瑛一人が悪いような空気が流れ始めた。瑛が誰かを煽動したことはないのに。
「何でアイツは飛鳥に怒ってんだ?」
 ポツリと誰かがそれを口にしても答えは聞こえてこない。元々瑛と仲が良かった少年も、瑛のマネするように享やその周囲に辛く当たった少年も。
 誰も知らなかった。聞かれたって瑛は何も言わないからだ。
 一時的にピリピリしたチームも享の態度と瑛が無言を貫いたおかげで鎮火していった。瑛だけを取り残して。

 もう夏かと思う日が続いていた。夏本番の前に梅雨がくるのは分かっていて、ちょっと雨が降るたびにいよいよかと身構えるが大抵は通り雨で終わる。肩透かしの連続だった。
「どうせならさっさとドバっと降りゃいいのに」
「そしたらグラウンド使えなくなるじゃん」
「でも大雨ってテンション上がらねえ?」
「つうか梅雨っていつからだっけ。飛鳥知ってる?」
 整列して待機中、指示を出していたコーチが呼び出されたことで出来た空き時間。すぐに戻ると言いながらもコーチはなかなか戻ってこなかった。だけどいつ戻ってくるかもわからないので列を乱したりできない。
 立ちっ放しの並びっぱなしで出来るのはおしゃべりぐらいだ。背後からいきなり話を振られた享はゆっくり首だけで振り返った。
「今年は六月半ばって聞いたけど、去年はたしか五月終わりぐらいじゃなかったかな」
「えー俺梅雨って七月ぐらいだと思ってた!」
作品名:賢い鳥1 作家名:3丁目