我が心臓に杭を
「セブルス。わしが死んだ後、ホグワーツは闇の勢力の手に落ちることになる。きみは次の校長に就任し、生徒たちを守るために尽力してほしい」
老いた魔法使いは静かな、しかし有無を言わせぬ調子で命じた。
「…私は、マルフォイの代わりにあなたを殺さなければならない。前に、あなたはそう命じましたね。そして裏切り者となり、闇の帝王の忠実なしもべを演じながら、あの少年を…ハリー・ポッターをひそかに手助けするようにと」
スネイプは淡々とした口調で確認するように言った。
「すでにそれだけでも困難な仕事です。その上さらに、生徒たちを守るという難題まで押し付けるわけですか。しかも、そのことを誰にも悟られずに?」
スネイプは自嘲した。もう理不尽な運命にも慣れていた。どれほど残酷な命令でも、選択肢などないのだ。
なぜなら、かつて『リリーの命を救ってほしい』とダンブルドアに懇願したとき、スネイプは誓ったのだから。『何でもする』と。結果としてその願いは叶わず、リリーは無惨にも命を散らしたが、だからといって『何でも』と誓ったことが無効になるわけではない。誓約の言葉は決してたがえてはならない。それが魔法界の掟だ。だからスネイプはダンブルドアのどんな命令にも従ってきたが、今回に限っては注文が多すぎる。
「難しい任務だ…。デス・イーターから疑われずに生徒たちをどこまで庇えるか」
「だが、きみならやってくれると信じているよ」
「…簡単におっしゃる」
スネイプはため息をついた。
「では、ひとつ私の頼みを聞いてください。誓約を…結んでほしいのです」
ダンブルドアは眉をあげた。
「誓約を?」
「はい。あなたが私に命ずる内容を、〈不破の誓約〉として私にかけてください」
不破の誓約は決して破れない誓いであり、呪いでもある。つまり、対象者が誓約の内容を守りきれないときは、呪いによって死ぬということだ。
「そんなことをする必要はない」
老魔法使いは強く言い放った。
「きみは命と引き換えに脅されたりしなくても、立派に任務を遂行できる。危険な誓約など無意味だ」
「いいえ。私には必要です。あなたへの忠誠の誓いが、あなたの死後も私を奮い立たせてくれるかどうか分からない。万にひとつも心が揺れないように、どうか〈不破の誓約〉を…」
――これは願いではない。わがままだ。たったひとつの願いはもう使ってしまったのだから。
「死ぬ前に、私のわがままをひとつくらい聞いてください」
スネイプは強く求めた。
「あなた亡き後の世界で、私は一人で戦わねばならないのですよ。迷わずに立っていられるように、あなたを裏切らずにいられるように、どうか…」
ダンブルドアはかなり長い間考え込んでいた。
「…ハリーを助け、導くことが最重要じゃ。目的を遂げる前に無駄に死んではならない。それを約束できるなら、」
――セブルス、きみの望む通りにしよう。
そして二人は古くからの慣わしにしたがって右手と右手をあわせ、誓約の儀式を行った。
「汝、セブルス・スネイプは…アルバス・ダンブルドア亡き後、汝の力の及ぶ限り、ホグワーツの生徒を守ることを誓うか?」
「…誓います」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
真夜中のホグワーツ。
夜間外出は厳しく禁じられているため、長い廊下に生徒の姿はない。この時間に校内を歩いている人間は、見廻りの教員とフィルチくらいのものだ。
静まり返った中、スネイプは校長室への道を急いでいた。
「くっ…!」
体が揺らぎ、壁に手をつく。激しい痛みが彼を苛んでいた。
荒く息をつき、壁にもたれかかる。
今日もまた、生徒がデス・イーターから危害を加えられるのを防げなかった。
教師の職についた闇のしもべどもは、何かと難癖をつけては生徒を虐待する。スネイプはそれとなく牽制し、できるだけ軽い罰ですむように取り計らっているが、完全には庇いきれない。
とりわけ厄介なのは、みずから反抗してくる生徒の存在だった。その筆頭が、ネビル・ロングボトムとジニー・ウィーズリーだ。二人はハリー・ポッター不在の今、ホグワーツのレジスタンスを率いるという使命感を持っている。
彼らはデス・イーターにとって目障りな存在だ。そしてまたスネイプにとっても、頭の痛い問題だった。彼らが反抗的な態度を示し、あるいは下級生を庇ってデス・イーターから暴力を振るわれるたび、〈不破の誓約〉がスネイプの心臓に爪を立てる。「誓約を守る気があるのか?」と脅し、体内を食い荒らすのだ。
生徒に加えられる危害は、すなわちスネイプへの危害でもある。そのことを知っている者は、本人以外にはダンブルドアだけだったが、彼ももうこの世にはいない。
