氷花の指輪
4.蜘蛛と蝶
「だーかーらー!
どうしてあなたは敵を見た途端、懐に飛び込んでいくんですかっ!?」
魔道書から召還されたアラクロッソと蜘蛛たちの霊塊が
敵の眼前に閃光のようなスピードで突っ込んでいく彼女を追い、
彼女が敵に攻撃されたり、カウンターされそうになるのを
幾度も幾度もギリギリのところで食い止めてきた。
…流石に限界だった。
霊力には問題ないのだが、精神衛生上よくない…。
「あっ。ごめん…。つい…その…癖で……。
ニコラスの魔道書の蜘蛛さんたちには助けられてばっかりだね!」
「ね!じゃありません。
分かっているならやめてください。
それじゃあ、まるでスピード特化のローグみたいじゃないですか!
彼女たちのような近接物理攻撃力はないんですから、無茶しないでください。」
――― !
あれ…?一瞬、霊力パスが乱れた…気がする。
「あ、あはは。そうだね。
ちょっと休もうか。蒸し暑くなってきたねー。」
そういって、空を仰ぎ、額の汗を拭う振りをして
細い腕で目を覆う彼女。
彼女が私の言葉で霊力パスを乱す、つまり心を、精神を乱すなんてこと、
今まで一度だってなかった。
言い過ぎたのか、何か触れてはいけない言葉を言ったのか…。
本当は彼女の戦闘を見て、思っていた。
蝶のように鮮やかに自由に戦場を舞う彼女が
蜘蛛である自分には眩しすぎて…美しすぎて…。
私の糸で、その華奢な四肢を絡め取り、美しい翅を奪い、
彼女の笑顔も涙も、すべてを自分のものにできたら…。
………いけない…。
疲れすぎておかしくなっている……。
あの人は、私のマスターだ、主人なのだ。
傍に付き従い、お守りするのが使命。
それを、我が物にしようなどと…。
でも、時々思わずにはいられない。
……マスターは私のことをどう思っているのだろう…。
使役するもの、道具、死霊…。それ以上に思ってくれているのだろうか。
ちらりと彼女を見る。
目を覆った腕はそのままに…。
――― 笑った?
彼女は、元気な顔で振り向くと言った。
「ねえ。ニコラス!
ローグみたいに素早い攻撃ができる死霊術師がいたら最高じゃない?」
「えっ…。それが可能なら最高でしょうけど、
両刀ステータスは倦厭されますよ。伸び悩むでしょうし…。」
なんだ…。そんなことを考えていたのか。
一瞬自分の心が覗かれたかと思って焦ってしまったのが馬鹿らしい。
「……ですから、
シャイニングカットとかライジングカットを鍛える余裕があるなら
早く私に新しい術を覚えさせてくださいね。」
「なぜそれをっ!?」
意地悪な微笑みで返す。
――― 知ってますよ。
私の術よりも優先して、速さが特徴のスイフト系の技を鍛えていることも…。
腕や足に最近傷が増えてきたことも、寝不足が続いていることも…。
…つまり、私が眠っている間に何者かと戦う必要があることを。
彼女が何を考え、何を思っているのか。
私のような死霊が、それを知る必要はないと思っていた。
彼女の道具である私は、それを知らなくていいと思っていた。
私たちの目的は、一緒に雪を見に行くことであり、
そのためにレベルを上げることだ。
それさえ明確なら、私のすべきことはその日まで彼女を守ること、
ただそれだけだ。
でも、あの小さく震える肩に触れてしまってから
どうしようもなく知りたくなってしまった。
彼女がどう考え、どう思っているのかを。
左手の指輪はいつも優しい熱をくれる。
だから私も優しく熱を返す。
彼女との絆の儚さに、ますます切なくなっていく。
死と同時に置いてきたはずのこの感情は何というのだろう。
ああ、私は知っている。
蜘蛛は蝶に焦がれているんだ。