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小野田の目の前で捨てるのはさすがに可哀想だと思っただけで、別に取っておこうとか、そんなつもりではなかったけれど。
そのあともあっちを見たり、こっちを見たり。
時折転びそうになるから、その度に小さな体を支えてやらなければならなくて気が抜けない。
けれど小野田本人はそんな荒北の気苦労なんて露知らず、楽しそうに笑っている。
海と空と、あと風ぐらいか。他には何もない。
なのに何がそんなに楽しいんだと思う。
詳しくは知れないがアニメとか漫画とか、確かそんなものが好きだったはずで、もっと他に楽しませてやれる場所があったんじゃないかと思うが、本人は至極楽しそうに笑っていて、まあアイツが楽しいならいいかと我ながら殊勝なことを思いながら乾いた砂地を歩く。
足を踏み出す度にさくさくと音を立てる地面は脆く、動もすれば足を取られてしまいそうでその不安定さに舌を打てば、少し離れていた場所を歩いていた小さな頭が振り返る。
風もあるし、至近距離でもなかったし、聞こえないように注意したつもりだったが聞こえてしまったのだろうか。
しょっちゅう聞かれているだろうから別に今更困りゃしないが。
思いながら羽織っていたパーカーに差し込んだ手はそのままに、振り返った小野田を見遣れば、零れ落ちそうな大きな瞳をぱちん、と音が立ちそうな緩やかさで瞬かせた彼は次いで微かに首を竦め、擽ったそうに笑った。
「僕、海に来るの久し振りです! 広いですねえ…」
「……その感想が出てくるってどンだけ久々なんだよ」
「んー……多分最後に海に行ったのが小学生のころだと思うんですけど……」
「マジかよ……ま確かに小野田チャン、海って感じじゃないもんネェ」
白い肌に、大きな眼鏡。華奢な体は決して屈強とは言えない荒北の目から見ても細く、薄くて。
とてもではないが、確かに海とは直結しない見た目だ。
けれど。
「…………………」
こんな細い奴がチャリ乗ってンのかよ、とあの時だってそう思った。
まともに走れンかよ、とそんな風に。
それが、結果はどうだった?
思い出すまでもなく、それはまだ記憶に鮮明で。
あの時、初めて彼と出逢った時。
こんな細くて、小せえ奴が、そう思いながら、それでも確かにその大きな瞳の奥に宿る熱を目交いにした。自分を見て怯えたようにぐらぐらと揺れていたくせに、迷いない言葉を口にした時は真っ直ぐな信念をその奥に湛えて。
引いて行ってやろうと思った。敵対するチームだったけれど、本当はちょっと見てみたかった。
細い体で、小さい体で、揺るがぬ信念をその瞳の奥に湛えた彼が、どこまで走って行けるのか。
まさか、あんな結果になるとは思っていなかったけれど。
「海なんて最近全然来てなかったですけど、荒北さんと一緒に来れて嬉しいです」
振り返って。
心底から嬉しそうに言う小野田の顔を見下ろす。
小さな上背、細い体、まるまるとした眼鏡の奥で笑う大きな瞳。
こんな、細くて小せえ奴がと、そんな風に思っていたのが。
苛立ちや憤りが期待と想望に変わり、それに若干の嗜虐心とか下心とかが加わって。
大切にしてやりたいと思うようになったのはいつからだったのか。
「……別に海ぐれえいつでも連れて来てやるっつの」
「、あ、らき」
たさん、と未だ幼さの残る高い声が自分の名前を呼び終わる前に手を伸ばし、細い腕を掴んで引き寄せる。
「っあらきたさ、人が…」
「……誰も見てねェよ」
人なんて、殆どいない。
波間は遠く、自分達の姿は見えても何をしているかまでは見えないだろう。
答えながら、目の前で大きく見開かれた瞳がぎゅっと閉ざされたのを確認して、首を傾けながら小さな口唇に口唇を押し当てた。
「……っ、」
目元に当たる眼鏡が邪魔くさいけれど毟り取ってしまう訳にもいかず軽く押し当てただけの口唇を一旦離せば、波音と風の音に混じって小さなリップ音が微かに響き、目を閉じてからもう一度。
そうやって薄い口唇に何度か口唇を押し当てて、最後に舌先で軽く舐めてやれば怯えるように細い肩が揺れたから、そのくらいにしておいてやった。
「……ンな泣きそうな顔すンなよ。ヤだったァ?」
「いっ嫌じゃないですけど……と、突然だから驚いたというか……」
「じゃ次はやるつってからやるわ」
「そ、そういうことじゃ……」
居たたまれなさそうに俯く幼い顔。
珍しく反論を返そうとする小野田の言葉の続きを待ったけれど、俯いたまま結局続くことはなかった。
だから小野田の反論を聞く代わりに、上体傾がせ、耳元で、意地悪でも言うみたいに。
「…ヤだったら言ってヨ」
「、」
「……嫌って言わねェと次はやめてやんねェからァ」
「…っ」
大切にしたいと心底から思うけれど、同じくらい虐めてやりたいと。泣かせてやりたいと。
とっとと自分だけのものにしてしまいたいと思うから、まあ多分恐らく間もない内に、嫌だと言われてもやめてやれなくなると思うけれど。
口端を上げて言った言葉に、大きな瞳を大きく見開いて見上げてくる顔が一拍置いて真っ赤になって。
固まってしまった体が可笑しくて、つい声を上げて笑ってしまった。