Last/prologue
第5話「飛べない鳥」
自分は、思っていた以上に藤村という人物に思いがあったのだろう。と、
水野はあれから1週間も経ったころ、そう思うようになっていた。
その藤村に対する思いというものが愛や恋などの類なのか
それともただ意識してるだけなのか、性的関係を持った相手として
忘れられないのか、一体何なのか水野には見当もつかない。
ただあれから体が冬眠を始めてしまったのかのごとく重くなった。
毎日学校に通うのも億劫だし
授業を受けるのも億劫。勉学に身が入らない。気がつけば
「さようなら」と言ったあの日の藤村を思い出している。
何で自分は泣いてしまったのか、どれだけ考えてもその答えがでることはなかった。
この年になって初めてサボりたがる人間の心境を知ってしまった
水野としては一ヶ月ぐらい病欠したい、というのが本音だ。
率直なところ、推研でさえ休みたいのだ。
1限の英語論文の授業が終わりを告げる。
ガヤガヤと周りの生徒が席を立つ中で水野は手元のノートを見ている。
白紙だ。
見開かれたB径の大学ノートは見事なまでに何も書かれていない。
その前のページを捲れば、水野が自分用にまとめた
授業内容が筆記体で美しく書かれている。
なんなのだろう。この雲泥の差は。
「水野。」
「…小島か。」
「どうしたの最近。授業にも集中してないみたいだし。優等生の名が泣くわよ。」
小島は、水野と同じ国際教養2年生だ。
高いレベルで英語力がまとまっており水野にはおとるがTOIEC700点台をマーク。
その綺麗な容姿から水野と並べ立てられることの多い人物だ。
1年の時英語のクラスが一緒になりそれがキッカケで仲良くなった。
彼女はいま、フットサルのクラブチームにいるのでサッカーの話もよく合う。
その点で女の子づきあいの苦手な水野も彼女には心を許しているといえるだろう。
「そうそう。前水野が言ってたサッカー部の外部コーチのことだけど、
私のクラブの松下コーチが桜上水に住んでるのよね。
ココにも電車ですぐ来れるし週1.2でいいなら指導できるって言ってたわよ。」
「本当か?」
水野がノートを仕舞いながら言う。小島はその様子を見ながら机に腰掛けた。
「うん、後ね、文学部の風祭って子と理工学部の不破って子がサッカーについて詳しいってさ。
みゆきちゃん情報だから間違いないと思う。」
「みゆきちゃんって…あの?」
「そう、私の後輩。なんかその風祭って子に一目ぼれしちゃったらしいのよ。
そのとき不破って子と勝負してたんですって。グラウンドで。
もう今じゃおっかけ状態。来年は文学部の授業も取るんだって意気込んでるぐらいなの。」
全く持ってその情熱が理解できないといわんばかりに小島は軽くため息をつく。
そんな情熱があるならもっと他の事に回せばいいのに、と思いつつ
小島には恋する乙女の心境が分からないようだ。
「そりゃ凄いな。それで、その二人何年かわかる?」
「そこまではちょっと。名前を調べるだけで精一杯だって言ってたし。」
「4年じゃなきゃいいんだけどな。」
「あぁ、でも不破って子は結構有名みたいよ。理工学部じゃかなり成績いいみたいだし
なんか色々化学実験で功績を挙げてるって聞いたわ。」
理工学部の不破か………理工学部なら、椎名に聞けばわかるかもししれない。
「わかった。小島昼開いてるか?」
「大丈夫よ。」
「前に言ってた椎名たちに会わせたいんだ。それにお前も良かったらサッカー部に入って欲しいし。」
「うれしい言葉ね。フットサルはフットサルで好きだけど、やっぱりサッカーじゃないと面白くないわ。場所は?」
「6号館のカフェテラスで。入り口で待ってるよ。」
「わかった。それじゃぁまたね。」
小島が教室を走って出て行く。
きっと2限があるのだろう。自分も次の授業へ赴くべく、水野は席を立った。
サッカーの話で少しだけ気分が明るくなったような気がする。
水野は歩きながら椎名にメールを打つと、それをまたカバンに仕舞いこんだ。
◆
2限がおわって、水野は6号館へ向かう。
このH大には1号館〜10号館まであるがその中に飲食施設があるのは
2号館横にある古い食堂、6号館脇にあるカフェテラスと
10号館にある今年出来たばかりの食堂だった。
生徒の人気はメニューも多く売店と本屋を併設している10号館に集まっているが、
水野はどちらかというと6号館のカフェテラスの方が好きで
少し古いがその分趣があるというか、
窓から眺める景色が緑に包まれているのもまた一つの理由である。
2限が終わった直後に携帯を開くと
椎名からカフェテラスの窓側に隅に席を確保したとのメールが来ていた。
授業が無かったんだろうな。と思う。
回転式のドアをくぐって中に入るととりあえずそこで小島を待つ。
5分ぐらい待ったところで小島が走って現われた。
「ごめんね、少し遅くなっちゃった。」
「いいって、行こうか。」
人の間をぬって窓際の席へ向かう。
「あ、水野来たよ。こっちこっち。」
「椎名。紹介するよ、こいつが俺と同じ国教の………」
そこで言葉が止まってしまった。
椎名の後ろで金髪が机に伏せているのを見つけたからだ。
今はすうすうと安らかな眠りについているらしくこちらにはきづかない。
それはありがたかったが、こんなところで会うなんて最悪だ。
自分にはまだ心の整理というものがついていない。
「水野?」
「あ、ごめん。こいつ国教の小島。クラブチームに所属してるし、
外部コーチも斡旋してくれそうでさ。チームを作るとなったら入ってもらおうと思うんだ。」
「頼もしいじゃん。宜しく。俺は椎名翼。で、こいつが後輩の黒川政輝。んでこっちで寝てるのが…
おい起きろ!」
椎名が乱暴に藤村の頭をはたく。
「っ痛たぁ…誰やねん俺のスイートスリーピングタイムを邪魔すんのは……」
「のんきに寝てんじゃねぇよ。起きろ藤村!」
椎名が藤村のパーカーを引っ張る。
「こいつが藤村成樹。政経の3年。俺とマサキは理工学で俺が3年でマサキは2年な。
一応ココにいるのが今決まってるメンバーかな。」
そんな翼の声がするその場所で、水野は体中に電流が走ったような衝撃を受けていた。
何気ない声、何気ない言葉。
その中に潜んでいた、たった一つの名前。
成樹
シゲの名前は、佐藤成樹だったはずだ。
苗字が違うけれど、
けれどこれが偶然とは思えなかった。
もしこいつがシゲだったら?シゲが、こいつだったら?
二人が同一人物だとしたら、自分が今まで悩んでいたことは全て無くなる。
シゲを裏切らないと決めていた。ずっとシゲだけが特別だった。
あの日からそうだった。
だから体は許しても、心だけは許さないつもりだった。
なのにあの日さよならを言った藤村がいつまでも胸を塞いで
自分を窒息死させそうなぐらいだ。
けど、二人が同一人物なら…………
苗字が違うなんて10年たてばいくらでもありえることだ。自分だって両親の離婚で苗字が変わっている。
シゲの家庭の事情に詳しかったわけではないが何かしら問題を抱えていたのは確かだった。
作品名:Last/prologue 作家名:神颯@1110