(こんなところで倒れるわけにはいかない…)スネイプは自分を叱咤した。
生徒はもちろん、ヴォルデモート配下の者にも、ダンブルドア派の教員にさえも、弱みを見せることは許されない。
ほとんど気力だけで、スネイプは暗い廊下を歩き続けた。しかしその気力ももう尽きようとしていた。大きな発作が襲ってきたとき、とうとう耐えきれず、スネイプはガクリと膝をついた。
世界がぐるりと回転する。冷たく固い石の感触を頬に感じ、スネイプは自分が倒れ伏していることを知った。
まずい状況だ、と彼は思う。しかし立ち上がれない。体を内側から引き裂かれるような痛みは収まる気配がない。それどころか、ますますひどくなるようだ。
このまま這いつくばっていたら誰かに見つかってしまうかもしれない。教員とは名ばかりのサディスト、カロウ兄妹はしばしば夜中の校内をうろついている。遭遇する可能性は高い。が、カロウ兄妹はデス・イーターの中ではあまり頭がよくない方――はっきりいって間抜け――なので、適当にごまかせる見込みはある。
嫌なのは、ダンブルドア派の教員に見つかることだ。例えばマクゴナガル教授。
マクゴナガルはハリー・ポッターの熱心な庇護者だから、スネイプがダンブルドアを裏切りヴォルデモートについたと信じきっているようだが、油断はできない。彼女は割りと情にもろいので、どう見ても瀕死のスネイプを見れば、驚いて介抱しようとするかもしれない。見る者が見れば、この症状が〈不破の誓約〉によるものだと分かるだろう。勘の鋭い彼女のこと、スネイプが実はダンブルドアの命令で動いていることに気づく可能性がある。
(それだけは絶対に避けたい)とスネイプは思った。
はたして、スネイプの異常に敏感な耳は、ひたひたと近づいてくる微かな足音をとらえた。
しのび歩きのような、気配を消そうとするかのような歩き方。
ああ、これは最悪のパターンだと、スネイプは己の運のなさに心の中でため息をついた。こんな歩き方をするのは、夜間外出の禁を破って何事かを企む生徒に違いない。もちろん、グリフィンドール生だ!いつの時代もスネイプの天敵である。
スネイプはその人物が途中で引き返すか、角を別の方向へ曲がることを祈りながら、息を殺し苦痛に耐えていた。人物は、スネイプが倒れているほうには来ないようだった。
(そうだ…よし…そのまま行け)
ところが、今度は別の足音が近づいてきた。
老いた魔法使いは静かな、しかし有無を言わせぬ調子で命じた。
「…私は、マルフォイの代わりにあなたを殺さなければならない。前に、あなたはそう命じましたね。そして裏切り者となり、闇の帝王の忠実なしもべを演じながら、あの少年を…ハリー・ポッターをひそかに手助けするようにと」
スネイプは淡々とした口調で確認するように言った。
「すでにそれだけでも困難な仕事です。その上さらに、生徒たちを守るという難題まで押し付けるわけですか。しかも、そのことを誰にも悟られずに?」
スネイプは自嘲した。もう理不尽な運命にも慣れていた。どれほど残酷な命令でも、選択肢などないのだ。
なぜなら、かつて『リリーの命を救ってほしい』とダンブルドアに懇願したとき、スネイプは誓ったのだから。『何でもする』と。結果としてその願いは叶わず、リリーは無惨にも命を散らしたが、だからといって『何でも』と誓ったことが無効になるわけではない。誓約の言葉は決してたがえてはならない。それが魔法界の掟だ。だからスネイプはダンブルドアのどんな命令にも従ってきたが、今回に限っては注文が多すぎる。
「難しい任務だ…。デス・イーターから疑われずに生徒たちをどこまで庇えるか」
「だが、きみならやってくれると信じているよ」
「…簡単におっしゃる」
スネイプはため息をついた。
「では、ひとつ私の頼みを聞いてください。誓約を…結んでほしいのです」
ダンブルドアは眉をあげた。
「誓約を?」
「はい。あなたが私に命ずる内容を、〈不破の誓約〉として私にかけてください」
不破の誓約は決して破れない誓いであり、呪いでもある。つまり、対象者が誓約の内容を守りきれないときは、呪いによって死ぬということだ。
「そんなことをする必要はない」
老魔法使いは強く言い放った。
「きみは命と引き換えに脅されたりしなくても、立派に任務を遂行できる。危険な誓約など無意味だ」
「いいえ。私には必要です。あなたへの忠誠の誓いが、あなたの死後も私を奮い立たせてくれるかどうか分からない。万にひとつも心が揺れないように、どうか〈不破の誓約〉を…」
――これは願いではない。わがままだ。たったひとつの願いはもう使ってしまったのだから。
