あゆと当麻~想い~
想い―予兆
亜由美を寝かしつけて居間に戻った当麻は悔しげに壁にこぶしを打ちつけた。
「くそぅ」
罵倒が口をついて出る。
部屋で眠る彼女をしばらく見つめていた当麻はその痛々しさに心を痛めた。
だが、今の自分には何もできない。
押し付けられたひどすぎる運命さえどうしてやることもできない。
今の自分は無力だ。なにがサムライ・トルーパーだ。その力でもってしても何もできない。
「当麻」
ナスティが気遣わしげに声をかけるがその声は届いていない。
「俺は戦う。あいつらをぶっ倒してやる」
壁に向かって呟く。声は小さく静かだったが、その声色はぞっとするようなものを秘めていた。
「当麻」
それに気づいた遼が少々きつめに名を呼ぶ。
「遼・・・か」
我に返った当麻が振りかえる。
「すまん。感情に流されているようだ。少し頭を冷やしてくる」
居間を出、メインリビングから外へ出る。
早春の夜気はまだまだ冷たかった。
当麻が出ていった後の居間に重苦しい空気が流れた。
亜由美のことについては聞かされた当麻から少しずつ皆に伝えられていた。
今、再び、東京に現れた敵は彼女が相手すべき敵だと。
彼女は亜由美であり、亜遊羅、という人間だと。そして亜須羅一族の最後の長ということも。
錫杖を手にした彼女を知っている皆はその継承が行われたことも知っていた。
複雑な経緯は当麻と迦遊羅しか知り得なかったが、その魂にかけられた術を聞いて誰もが絶句した。
やがて妖邪界へ戻る三魔将でさえもそこで年をとり、やがて死んでいく。
恐ろしく長い時間をかけても、だ。
それが永遠に終わることがないとは。
一体、その一族の力にどれほどの価値があるのか、皆、疑問に思っていた。
翌日、亜由美は朝食の場に降りてきた。
少し恥ずかしそうにして。
「ごめんなさい。子供っぽいことをして。皆さんに迷惑をかけました」
テーブルにつく前に皆に謝る。
「いいよ。そんなことは。何か好きなものを作ってきてあげようか?」
伸が微笑んで言う。
「ずるいぞ」
秀が声をあげる。
「秀」
遼がとがめる。
「いえ、大丈夫です」
にこっと笑う。
「また敬語に戻っている。他人行儀ではないか」
「同じ釜の飯食った仲じゃねーか。水くせぇぞ」
征士が言い、秀も言う。
「迦遊羅も敬語ではないで・・じゃない」
皆からとがめるような視線を受けて言葉を直す。
「迦遊羅のは丁寧語。敬語とは少し違うんじゃないか?」
当麻が口を挟む。
「だいたい、あゆにそんなのにあわねーっての」
秀が笑って言い放つ。
「どうせなら関西弁に戻ってもいいぞぉ〜」
さらに付け加える。
「それは・・辞退します」
苦笑いして答える。標準語の中で関西弁を一人しゃべるのは結構寒い。
「でも、皆、郷里の言葉に戻ったら面白いだろうな」
遼がくすくす笑う。
「せーじの言葉はぜってぇにわからないぜぇ」
「失敬な」
征士が憤慨する。
「怒らない、怒らない」
伸がなだめる。
「さぁ、みんな。話してばかりいないでちゃんと朝食を食べて」
ナスティが声をかける。久しぶりに全員がそろっての朝食にナスティもうれしそうだ。
「はーい」
当麻と秀が同時に大きな声で答え笑いが沸き起こった。
その日から亜由美は目に見えて明るくなった。
良く話すようになったし、時には声を立てて笑うこともある。
「なんか、以前のあゆにもどったみてぇていいねぇ」
秀が喜んである時言った。
皆、明るくなった亜由美の姿に喜んだ。当麻ただ一人を除いて。
あれほどの絶望と恐怖の中に陥った人間がそう簡単に明るくなれるわけがない。
