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詳しくは知れないがアニメとか漫画とか、確かそんなものが好きだったはずで、もっと他に楽しませてやれる場所があったんじゃないかと思うが、本人は至極楽しそうに笑っていて、まあアイツが楽しいならいいかと我ながら殊勝なことを思いながら乾いた砂地を歩く。
足を踏み出す度にさくさくと音を立てる地面は脆く、動もすれば足を取られてしまいそうでその不安定さに舌を打てば、少し離れていた場所を歩いていた小さな頭が振り返る。
風もあるし、至近距離でもなかったし、聞こえないように注意したつもりだったが聞こえてしまったのだろうか。
しょっちゅう聞かれているだろうから別に今更困りゃしないが。
思いながら羽織っていたパーカーに差し込んだ手はそのままに、振り返った小野田を見遣れば、零れ落ちそうな大きな瞳をぱちん、と音が立ちそうな緩やかさで瞬かせた彼は次いで微かに首を竦め、擽ったそうに笑った。
立ち寄った珈琲ショップで購入したカフェモカが入ったカップを手に、咥えたストローに歯を立てながら眉を寄せる。
噛み癖があるんですね、と何か、彼にとって貴重且つ重要な発見をした時のように嬉しそうに言う小野田にねェよンなもん、となおざりな口調で返しながらがじがじとストローを噛んでやれば、楽しそうに笑う。
まるっきり幼い子供を相手にしているようだ。まあ、幼い子供であることに変わりはないのだろうけど。
休日の街中。周囲は自分達同様、遊びに繰り出したらしい連中でごった返していて、始終騒々しい。
自分はともかく、然して上背の高くない小野田を見失うのは容易いことで、細い体があっちにふらふらこっちにふらふらと揺れる度、舌を打ちながらその首根っこを捕まえた。
「海ねェ…」
こうやって二人で顔を合わせるのは久し振りのことで、けれどだからこそ逢えるだけで良いとお互いに思っていて、待ち合わせ場所や時間はしっかりと決めたのだが、裏腹に一日の予定は殆ど何も考えていなかった。
迂闊だった、とそんな自分に舌を打ちたくなる。認めたくはないし考えたくもないが、浮かれていたのだろうか。ただ逢えるという、それだけのことに。
………やはり認めたくはないが。
ともあれ、待ち合わせ場所で無事逢えたあと、取り敢えず目に入った珈琲ショップに入って、目的地を決めることになった。
電話やメールを繰り返して知り得た情報から言って、荒北と小野田の趣味嗜好が合わないことは確実だ。性格も全然違う。珈琲ショップで向かい合って座り、映画、買い物、カラオケとか、二人で色々考えたけれど、イマイチどれもしっくりこない。
まあ別に小野田が行きたいというなら付き合ってやるのも吝かでないが、彼の方もそんな荒北の心情を察していたのか然程乗り気ではなかった。
そうやって二人で面突き合わせ、うんうんと唸っている間にもどんどん時間は過ぎて行き、取り敢えず歩きながら考えようと店を出たところで、思い付いたかのように小野田が言った。
「う、海とかどうですか!?」
「ハァ? 海ィ?」
「は、ハイ…! 今日は天気も良いし、けど風もあるから暑くもないですし……あ、勿論荒北さんが良ければですけど……」
しょもしょも…、と小さくなっていく声に、海ねェ、と口に咥えたストローを噛みながら反芻する。
初対面のころからそうだったけれど、小野田は荒北の恫喝に竦み上がる傾向にあるから、大声で聞き返したり言及したり、そういうことは極力避けるように注意している。
なんでだよ、と荒北にとっては普通に聞き返しているつもりでも、責められていると感じるのかそのあと口籠ってしまいかねない。
怖がらせてしまうのは荒北にとっても本意ではない。びくびくと見上げてくる様に下心を孕んだ感情を感じないと言ったら嘘になるが、怯えさせたい訳じゃない。
海ねェ、ともう一度呟くように言ってから、視線だけで隣を見遣れば、荒北の反応を待っているのか大きな瞳で見上げてくる小野田と目が合う。
待て、をされている犬のようだ。
………カワイイヤツ。
口には決して出さないが。
「なンで?」
「、え?」
「だァらなんで海だって聞いてンの」
「な、なんでって言われても……あ、荒北さんと一緒に海行ったことないですし…その……い、嫌なら全然良いんですけど!」
「…………………」
一緒に行ったことないから何だってンだよ、その先を言ってみろ、とそこまで言及するのはさすがに可哀想かと、開きかけた口を閉ざす。
初対面のころ、あんなにイライラした小野田のその小動物のようにいちいちびくつくその所作が、最近では嗜虐心のようなものを煽っていけない。
好きな子ほど虐めたくなるとか、そんな嗜好や性癖はなかったはずであるが。
狙ってやってンのか、と思わないでもないが、小野田の性格上それはないだろう。初対面から同様の態度を見せたのがその証拠だ。
「……イイヨ」
「、」
「海行きたいンだろ? 俺は別に特別行きたいって訳でもねェけどォ……小野田チャンが行きたいならイイヨ」
カップを手に、ストローを咥えたまま上体を屈め、小野田の顔を覗き込むような姿勢で言ってやれば、ぱちんと瞬いた瞳が次の瞬間には嬉しそうに笑う。
相変わらずころころとよく変わる表情だ。見ていて飽きない。
空いた手を伸ばし、丸っこい頭を掻き混ぜてやれば、まるまるとした眼鏡の下で大きな瞳が細くなって、その様が擽られる小さな子供のようだと思った。
電車を三度ほど乗り継ぎ、その時居た場所から一番近い海へ来た。
天気が良いとは言え秋の半ば、波の合間にボディボードやサーフボードを持った者がちらほら見えるだけで浜辺に殆ど人気は皆無だ。
電車を降り、駅を出て、暫く歩いたころ聞こえてくる波の音や潮の匂いに、目をきらきらと輝かせ始めた小野田は浜辺に出るや否や、荒北さん海ですよ、と荒北にだって分かっていることを嬉しそうに報告してきたから、海だねェ、と返しておいた。
「人いねェな。まァさすがにもう泳げねェからな……ってオイ、ふらふらすンな」
穏やかな陽射しを撥ねてきらきらと煌めく水面に誘われるように、満面の笑みを浮かべたままふらっと浜辺を進み出した小野田の首根っこを捕まえる。
油断ならない。このまま海に入られたら、水に濡れたその体を引き上げるのは誰だと思っているのか。
気温が下がり始めるこの季節、さすがに着衣入水は控えたい。
「しっかり足元と前見て歩けっての。ったく……手間掛けさせンじゃねェよ」
「す、すみません…」
へへ、と笑う顔に舌を打ち、首を掴んでいた手を離して小さな背中を軽く叩けば、数歩先をゆっくりと歩き出す。
足元と前を見ろと言ったばかりなのに横を見て、煌めく水面を眺めては声を上げ、かと思えば足元に落ちていた欠けた貝殻を拾い上げる。
何貝でしょう…、と光に翳すように掲げた貝殻を眺める小さな頭の角度が何だか可笑しくて、口元に手を当て笑いを噛み殺せば、振り返った小野田に握っていた貝殻を手渡される。
どうぞ、と渡された貝殻。
いらねェよ、思う思考とは裏腹に手が伸びていて、渡された薄いピンク色の貝殻を受け取った。
手のひらの上に転がった貝殻を暫くじっと見下ろしたあと、それを乗せたまま手を握って羽織っていたパーカーのポケットに突っ込む。