賢い鳥1
「ンもう、風邪ひかないようにしてね」
寝室に母を押し込んでからちょうど放送していたスポーツニュースを見て、サッカーの話題が終わったところで部屋に移動した。
部屋には毛布と枕が運び込まれていた代わりに脱ぎ散らかしてあった服が消えていた。上着はハンガーにかけられている。やましいことは何もないつもりだけれど勝手に部屋のものを触られるのは面白くない。舌打ちして八つ当たり半分にベッドの上の上掛けを蹴散らした。
「せめぇけどベッドでいいだろ」
枕を二つ並べて毛布を半分だけ引き入れる。窮屈でも毛布を一枚ずつ使えば布団を全て奪いとってしまうことはないだろう。
「いいよ、床で寝る」
「寝相悪けりゃ自動的にそうなるからベッド入っとけ」
先に布団に滑りこんで半分布団をめくってやると遠慮がちに入ってきた。誰かと雑魚寝した経験は何度もあるけど、これは何か違う気がした。お坊ちゃんだからか友達と距離を置いているせいか、こういう雑な扱いに享が馴れていないせいだ。
客用の枕に頬を摺りつけてふんわり笑った。
「よその家の匂いだ」
「押入れの匂いだろ」
「確かに布団とは違う匂いがする」
「あんまり嗅ぐなよ」
上掛けは昨晩も被って寝たものだからお日様の匂いなんかとっくに消えていて臭いばかりだと思う。自分の体臭は自分ではよく分からないけれど。からかうわけでもなく穏やかに嬉しそうにされても居心地が悪い。
「合宿とか修学旅行とか、他人と一緒に寝ることはあるけどこういうのは初めてだ」
「友達いねえもんな」
「家に遊びにいくぐらいはしてたよ。泊まったりしないだけだ」
「じゃあ緊張して今日眠れねえんじゃねえの」
からかったつもりが返事がない。代わりにもぞもぞ動いて背中を向けられた。
「あんまり端に行くと落ちるぞ」
「……人が同じ布団の中にいると落ち着かないから」
「そうやって気にして避けてっからダメなんだよ」
薄っぺらい腹に腕を回して引き寄せた。
「うわっ」
暴れた足がぶつかり合う。風呂上りなのに少し冷たかった。
わざと足を蹴ると背を向けたまま蹴り返される。また蹴ると今度は二度蹴られた。ムキになって布団の中で蹴りつけあう。
仕掛けたのは自分なのに柄になくやり返す享がガキ臭いと思った。大人や仲間の前では澄ましているくせに外泊ぐらいで緊張して眠れなくなって。くだらない小競り合いにだって乗っかる。
そんな享を無性に構い倒したくなってそっと襟足にて伸ばした。指が髪に触れる瞬間。享が体をぐっと丸めてくしゃみをした。反射的に手を引っ込める。何故だか急に悪いことをしようとしていたような変な緊張が襲ってきて手を体の後ろに隠した。
「ちゃんと布団被ってろよ」
「大丈夫だよ。十分暖かくしてる」
端に寄るのをやめても暴れればすぐに上掛けから手足がはみ出る。こたつの上掛けも持ってくれば良かったかもしれない。
動きまわるのをやめて口を閉じると途端に居た堪れない気持ちになった。
「あ―――……」
「何だよ」
沈黙が耐えられなくて無意味に声を出しただけなのだけれど、それを素直に言うのもきまりが悪くて無理に話題を探した。
「なあ」
「うん」
「……高校行ったら――――や、違う。高校行っても、なんとかしてサッカー続けろよ」
「当たり前だろ。何て言われても、新しくどんな条件を出されても辞めたりしない」
「そっか」
「なあ、タカ」
「ン」
「ありがとう」
「改まって言われるとムズムズするから要らねーよ」
「茶化すなよ。今日のことだけじゃなくて……」
「いいからさっさと寝ろ」
また足を蹴ってやったけど、今度はやり返されなかった。代わりに毛布に口を埋めながらクスクス笑って「おやすみ」を言った。
「おやすみ」
慎重に背を向ける。足が触れないように。眠れそうもないのに目を閉じた。
その年の夏前に瑛はU-15日本代表に召集された。逢沢傑のいるチームに。