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ディストーテッド・ロマンス

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雨の中戸惑い立ち竦む。溺れているように息苦しかった。濡れそぼった身体は重く、それは水の中で為す術も無くもがくことを思い起こさせる。息をするごとに水が胸の中に入り込むようで、胸の奥底が重く閊えた。
苦しさに目を閉じ、蹲った。

どれほどそうしていたのだろうか。気付いたら熱い手に腕を掴まれ、力尽くで立たされた。よろめいた桃子の身体を響が支える。
「おい、大丈夫か」
豪雨の中、響が叫ぶ。その声の必死さに、桃子は顔を歪めた。今、響に会いたくは無かった。
「どうしたんだ」
「何でも無い」
顔を隠すように俯いて、響を押しのける。しかし腕は離れてくれなかった。響の横にアクアグリーンの傘が転がっていた。ふと見上げると響も傘を差していなかった。雨に濡れた響の顔はそれでも美しく、きっと自分はメイクも崩れてさぞや酷いありさまだろうと、桃子は微かに笑った。
響は怪訝そうに桃子を見下ろし、やがて傘を拾い上げて桃子に差しかけた。
「帰るぞ」
手を握られ、家に向かう。桃子は絡まる響の指を握り返すことなく、引っ張られるままに足を運んだ。帰るのは響の家であって自分の家ではない、と顔を歪めるが、きっと響には見えていなかっただろう。
家に着くなり桃子は脱衣所に放り込まれた。水を限界まで吸って重たくなった服を脱ぎ、浴室にはいる。手際の良いことに、すでにバスタブには湯が張られていた。響の気遣いを目の当たりにして、桃子はうろたえた。シャワーコックを捻ると冷水が降り注ぎ、すぐに温かいお湯に変わった。タイルを水が打つ。その音は雨音によく似ていた。
胸元に浮かぶ赤い花を見下ろす。生まれた時からある小さな花を呑みこむように、覆い隠すように大輪の花が咲いている。それにそっと指で触れた。求愛の印。告白だと言ってそれが付けられたとき、確かに嬉しかった。求められているようで。しかし。
「あいつはこれに縛られない。何の意味も無いって言ってたじゃない」
小さな呟きに心が揺らぐ。捨てられるかもしれない。その恐ればかりに心が塗りつぶされる。桃子は何も持っていなかった。ここで再び捨てられたら自分がどうなるのか、桃子にも分からなかった。捨てられたくないと思う。響の傍にいたいと思う。けれどいつもどこかで怯えていた。
肌に叩き付けられる水に、引き絞られるような痛みを覚える。耳元で雨の音がする。泣きたいわけではない。あの鬼に未練があるわけではない。
「響――――」
ただ響の傍にいたいだけだ。心を委ねたい。しかし桃子にはそれが出来なかった。響もやはり捨てたから。 響に捨てられた時、桃子はもうどうしようもない。行くあても無く、頼る先も無く。
「桃子」
がちゃりと浴室の扉が開いた。冷気が入り込む。桃子はさっと胸元を隠し、手を上げた。
「入らないで!!」
あっさりと腕は掴まれ、シャワーのコックが捻られて水が止まる。雨はやんだ。茫然とする桃子の身体をバスタオルが包んだ。
「お前が呼んだんだ」
桃子の濡れた髪を響が掻き上げる。彼らしくない優しげな仕草に桃子は唇を震わせた。
「呼んでない」
「お前が呼べば分かる」
響の視線が胸元に落ちた。刻印の力だろう。彼にとって何の拘束にもならない印は、しかし声は伝えるのだろうか。桃子は喘いだ。胸が苦しい。幾度も触れた花に爪を立てる。その指を響が絡め取った。
響は胸元に顔を寄せた。ちり、と花が痛んだ。敬虔な表情で花に口付ける響に、桃子は顔を歪めた。
「あんたには刻印なんて何の意味も持たないくせに」
「それがお前の不安か?」
押し黙ろうとする桃子の胸元に吐息が触れる。絡められた指が痛いほどに強く握られる。
「言えよ」
ぞっとするほど低い響の声に、桃子は怯んだように肩を揺らした。
「……不公平じゃない。あんたを縛るものが何もない。あたしには家も家族も無い。あんたの傍を、この町を離れたら、あたしには行くあても頼る先もない」
かつて住んでいたアパートは桃子のものだった。響を追い出すも受け入れるも桃子の自由だった。けれどここは違う。住むところも頼る人も、この町に限られている。響はそれと気付かないように桃子から選択肢を奪っていった。そのことに気付いた桃子は例えようも無い不安に苛まれた。
桃子の不安に気付いたように響が微笑んだ。やっと気付いたのかと。
交友関係も住居も働き口も、すべて響が桃子から奪い取った。桃子は気付いていなかったが、一種の誘拐に近かった。すべてを捨てさせ、この町に連れてきた。桃子が逃げる場所をつくることを許さなかった。入念な準備の下絡め取った。由紀斗は早々に響の思惑に気付き、悪趣味だと嘆息したが、それは響も自覚するところではあった。
「あたしは響の傍にずっといたいけど」
勝ち誇ったような笑みが響から消えた。茫然とする響に気付かず、桃子は目を伏せる。
「あんたに捨てられたとき、あたしはどうしようもなくなる――だから、せめて、鬼の刻印で響を縛ることが出来たら良かったのに」
気が付いていた時には響の胸の中に抱き寄せられていた。雨に濡れたまま冷たい響の髪が桃子の肩を擽る。
「響?」
「お前には敵わないな」
選ばせたと思っていたら選ばれていた、と響は低く笑った。意味するところが掴めず桃子が困惑していると、響が顔を上げた。
「安心しろよ。俺はとっくにお前に溺れてるよ」
恥ずかしくなるような言葉を選んで囁く響に、桃子はぎょっとして顔を上げ、息を飲んだ。いつも皮肉気な表情ばかり浮かべている顔が、穏やかに目を細めていた。彼らしくない表情。しかし最近その表情を折に触れて見かけることがあった。桃子はそれが何であるのか、既に理解していたが、理解しているがゆえに納得いかず、うろたえた。
雨音に溺れる。不安に苛まれる。苦しくて仕方がない。それは自分だけではないのだろうか、と桃子はわずかな不安を滲ませて響を見詰めた。
肯定するように響は絡めたままの桃子の指を持ち上げ、唇で触れた。

「まったく、お前は、雨が降ると不安定になるな」
呆れたような声に、桃子は顔を背けたが、顎を掴まれ視線を響に戻される。
「誰のせいだと思ってるのよ」
「俺のせい?」
にやり、と笑った響に桃子は苛立ちを込めて舌打ちをした。その頬に響はやさしく触れた。既に過去の鬼が桃子の中にいないことを響も悟っている。その鬼が与えた傷がまだ残っているにせよ、それは響しか触れられない傷だった。
満足そうに喉の奥で笑い、再び桃子の胸元の花に唇を落とした。