氷花の指輪
6.王の剣
全身に嫌な汗をかき、
早鐘を打つ自分の鼓動で浅い眠りから目が覚めた。
あの頃の夢を見るのは久しぶりだった。
次のエリアについて考えながら眠ったせいだろうか。
あまりに幼すぎた、甘すぎた自分…。
死霊術師になると言い、高位霊であるニコラスの霊魂を見せれば、
仲間として受け入れてもらえると思った。
死霊術を教わり、ニコラスを降霊できるようになると思った。
少なくとも、逃げ回って殺されるのを待つよりは
取り入って何とか生き延びる方がよいと、あの時は考えた。
ある意味、成功はした。
自分は生きている。ニコラスも召喚できるようになった。
傷跡だらけの黒い肌の身体をかき抱く。
白い髪が流れ、荒い呼吸に合わせて震える。
あの地下牢での毎日も、そして、あの人との取引も…。
今の自分があるためにすべて必要なことだった。
そう思わないと崩れてしまいそうだ。壊れてしまいそうだ…。
呼吸を整え、いつもの戦闘服に着替える。
髪と肌に魔法をかける。せめて彼の瞳に映る私は綺麗に着飾る。
最近、徐々に体調が悪化していることは自覚している。
夜間の襲撃と毒物混入に備えて、
食事をほとんど摂らないようにしていることも、慢性的な睡眠不足も
もともとぼろぼろの身体が、ますます壊れていくことに拍車をかける。
体力が回復できない。精神を回復できない。
それでも、休んでいる暇はない。
私はあの約束を果たすためだけに、今、生きているのだから。
毒々しい色の液体をむせかえりながらも
なんとか喉の奥に流し込み、今日を耐えるための力にする。
目元と口元を拭い、鏡に映る情けない顔を笑顔に変える。
ワンドを構え唱えるのは、降霊召喚術式ではない。
実体化術式だ。
さあ、私の王子様、お目覚めの時間ですよ。
今日も私に……愛をくださいね。
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雨期に入り、風通しの悪い地下の街は、いつも以上に空気が重い。
下水道の酒場、月光酒店もいつも以上に重い雰囲気が流れていた。
「外もじめじめしていますが、お二人もじめじめしていますね…。
そのうちキノコが生えてきますよ?」
酒場の女主人・シュシアの冗談に
マスターはがばっと頭に手を乗せて気にしていた。
「だって…。ニコラスが分からず屋なんだもの…。」
頬をぷくっと膨らませて、すねているが
今日はこちらも引くつもりはなかった。
「もう、マスターもそろそろレベル35になるんですよ?
次のエリアで経験を積まれた方が効率的だと申し上げているだけです。
毎日毎日キノコキノコ、キノコばかり相手にして…。
私のサポートでは、次のエリアに行くのが不安なんですか?
早く強くなって雪山に行くんじゃなかったんですか?」
「…違う。そうじゃない。
ニコラスはすごく強くなった。
蜘蛛さんたちもゾンビさんたちもいつも私を守ってくれる…。
だけど、次のエリアには行きたくないの。」
いつもここで彼女は理由も話さず、わがままを言う。
じめじめした空気のせいで、余計にいらだちを感じる。
ひとところに長くいたせいか、彼女の器量の良さが噂となり、
最近は、力ずくでもと迫ってくる輩も増えてきた。
モンスターとの戦闘に明け暮れる冒険者たちにとって
彼女の美しい容姿と宝石ような金色の髪が
砂漠の中のオアシスのように感じられるのだろう。
余計な心配が増える。…早くこの街から出たかった。
「あらあら、これはニコラスさんが悪いわね。」
「えっ!?何故ですか、店主?」
意外なシュシアのセリフに、不満をあらわにしてしまう。
「あなたが不勉強だからです。
でも、きちんと説明しないアリスも悪いですよ。」
アリス…。マスターの名だ。
本名ではないと言っていたが、今はその名前で通しているようだ。
水の入ったグラスと地図を、シュシアが机の上に置いた。
地図で次の目的のエリアのあたりを見たマスターが、
急に呼吸を乱し、胸をおさえた。
「マスター…?」
「……ごめん…なさい、やっぱり…無理……。」
そういって、店を飛び出していってしまった。
ふぅ。と大きなため息をついてシュシアが同じテーブルに着き、
グラスの水を飲む。
「あの、一体……。」
「私からは詳しくは話せないけれど、
次のエリアはあの子にとって、もう二度と足を踏み入れたくない場所なのよ。
ここ、アンダーフット・漂流洞窟」
地図を指さす。
「大きな地殻変動があって、この場所の地形も大分変ってしまったのだけど、
分かるかしら。
もともとの感覚だとこの辺りは、アルフライラ地域と呼ばれていたわ。
その地域のノイアフェラとアンダーフットはあなたもご存じのとおり、
黒妖精や蜘蛛王国など、地下の住民が暮らしていた場所。
それが、地殻変動の重力異常により浮上し、
今では、大陸の中心街として機能している。
そして、地下にあった洞窟全体が宙に浮いているの…。」
ということは、もしかして…。
「そう。つまり、漂流洞窟とは、
あなたの故郷であり、あの子の故郷、二人が出会った場所。
そして…あの子が地獄のような日々を送った場所……。」
「なんで、それを……。どういう…ことですか?」
シュシアとはこの街に来て初めて会ったはずだ。
それなのに、私たちの事情に詳しすぎるのではないか…。
マスターが話したのか。…それはないだろう…。
シュシアは、ゆっくりと首を横に振る。
テーブルの上に置いた私の手に、シュシアが軽く手を乗せる。
とたん、霊魂に直接響く声。
(あの子は、いえ、あなたたちは、いろいろな人たちから狙われているわ。
あの子を捕えて、またひどいことをするに違いない。
だから、絶対にあのエリアには近づかないで。
最近は追手の数も増えてきている。
なるべく早く、ベヒーモスエリアに逃れるようにして。
話の分かる人に、口添えはしておいたから。)
「なっ、今のはっ!?」
魂に直接言葉を書き込まれるような感覚。
シュシアが可愛らしく、口元に人差し指を立てる。
この話を聞かれたくない人が周りにいるのか…?
「シュシア!シュシア、いるかね!?」
激しく酒場のドアが叩かれる。
確か、この付近で店を開いているゴブリンの声だ。
ただならぬ様子に、シュシアの表情に緊張が走る。
「どうしました?シャイロック!」
「あの金髪の女の子が、黒づくめのやつらに連れて行かれたんだ!」
追手というやつだろうか。
もしかしたら、彼女が夜毎に戦闘を強いられていたのはその追手のせいだろうか。
店を飛び出す。
――― マスター。私のことを呼んでください!
すぐにあなたの元へ!