その感情がどれほどのものか亜由美の真の心にふれた当麻は知っている。
嫌な予感がする。
「とーまっ」
ある日、木陰で読書を楽しんでいた当麻の前に亜由美がひょっこっと現れた。
にこにこ笑っているかと思うと当麻の横に座り、腕に頬を摺り寄せた。
「おいっ。ここから皆に見えるんだぞ」
慌てて引き剥がそうとする。だが、亜由美はその腕を掴んで離さない。
それよりもすりすりっと頬を寄せる。
「いーやん」
その言葉に耳を疑った。
「おまっ・・・! 関西弁じゃないか。嫌がっていたのにどういう風の吹き回しだ?」
「いーやん。とーま、相手なら。とーまも関西出身やない」
亜由美はにこにこと明るい。
「ほら、とーまも関西弁に戻って」
「おい。急にもどれって言っても・・・わかった。わかった」
じっと見つめる瞳に降参して小さく咳をしてのどの調子を変える。
「大体、一年近く標準語で急に関西弁なんて戻れないやろ」
調子っぱづれのイントネーションで当麻が言う。
「で、何話すんや」
「わからへん」
「わからへんって。おま・・・あんたねぇ。ここになにしにきたんや」
時折まだ標準語に戻りそうな言葉を直して当麻が聞く。
「とーまの顔を見に」
「見にって・・・いつだって見れるやろ?」
その言葉に亜由美の瞳に何か違うものが走った。
目ざとく見つけて当麻が怪訝に思う。
「今日、見たかったん」
じっと顔を見つめられて気恥ずかしくなった当麻は思わず読書の振りをして本で顔を隠した。
「当麻。とーま。とうま。とうま。とーま」
突然名前を連呼され、面食らう。
「な・・・なんや」
「当麻って本当にいい名前やなぁ。ほんまいい響きやわ」
手放して誉められて再び顔を隠して亜由美の顔をうかがう。
ずっと見たかったあの輝くような笑顔が浮かんでいて当麻ははっとした。頭の片隅で危険信号が鳴る。
何かがおかしい。
これはいつものあゆじゃない。
「とーま?」
きょとんとして亜由美が名を呼ぶ。
「本、逆さま」
けたけたと笑い声を上げる。
なにがあった?、と問い詰める前に伸の声が二人を呼んだ。
「とーま。あゆー。おやつだよー」
亜由美は立ちあがるとうれしそうにダイニングに駆け込む。
「おっ。プリンじゃねーか。いてっ」
伸に手をはたかれて秀が右手をひらひらさせる。
「みんなと一緒に食べるのっ」
「ったくよー。ちぃっとばかし早くたっていいじゃねーかよぉ」
「だーめ」
「で、今日は誰のリクエストだ?」
部屋に入ってきた征士が問う。
はーい、と亜由美が手を上げる。
「ほう。あゆのリクエストか。それでは私の番はもう少しだな。
近頃は人数が増えてリクエストがなかなか回らない」
征士がうれしそうに顔をほころばせる。
征士は東京に来てから洋菓子を大変好むようになった。
実家では洋菓子は軽薄だと言われて和菓子しかだされないらしい。
「プリンだよ」
遼が迦遊羅に手渡す。
「ぷりん・・・とはなんですか?」
渡された物体を珍しげに見る。
「卵を甘くし、冷やし固めたものだな。オーブンに入れて焼く、焼きプリンもあるが」
いつのまにかダイニングに入って席に座っている当麻が解説をする。
「それよりよー。さっき、木の下で二人して何話してたんだー。すっげーべたべたしてたしよー」
秀がプリンを口にほお張りながら面白そうに問いかける。
だから、嫌だったんだ、と当麻がごちる。
「ないしょ。ね、当麻」
秀に答え、次に当麻に言う。
ああ、と当麻が短く答えプリンを口に運ぶ。
あの会話を聞かれていなくて良かった、秀に聞かれたら絶対馬鹿にされる。
思いながらプリンを一口、二口と口に運ぶ。