天使への遺言
「天使へ――」
そう書いただけで、手は止まったままだ。
書こうとしているうちから思い出に浸りきり、いまだ何も書けないでいる。
これを書き終えたら共に添えて贈るつもりの羽根ペンを置く。
天使への遺言と共に贈るための。
そうして私は、すぐ脇にある窓を開け、目の前の広場を臨む。澄み切った青空と穏やかな陽差しの中、そこには人々が集い、思い思いに過ごしている様子が見てとれた。
明るく楽しい場所――おまえのような場所。
今までの女王陛下のように、崇められるわけではない。けれど親しみをもって民の皆から愛されている。実におまえらしい尊ばれ方で、微笑ましい――エリューシオンは良いところだ。
そうだ。
私は、このエリューシオンで……おまえが大切に育てたこの地で、何か間接的にでも良いから、おまえに役立つようなことをして生きていこう。
私の――女王陛下。
おまえの御代に幸多かれと祈りながら生涯を全うし――
そのとき。
部屋の外から、バタバタと駆けてくる騒々しい足音が聞こえ、それがすぐ近くまで来たかと思うと止まり……バタン!と勢いよく扉の開く音がした。
まさか。
振り返ろうとしたときにはすでに、背後からすさまじい力で抱き締められた……というか、腹に腕を回され絞り上げられたと言うべきか。
身動きの取れぬまま、それでもどうにか首を捻って振り返ると、見慣れた……そう、見慣れた金色の巻毛が目に入った。
だがしかし、何故、どうして、と問う暇すら与えられなかった。
それというのも。
「だめ! ジュリアス様……死んじゃ、だめーっ!」
「……はぁ?」
いきなり訳のわからぬことを叫ばれ、しかも、背にあまりにも温かで柔らかな感触が押しつけられていることに気づき、気が動転した。動転して私は、全くもってどうでも良いことを叫んだ。
「相変わらず不作法な! ノックをせぬか!」
だがおまえも負けてはいない。
「不作法だなんて、挨拶もなしに黙って出ていっちゃうような礼儀知らずの人に言われたくありませんっ!」
参った。思わず私は口を噤んでしまった。
一方おまえは首を動かし、すぐ側の机の上を見ている。良かった――まだおまえへの呼びかけしか書いていなくて幸いだった……が。
しまった。封筒を出したまま……そう思った瞬間、後ろから悲鳴のような叫び声が放たれる。
「ほら、封筒に『遺言』なんて書いちゃって……やっぱりーっ!」
言うやいなやおまえは、私の背中でわんわんと泣き出す始末だ。そのようなことを私が本気で考えているのであれば、決して『遺言』ではなく『遺書』と書く……などと、これまた、この際どうでも良いことを考えながら、全身の力が抜けていくのを感じた。