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花弁にキス

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「んー、何でだろうなあ」
 一年の時の合宿課題で勝負した時から始まり、胸の熱くなる勝負は何度もあった。勝負の数だけ思い出深い味がある。その中では、このジェラートは、日常の片隅にある些細な思い出にすぎない。
 冷えた唇を舐めたっきり、答えをはぐらかされた。
「そういえばさ、俺、あれからちょっと花のこと調べたんだよな」
「なるほど、あの後雨が降った記憶がある」
「梅雨だったじゃねーか」
 創真はコロコロした青紫の果実を転がしてスプーンに乗せ、目線の高さに持ち上げてからパクリと食べた。
「藤の花の花言葉さ、お前知ってたか?」
「…………なんだっていうんだ」
 知らないわけじゃない。同じように調べてみたのだから。だけど、口に出し難く思っていたから黙っていた。
「“至福のとき”だってさ。俺、この学園にお前がいて楽しかったよ。一人で店で料理作ってたら味わえないことが沢山でさ」
「ああ……」
「結構お前のこと好きだったぜ」
「ああ……知ってたよ」
 そこで手を止めてしまった。花びらは皿の上で解けて消えていく。掬っても、掬っても、もう戻らない。
 沢山を得た学園生活だった。だけど、何もしなかったような、そんな気もした。


 店に立ち始めた頃からタクミを知る夫人は意地の悪い微笑みでタクミの沈黙を受け止めた。
 母親ほど歳の離れた女性だけれど、親子ではない独特の距離感でからかってくれる。
「お褒めに預かり光栄ですよ」
「まあ。本当に成長したこと」
 厨房にいたイサミが笑い出す声が聞こえて、苦情をつけに踵を返したとき、トラットリアの扉が勢い良く開かれた。
「やっぱり!ズルイわ!母さん一人でタクミのご飯を食べに来て」
 飛び込んできたのは彼女の妙齢の娘だ。そのままストンと向かいの席に腰を下ろしてしまった。
「やあ、ご注文は?」
「今日のパスタと、明日のあなたの予定をちょうだい。バルディーニ庭園の藤棚が見頃なの」
「あら、貴女ボーイフレンドが泣くわよ」
「知らないわよ、あの朴念仁」
「タクミもいい勝負だと思うけど?昔、貴女が髪に飾るつもりのお花を見せびらかしたら『何これ』って言われてすっごく怒ってたじゃない」
「じゃあイサミを誘うわ」
「ごめんねー、ボク予定があるんだ」
「もう!」
 ふくれっ面の娘も、厨房でイサミが仕上げたパスタの皿を運ぶと頬を緩めた。トマトの匂いを肺いっぱいに吸い込めば口元も緩む。
「藤棚はやっぱりボーイフレンドを誘っていきな。そこで花言葉を教えてやるといいよ」
「知ってるの?」
「“あなたの愛に酔う”」
「あらあら、本当に日本でどうにかなっちゃったのかしら。あのタクミがねえ」
「ブハッ」
「笑うなイサミ!」
 つられて常連客たちが愉快そうに笑い出す。少し、学園で仲間に囲まれて大騒ぎしたあの日に似ていた。
 トラットリアの裏手の小さな庭では白い薔薇が蕾をふくらませている。

 “愛するには若すぎる”
作品名:花弁にキス 作家名:3丁目