「死ぬ前に、私のわがままをひとつくらい聞いてください」
スネイプは強く求めた。
「あなた亡き後の世界で、私は一人で戦わねばならないのですよ。迷わずに立っていられるように、あなたを裏切らずにいられるように、どうか…」
ダンブルドアはかなり長い間考え込んでいた。
「…ハリーを助け、導くことが最重要じゃ。目的を遂げる前に無駄に死んではならない。それを約束できるなら、」
――セブルス、きみの望む通りにしよう。
そして二人は古くからの慣わしにしたがって右手と右手をあわせ、誓約の儀式を行った。
「汝、セブルス・スネイプは…アルバス・ダンブルドア亡き後、汝の力の及ぶ限り、ホグワーツの生徒を守ることを誓うか?」
「…誓います」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
真夜中のホグワーツ。
夜間外出は厳しく禁じられているため、長い廊下に生徒の姿はない。この時間に校内を歩いている人間は、見廻りの教員とフィルチくらいのものだ。
静まり返った中、スネイプは校長室への道を急いでいた。
「くっ…!」
体が揺らぎ、壁に手をつく。激しい痛みが彼を苛んでいた。
荒く息をつき、壁にもたれかかる。
今日もまた、生徒がデス・イーターから危害を加えられるのを防げなかった。
教師の職についた闇のしもべどもは、何かと難癖をつけては生徒を虐待する。スネイプはそれとなく牽制し、できるだけ軽い罰ですむように取り計らっているが、完全には庇いきれない。
とりわけ厄介なのは、みずから反抗してくる生徒の存在だった。その筆頭が、ネビル・ロングボトムとジニー・ウィーズリーだ。二人はハリー・ポッター不在の今、ホグワーツのレジスタンスを率いるという使命感を持っている。
彼らはデス・イーターにとって目障りな存在だ。そしてまたスネイプにとっても、頭の痛い問題だった。彼らが反抗的な態度を示し、あるいは下級生を庇ってデス・イーターから暴力を振るわれるたび、〈不破の誓約〉がスネイプの心臓に爪を立てる。「誓約を守る気があるのか?」と脅し、体内を食い荒らすのだ。
生徒に加えられる危害は、すなわちスネイプへの危害でもある。そのことを知っている者は、本人以外にはダンブルドアだけだったが、彼ももうこの世にはいない。
(こんなところで倒れるわけにはいかない…)スネイプは自分を叱咤した。
生徒はもちろん、ヴォルデモート配下の者にも、ダンブルドア派の教員にさえも、弱みを見せることは許されない。
ほとんど気力だけで、スネイプは暗い廊下を歩き続けた。しかしその気力ももう尽きようとしていた。大きな発作が襲ってきたとき、とうとう耐えきれず、スネイプはガクリと膝をついた。
世界がぐるりと回転する。冷たく固い石の感触を頬に感じ、スネイプは自分が倒れ伏していることを知った。
まずい状況だ、と彼は思う。しかし立ち上がれない。体を内側から引き裂かれるような痛みは収まる気配がない。それどころか、ますますひどくなるようだ。
このまま這いつくばっていたら誰かに見つかってしまうかもしれない。教員とは名ばかりのサディスト、カロウ兄妹はしばしば夜中の校内をうろついている。遭遇する可能性は高い。が、カロウ兄妹はデス・イーターの中ではあまり頭がよくない方――はっきりいって間抜け――なので、適当にごまかせる見込みはある。
嫌なのは、ダンブルドア派の教員に見つかることだ。例えばマクゴナガル教授。
マクゴナガルはハリー・ポッターの熱心な庇護者だから、スネイプがダンブルドアを裏切りヴォルデモートについたと信じきっているようだが、油断はできない。彼女は割りと情にもろいので、どう見ても瀕死のスネイプを見れば、驚いて介抱しようとするかもしれない。見る者が見れば、この症状が〈不破の誓約〉によるものだと分かるだろう。勘の鋭い彼女のこと、スネイプが実はダンブルドアの命令で動いていることに気づく可能性がある。
(それだけは絶対に避けたい)とスネイプは思った。
はたして、スネイプの異常に敏感な耳は、ひたひたと近づいてくる微かな足音をとらえた。
しのび歩きのような、気配を消そうとするかのような歩き方。
ああ、これは最悪のパターンだと、スネイプは己の運のなさに心の中でため息をついた。こんな歩き方をするのは、夜間外出の禁を破って何事かを企む生徒に違いない。もちろん、グリフィンドール生だ!いつの時代もスネイプの天敵である。
スネイプはその人物が途中で引き返すか、角を別の方向へ曲がることを祈りながら、息を殺し苦痛に耐えていた。人物は、スネイプが倒れているほうには来ないようだった。
(そうだ…よし…そのまま行け)
ところが、今度は別の足音が近づいてきた。