レイニーブルー
約束と拘束
「どうしたら俺の物になるかな」
唐突な響の言葉に、桃子は雑誌の頁を捲る手を止めた。窓を締め切ってクーラーを掛けているのに、蝉時雨が聞こえる。響は音も無く隣に立っていた。見上げると人形のような顔がひっそりと静寂を湛えて桃子を見下ろしていた。
響の唐突な行動も言動も今に始まったことではない。適当に相手をしておくのが最善だとは思いつつも、思わせ振りな言葉に動揺せずにはいられない。
「何が?」
「お前」
家事を知らない指は美しい。ささくれ一つない人差し指が突き付けられているのを見下ろしながら、そのままゆっくりと目を閉じた。
人を物扱いするの? と心の中で問いかける。しかし声に乗せるつもりは無かった。どこかでまだ恐れているのだろうか。
「ほら、気もそぞろだな」
響は桃子の手を持ち上げ、その爪先に軽く唇を押し当てた。夏でも体温の低い、いや夏だからこそ余計にそう感じるのだろうか、桃子よりも幾分か温度の低い手が荒れた指先をなぞる。指先から甲へ、もどかしいぐらいゆっくりと往復する。親指から人差し指へ、人差し指から中指へ。
「響――」
中指から薬指へ――そうして止まった。俯いた響の長い横髪が手首に触れてくすぐったくて、人差し指がぴくりと撥ねた。するりと冷たい感触が薬指を滑る。
「拒むなよ」
右の薬指に嵌った銀色の耀きを見つめる。指輪だ。ベゼルセッティングのシンプルなデザインだが、強く輝く透明な石はきっと高価に違いない。
今や胸元に浮かぶ大輪の赤い花と、先日の両親への挨拶、それにダイアモンドと来たら、この指輪の意図するところは明らかだった。
生まれた時から婚約者がいたようなものだった。十六で形ばかりの婚姻をして、その数日後には破棄されて。それで十八でまた婚約をするだなんて。まだ十代なのに随分と生き急いでいることだと笑いが漏れた。
「ありがとう」
ことさらゆっくりと礼を述べた。刻印の拘束も無いのに、響が破格に気遣ってくれていることに気付かないわけにはいかない。多少強引にではあるけど、かつて桃子が言った手順を律義に進めている。感謝の念を込めたつもりだった。それだというのに響はわざとらしく溜息をついて桃子の顔を覗き込んだ。
「まったく、何をやったら喜ぶんだか」
色素の薄い瞳が蛍光灯を反射して不思議な色を見せた。怒りでも侮蔑でも困惑でも無い、ちょっと苦笑するように、あるいは呆れたように唇の端を僅かに上げていた。
桃子の膝の上の雑誌が床に落ちる音と同時に、唇を塞がれていた。驚きの声はくぐもった。ふわふわと柔らかく唇を食み、小さく噛まれる。
「――んっ……ひびき」
喋りたいのに許してくれない。歯列を割って舌が差し込まれる。生温い感触が生々しくて、
桃子の抵抗に気付いたのか、響はやっと身体を離した。桃子の抵抗に煩わしそうな態度を隠しもしない響に、桃子はあたたかなものを感じて微笑んだ。自分でも馬鹿みたいだってわかってる。響の優しさに甘えていることも。それでも彼女にとって手順を踏むことは大切なことだった。大切にされるために。
「いつの間に指のサイズを計ったの?」
「目分量」
そんなの握ってたらわかる、と響は事も無げに言う。何人の女の子の指を握ったらそんな器用なことができるんだ、と半ば呆れながら笑った。