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06:ひかりのひと

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「よっし、終了!」
 真新しい食器を棚にしまうと、正臣は手を服で拭きながら窓辺に来た。正臣は裸足だったから、フローリングの床の上を歩いても、パタパタ音が鳴るわけもない。けれど、確かに聞こえたのだ。スリッパの音が。そう、昔の――ああ、だめだ。まだ、向き合えない。記憶にかかる灰色の靄は、指に触れると刺すように痛む。それらの過去を見なくてもいいと言ったのは臨也さん。赤い眼をした人。冷たく乾いた手のひらで、私の視界を閉ざしてくれた。よくよく考えてみれば、私はあのとき確かに最後の選択を自らでしていたのだ。その手を払いのけないという、選択を。考えないで、ただ従うだけの人形として存在することは、ひどく容易だった。そのときの私は、その選択の所為でいつか自分が傷つくだろうと、思わないでもなかった。それでもいいか、と思えてしまうほどには、恨むことは苦しかった。許さずにいることは、辛かったね。
「沙樹?」
 怪訝な顔を浮かべる正臣の髪は、きらきらと光を散らす。
「ねえ、正臣、今日、桜きれいだったね」
 今日は久しぶりに正臣の携帯が鳴らなかったから、徒歩で行ける距離の公園に桜を見に行ってきたのだ。ふたりで。日中だったから人もさしておらず、それでもどこからか聞こえる喧噪が桜の花弁を揺らしていた。散る、振る、積もる。ピンクの絨毯は、病院の窓から見たそれよりもずっとずっと生々しくて、きたなかった。傷のついた花片ばかり。繋いだ手を引いてゆっくり歩く正臣が何を思っていたのかはわからない。ただ、言葉なく歩く正臣の姿は、わりと好きだった。私の周りには、言葉のないほうが素直な人ばかりだったので。木々の隙間から落ちるやわらかな光を浴びる正臣の髪に、ふわりとピンク色が落ちたのを見たとき、私は携帯で写真を撮った。そこで正臣はようやくいつもみたいにマシンガントークを始めたのだけれど、片手は私と繋いだままだった。そんな、ささやかなお花見だった。
「ああ。今日天気もよかったし、行って正解だったな。丁度今日が満開だったらしいし」
 私の隣に腰を下ろして、正臣は笑う。
「そうなの? じゃあもしかしたら、今日お仕事入らなかったのは、臨也さんが気を遣ってくれたからなのかも」
いつもだったら、お仕事終わったら、数日空けずに次のお仕事の連絡くれるのにね。くしゃりと歪む顔に、私はそう付け加えてみる。けれど、桜前線の情報を調べてる臨也さん、というのはシュールで、影絵の物語みたいに思えた。昔、私の携帯は臨也さんと私を繋いでいた。今、正臣の携帯が正臣と臨也さんを繋いでいる。正臣の携帯が鳴っても、私の携帯は床の上でひっそりしている。当たり前だけれども。それでも、臨也さんのアドレスは私の携帯からは消えていない。多分、臨也さんがアドレスを変えるまで、繋がり自体もひっそりとしたまま消えはしない。それはもしかしたら正臣に対する裏切りになるのだろうか。
「……偶然だろっていうか、運命の女神がオレのためにタイミングをバッチリ合わせてくれたんだろうな、我ながら罪深、」
「正臣はホント、臨也さんには厳しいね」
「……沙樹はあの人を良く言い過ぎだ、」
「……仕方ないよ、多分私にとって臨也さんはかみさまみたいなものだもん。宗教は抜け出すのが難しいって言うし」
「沙樹!」
 そこまで言って、いじめすぎたなあと思う。けれど私は笑っていた。傷ついて声を荒げる正臣を見て、笑っていた。
「傷ついた?ごめんね、嬉しい」
 あなたが、私の言葉一つで傷ついた顔を浮かべてくれるのが、嬉しい。目を見開いて、それから歪むのが、嬉しい。ごめんねって、謝りたくなるのに、嬉しくてたまらない。ありがとう、ごめんね。大好きです。今、あなたは私の隣にいるね。言葉が届くところにいるね。こうして伸ばせば手もとど、――――ああ、抱きしめられた。私が伸ばした手を掴む正臣の手のひらは、さっきまで水仕事をしていた所為か冷たくて、けれどかさついていた。痛い。けれど、その痛みすら心地良い。ふとしたときにしか気付かないけれど、正臣も普通の男の子なのだ。ちょうど正臣の肩に頭を預けるような格好で、私はもう一度目を瞑ってみる。数年前に臨也さんの前で、そうしたように。けれど、今度は人形になるためじゃない、何も感じないためじゃない。今目を瞑るのは、感じるためだ。感じて、知って、いつか私は涙したい。幸福に。隣に太陽がいる、幸福に。
「でもね、正臣。別にかみさまがいなくても、人は生きていけるよ。手を繋いでくれる人さえいれば」
 生きていける。生きていたい。
「沙樹は、ずるい」
「そうかな、」
「何でもかんでも信じると思ってんのかよ。人なんてのは嘘つきで、大事な奴一人助けに行けないろくでなしで、好きな奴の言葉一つで簡単に傷つくようなみっともねー臆病モンなのに?」
「うん、でも正臣は信じてくれるよね」
「……信じるに決まってるだろ、そんなの」
 空いた片手で金色の光を掻き抱けば、汗と太陽の匂いがする。
作品名:06:ひかりのひと 作家名:きり