【相棒】(二次小説) 深淵の月・柘榴の目
深淵の月・柘榴の目
ざざざざ。林の中を飛びながら梢を風切羽で薙ぎ払う。
ざざざざ。追い風は宙を舞う“わたし”のたすけとなる。一度の羽ばたきでかなりの距離を進むわたしは大きな鳥なのだと知れた。
ひゅう。上昇気流に乗ってかなりの上空まで舞い上がった。次の瞬間、目当てのものを見つけた。
“ ざあっ! ”
急降下するわたしの目に標的が見えた。社だ。小さなちいさな社だ。壊れる。こわす。わたしが?だれが?
「!!」
はっと目を見開いた。現実と夢のはざかいは定かでなく眼球を右に左に動かして見慣れた天井の実存を確認する。やがてこれが本物の視覚と認識出来て長いため息をつく。桐生院怜はベッドの上に起き上がった。
『なに…今の…。』
さらりと艶やかな黒髪をかき上げる。夢に侵入されたのは久しぶりの事だ。幼い頃は毎晩だったが最近では滅多にない事だった。だからこそそんな時はかなり強い「力」を持った何者かが何らかのアプローチを仕掛けてきているものと容易に知れる。自分と「繋がっている」嵯峨崎仁にまで影響が及ぶのが申し訳なく、自らのガードは常に最強のレベルで保たれている。
なのに今夜、それが破られたらしい。
しかしその綻びが見当たらない。やはりそうだったのかと怜は意識のセンサーを引っ込めた。今のは夢ではなく、実際にリアルの何処かで体験したものなのだ。誰かに乗って。誰かの意識に乗っかって。誰か?一体何者だというのだろう。あれは人間ではなかった。
『鳥…?』
そう、鳥だった。羽根というよりは翼と言った方がしっくりくる大きなそれを羽ばたかせた事。感じていた。覚えている。こんな事は怜にとっても初めてだった。動物の意識の上に乗っかるなどと。それに。
『あの社…』
意識を乗せた「鳥」はあの社を壊そうとしていた。何故?本来社は守られるべきものである。ならば「鳥」の方が禍々しい存在という事だろうか。わからない。あまりにも突然であまりにも判断のデータがなさすぎる。
『また来る?』
そんな気がした。ていうか、と怜はもう一度髪をかき上げる。向こうが「来る」というよりも
「この場合、私が“引っ張り出される”って事よね…?」
半ば呆れたような口調で呟いた。この一人暮らしのマンションにも実家というより「桐生院家屋敷」たる鎌倉の家にも、もちろん大阪のおじの道場にも完膚なきまでの結界を張っている。そこから桐生院怜の意識だけを引っ張り出すなど殆ど不可能な事だからだ。しかしそれをやってのけた輩がいる、しかもやすやすと。
「…大丈夫かな、春樹くん…。」
怜が心配するのはまずそこだった、常に。大河内はほとんどの人間にはわからない「凄まじい特技」というか「才能」があるのだから本来怜が抱くような危惧は不要である。けれど理屈で納得させられないのが情であり、世の中というものは“何が起きるかわからない”と嫌というほど身に沁みているのが怜だからだ。それに。
大河内は【キリュウのいざこざ】に引きずり込まれてしまったのだ。自分のせいで。
「……。」
ぎゅ、と唇を噛み締める。明日また警視庁に行ってみよう。怜はベッドを抜け出した。午前二時二十分。もう一度眠る気はさらさらなかった。
「♪そうさいっかの、イ~タミン♪」
「ってビタミンみてーな呼び方すんじゃねえ怜!!」
般若顔で振り返り遠慮なくスパーン!と頭をどついてくる伊丹。あははと懲りずに笑う怜は捜査一課を訪れる度にこれをやらかしているのだ、仁と交代で。新喜劇のテッパンネタのようでそれとわかりつつもついついやらかさずにいられない伊丹、これも性(サガ)だろう。亀山との漫才(アレ)をどうしてもやめられなかったのもそのせいだ。
「ったくおめーらはいつもいつも、って仁はどうした。今日はいねーのか?」
「うん、今日は外せない実習だからってソデにされた。憲兄(けんにぃ)によろしゅうってゆうてたで。」
「なにがよろしゅうだ!っ、ん、ムグ。」
「はい今日はやきたてパン。サンドイッチもあるよ。」
「お!怜ちゃんのパンだったら食う!酵母が自家製なんだもんなー!今日のはなに?」
「りんごとぶどう。香りがなんか違うの、果物で作る酵母って初めてだけど面白かったわ。芹沢さん卵のっけたのいかが?」
「なんでも食べるー。」
途端にわいわいと一課の中が賑やかになる。警視庁に来る度に各種差し入れを欠かさない怜と仁、若さも相俟って既に一課のおじさん連中の中では可愛がられる存在となっている。
「憲兄、カツサンド。コーヒーは?」
「…おう。」
自らもコーヒー党の怜は大河内と伊丹だけにコーヒーの差し入れをする。これがまた美味い。豆か水か器具か何が違うのか定かにはわからないがとにかく美味い。伊丹は差し入れもそうだが実はこのコーヒーを楽しみにしている、密かに。決して怜には言ってやらないが。
「…大河内監察官とこにはもう行ったのか?」
「ん?ううん、ちょっと取り込み中かなーと思って。」
「ふーん。」
こいつが言うならそうだろう。伊丹はどこか不思議なものの気配を感知していた、怜と仁双方に。きょろ、と課室を見回してにっこり笑う怜。この笑顔を見ると伊丹はなんとも言えない落ち着いた気分になる。そういえば体調もいい、怜と仁が警視庁に出入りし始めた頃抱えていた腰痛がいつの間にか消えたのにも驚いたものだ。スポーツマッサージの技術を持っているという仁に出会う早々“治療”してもらったからだろうか。マグカップを傾けコーヒーを飲み干し、少々行儀悪く机に並んで腰掛けている怜を見た。
「お前、寝てねえな?」
「えっ?」
「帳場立った時の俺らみてーな顔してやがる。どうした。大河内監察官とケンカでもしたのか?」
驚いた顔で目を見開き、自分を見上げてくる怜。大きな瞳が更に大きくなって輝いている。
「…敵わないなあ…寝てないってなんでわかるの?憲兄。」
「伊達に捜一の看板しょってねえんだよ。オラ、とっととゲロしろ。ケンカしたのか?」
「やだ、それは違うよ。変な夢見ちゃったの。」
「夢?」
うん、と頷いて髪をかき上げる。さらさらと黒髪が流れて頬に落ちた。
「詳しくは覚えてないんだけどね。なんか、お社が出てきた。」
「おやしろ?」
「うん。ちっちゃなお社なんだけどね?山ん中の、昔からよくある、山の神様をお祀りしてるみたいな…ちっちゃいお社。」
「社…?」
が、たったそれだけの怜の言葉に伊丹は指を口許にあて何やら考え込んだ。「?」と小首を傾げた怜に伊丹は手近なデスク(芹沢のだ)から青い表紙のファイルを取り出しばらばらと些か乱暴に捲った。やがて目当てのものを見つけたのか伊丹が捜査員の顔で怜を見た。
作品名:【相棒】(二次小説) 深淵の月・柘榴の目 作家名:イディ