天使への遺言
「ま……まさか」
ええ、そうです、とおまえは、先程とは打って変わってにっこりと笑った。
笑って、言った。
「女王を辞退してきちゃいました」
思わず私は、がしっとおまえの両肩をつかんだ。
「な……なんということをしでかしたのだ、おまえは!」
「だって」
我関せずとばかりに私の勢いを制しておまえは言った……すさまじい破壊力で私を打ちのめすような言葉を。
「だって、宇宙や民のことは、ロザリアや守護聖様方『でも』大丈夫だけど」
「……何を言いたい」
打ちのめされながらも私は、腹の底に力を込めて問う――充分、おまえなら言い出しかねない戯れ言への衝撃に備えるべく。
「ジュリアス様には、私『しか』いないわ」
……予想していたが、やはり堪えた。あまりのことに気を失いそうだ。
「……って皆さんの前で言ったら」
「皆、怒り狂ったであろう! そのような不埒なことを申して……!」
だが、目の前の『天使』は、まさにこの、エリューシオンという暢気で気の良い地の育成者であるがゆえに、いたって暢気に答えた。
「ええ……ロザリアはちょっと怒ってましたけど、あ、でも、ロザリアももともと女王になりたかったし、あのエリューシオンの危機の時、私がどうにかベッドから這い出たときロザリアもベッドから身を乗り出して、くれぐれも頼むって叫んでたんですよ。ロザリアだって気概は充分です、絶対大丈夫、立派な女王になってくれますって。それになんてったって、守護聖様方がついているんですもの」
その言い様に私が呆気にとられていると、ふとおまえは思い出したように言った。
「あ、それとクラヴィス様が」
ぎょっとして私は、おまえを見る。思えば、この件についてはあの男の怒りが最も大きいことだろう。
「何か、くすくすと小さく笑う声が聞こえるなぁって思っていたらそのうち……」
え?
「大声でお笑いになって……クラヴィス様の、あんなに楽しそうな笑い声を聞いたの、私、初めて」
ええっ!
……どうやら私が相当驚いていたらしい。おまえもまた肩を震わせて笑いながら、クラヴィスが言った言葉を私に伝える。
傑作だ。おまえ、今言った言葉をぜひ、『あれ』に言ってやれ……おまえに言われたときの『あれ』の顔が見たい。
「……って、おっしゃってました」
その言葉に、私は呻いた。
「……とことん意地の悪いヤツだ……」
それで皆さん、つられるように笑っちゃって、と続けたおまえの言葉に、私は我に返った。
もともと、私がとてもジュリアス様を慕っていたし、ジュリアス様もまた私の面倒をよく見てくださっていたので、このたびのことは……とても声もかけられないほど、むごいことだとお思いだったんですって。だから皆さん、ジュリアス様の所へはとても近づけなかったって。
「信じられない」
私への同情か? いや、おまえに毒気を抜かれたという方がはるかに正しいのではないか。
「ロザリアも引き受けてくれました」
私の心の中の悪態は聞こえないので、おまえは平然と続ける。
そして、こうも言ってくれました。
もしも、実は私の思いこみで、ジュリアス様がちゃっかり他の女の人と仲良く元気に暮らしていたら、とっとと聖地へ戻っていらっしゃいって。あなたなんか役に立たないけど、女王補佐官なら、やらせてあげてもいいって……ロザリアっていい人ですね」
「そういう問題ではなかろう……」
再び全身から力が抜けて私は、仰け反るように窓際の壁へ背を預けた。
「それにしても……」
この、私の中の根底を大きく揺るがすような出来事で疲れ果てた私は、話題を変えることにした。
「はい?」
「どうして私がここに……エリューシオンのこのホテルにいるとわかった」
「ああ」くっ、と笑っておまえは私を見る。「だってジュリアス様ってば、すごく目立つもの」
は?
「綺麗だし、エラソーだし」
「……な……っ!」
「でも実際はオスカー様が手配されて、聞き込みでちょちょいのちょい!ですよ」
それはまあ……そうであろうな……。
私にしたところで身を隠すつもりもなかったし、もしもそうであったとしても、王立派遣軍などに手配されようものなら、私如きは速攻で見つかるであろう。
結局また脱力して、部屋の天井を見るともなく見ていると、おまえが腰を浮かせて私の顔を覗き込んでいた。
「目、赤いですよ」
慌てて私は横を向いたが、遅かった。
「もしかして、私のこと想ってて?」
そのようなこと、嬉しげに申すな。
「……何を、馬鹿なことを――」
「ふーん……」
再び床に腰を下ろすとおまえは、ぽつりと言った。
「私だっていっぱい泣いたんですよ、だって……あんなキスした翌日にジュリアス様が交代って知らされて、しかもジュリアス様は他の星へ行っていて、ちっとも会えないからお話もできなくて」
ゼフェルの言った「あいつの想いはどうなるんだよ!」という言葉が蘇る。それを私は、『一時の迷い』と断じた――いや、自分に言い聞かせた。おまえと同じ時を過ごし、おまえを盛り立てていくことを願い始めたとたんに取り上げられてしまった願いを顧みたくないあまり、自分ひとりの思い込みで行動してしまった――自分だけが悲しかったわけではないと改めて思い知らされる。
だから、そのように言ってくれるおまえの言葉に胸を打たれる思いがする。
けれど。
長年、守護聖として、しかも首座として、長年女王という存在の傍らにいた私には、宇宙を統べるということに対し、それをないがしろにすることなどできぬ。
クラヴィスは嗤うだろう――相手に、そして皆に祝福されて添い遂げることのできる機会を自ら潰そうとする私のことを。だが、それでも私は、私自身が納得のできないことはしたくない。でないと――
私は、目の前にいるおまえを見る。
でないと、おまえの人生と、民や宇宙のことをも、ないがしろにしかねない。
確かめよう……私自ら、目をそらさずに。それでもしもおまえが私への想いを翻すようであれば、それはそれで良い――良いのだ。
「おまえに見せたいものがある」
「え?」
唐突な私の申し出に、おまえは目を丸くする。
「ここにも、願い事を唱えればかなう像があるそうだ」
「へぇ……行ってみましょう!」
そう言っておまえは身軽にさっと立ち上がると、まだ窓際の壁にもたれている私に手を差し出した。
はっとして私は、まるで雷に打たれたかのようにおまえを……おまえの姿を見る。
像と同じ姿。
冷たく、硬い――あの像と。
あれに触れたとたん私は……無様にも恐慌をきたした。
ゆっくりと、私も手を出し、おまえの指先に触れ、掌に触れ、手を握った。
温かく、柔らかい――刹那、私は陶酔する。
触れてしまったこの手を、私はもう離せないかもしれない。
それでも――全てをおまえに委ねる。
だが。
「あの」
「何だ」
「手をつないだままでも……いいですか?」
何故おまえは、私の望むことをそうも易々と口にできるのだろう。
黙って私は、空いているもう片方の手で部屋の扉を開き、廊下へと出た。