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雲のように風のように

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 焔と諡された変わり者の皇帝の御世が懐かしいと、異民族の支配下に置かれた街人はやがて嘆くようになる。昔を懐かしむのはよくある話だ。過ぎた昔が、時を経ることで美しい輝きを増すのも。
「…焔帝陛下の時代にはさ、なんでも、ちっこくて飛び切り美人の皇后陛下がいたってねぇ…」
 後宮を最後の舞台に華々しく戦った皇后の話は、今でも街人に人気のある話である。わけもわからず異民族に頭を抑えられる毎日では無理からぬことだった。また、その皇后が平民の出だったのも大きいだろう。だが…
「…バッカやろ、小さいは余計だっつーの!」
「…???」
 不意に通り過ぎた小柄――でもないが、あまり大きいとはいえない金髪の人物がつぶやいていったのに、町衆の一人は首を傾げる。はて、あんな人間いただろうかと…。
 颯爽と歩きすぎる背筋はぴんと通って、ひとつに結われた金の髪は美しく長い。緋色を基調とした衣装がよく似合っている。まるで、あの物語の皇后のような…。
「…なあ、おい、あんた…」
 だが声をかけて止めようとした時には、まるで幻のようにその金色は消えていた。


 その、かつてのある国の都で、後宮が焼け落ちてからそろそろ十年近くが経つ。
 街を見下ろせる高台の上、黒髪の男はのんびりとした風情で連れを待っていた。
「…ローイ」
 気持ちの良い風に吹かれていた彼の耳に、連れの声が聞こえてきた。軽く応じて手を振れば、相手も笑って手を振り返し、小走りに駆け寄ってきた。
「わり、待った?」
 ありふれた旅人の装いではあるが、赤系の色を多様しているせいで華やいで見える服装の…男性とも女性とも言いがたいものの、佳人と称してよい顔立ちだ。幾分乱暴な口調さえなければ、文句なしの美人である。
「いや?」
 肩をすくめるようにして笑う男はといえば、こちらも顔立ちの整った男である。年齢不詳だが、そんなにも行っているようではない。といって、朱の佳人よりは上なのは確実だった。
「あ、これ。昼飯」
 笹の包みを差し出し、金髪を風になびかせるまま、佳人――エドはさっさと腰を下ろす。
「あー、腹減った!」
「街はどうだった?」
 エドに倣い適当に腰を下ろしたロイは、穏やかに尋ねる。
「んー…まあ、あんまり変わんないんじゃないかな」
 当たり前だが幾らか育ったものの、基本的にあまり昔と変わっていないエドは、早速屋台で仕入れた昼飯にありつきながら首を捻る。その姿に穏やかに目を細めるかつての皇帝、今では焔帝と諡号で知られる男は、そうか、とだけ呟いた。
「あっ、でも、なんか、オレ達が大人気らしいよ」
「え?」
「ほら、西から攻めてきただろ、んーと…なんつったっけ、ナントカ族」
 もぐもぐと口を動かすさまは、美しいというよりは可愛らしいといった方がいいくらいだった。ロイは思わず笑ってしまう。
 後宮がなくなったのは、良かったのかもしれないとふと思った。
「?なに笑ってんの。まあいいや、そんでね、とにかくそいつらが攻めてきたもんで、オレらみたいな変わり者がいたらいいなーっていうことらしいよ」
「…なるほどね」
 ロイは苦笑した。
 自分は甲斐性のない皇帝だと思っていたが、…なかなかどうして、人の記憶には残ったようだ。

―――もっとも、

 ロイは苦笑して目を細め、隣で気持ちよさそうに風を受け、昼飯を食べる人を見る。
「…あん?ロイ?食わないの?」
 きょとんとした様子でこちらを見てくるのに、ロイは屈託なく笑い、食べるよ、と返す。
 もっとも、記憶に残る皇帝となったのもすべて、この人と出会ったからなのだろうな、と。 
 そんなことを思いながら。

 …後宮が焼け落ちてから、脱出した最後の一行は、それぞれの道を選んだ。
 最初は皆一緒に隠れ住んでいたが、数年後、まずマリアがあれほど「帰る場所がない」といっていた故郷へ帰った。その頃にはコーネロの下を出奔したアルフォンスもいたのだが、彼は何を思ったか、マリアについて彼女の郷里へ発った。用心棒だと彼は言っていた。だが、軍師としての勤めを一瞬なりとはいえ果たしたマリアと、同じようなことをしていた彼は案外気も合っていたらしい。
 それから、意外だったのはリザだ。
 ロイのそばを離れずだった彼女の姿勢は基本的にずっと変わらなかったのだが、ある日、劇的な変化が起こったのである。
 そもそも一行は、ロイが幼い頃共に過ごしたという地方の郷士の家に身を寄せていたのだが、その男の部下がリザに一目ぼれした。最初はすげなくあしらっていたリザなのだが、まあ、様々な紆余曲折の末、ずっと諦めなかったこの男に最後はリザが折れた。
 そうして、皇帝夫妻が残された。
 彼らはほとぼりが冷めたのを見計らい、旅に出ることにした。ロイの友人は豪快な男だったので、いいぜ、行って来いよと多少まとまった路銀を渡して送り出した。
 そうして旅を始めて、たまには様子を見に友人の屋敷に帰ることもあるが、道中用心棒のようなことしたり、探し物を手伝ったり、錬金術で奇術のようなことをしたりして路銀を稼ぎつつ、二人は気ままな旅暮らしを続けていた。旅の途中やはり立ち寄ったマリアの故郷では、彼女が言っていた「人を殺めた」事情についても知った。横暴を極めた官吏が貧しい親子に無体を働いていたのを止めようとして間に入った彼女が、誤ってその官吏を斬ってしまったというのが真相だった。これを知り、エドは、「やっぱりマリアさんが理由もなくそんなことするわけなかったんだよ」と笑い、「突き詰めれば私の責任だったのだろうな」とロイは苦笑したものだった。
「なんつーかさー」
 もぐもぐとほお張っていたエドが、不意に懐かしむような口調になり話しかけてきたので、ロイも食べる手を止めた。まあ、彼の場合、どうしても育ちが出てゆっくりした食べ方になっているので、慌てて止めるようなこともないのだが。
「三食昼寝つき…とはいかなかったけど、こんだけ気ままに暮らしてたら、似たようなもんだよなあ」
「…エド…」
 屈託ない笑みを向けてくれたエドに、ロイは一瞬目を見開いて、…それから、面映そうな表情で微笑んだ。
「私にとっては、天国とだってかわらないさ」
「はぁ?」
 あんたってば欲がないなあ、とエドは楽しそうに笑った。

 ――朗らかな笑い声は、風に乗って、青空を白い雲と一緒に流れていった。






作品名:雲のように風のように 作家名:スサ