きみがいた夏
「ひゃうっ」
夏の朝。もうすぐ待ちに待った夏休みということもあって、なんだか周りのみんなの足取りも軽く感じられる登校途中。
黒のランドセルを背負って歩くあたしの近くで、耳慣れたすっとんきょうな声があがった。そちらを見なくても、何が起きたのか想像がつく。それでも足を止め、その子のほうを見る。
「イタタタ……」
「だ、だいじょうぶ!? ルナちゃんっ」
「うん、まなちゃん」
地面にうつぶせに倒れていたのがむくりと起き上がり、やっちゃった、というように頭を掻いている、髪の長い小柄な女の子。……竜堂ルナ。あたしの幼なじみ。どじで天然で、何もないところですぐコケる。「だいじょうぶ?」と口々に問う周りの子たちに、「だいじょうぶだよ」と答えてみせるその顔は、笑顔。ああもう、膝擦りむいたりして、ぜったい痛いでしょ。……もうっ。
「まったく、また転んだの!? ほら、さっさと立つ!」
「あっ……」
立ち止まる子たちを押しのけるようにして進み、ルナに近づく。細い手首を掴んで立ち上がらせる。目があうと、ルナの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう、チャエ」
「……あたしはサエだっての」
なんだかむっとして、足早にその場を去る。
「あっ、待って。今日のお祭り、チャエも行くよね!?」
「サエちゃ~ん」
ルナの、そしてまなみの声が追いかけてくるけど、あたしは振り返らなかった。
「サエ、あんたまたルナの世話焼いてたでしょ」
「保護者だね~」
「そんなんじゃないっての」
教室で仲のいい子たちにそんなことを言われ、あたしはついつい、つんとした態度を取ってしまう。校門を少し過ぎたところのことだったから、見られていたらしい。
「あの子、トロいもんね」
「あたしだったら付き合ってらんないなあ」
(……勝手なことばかり言って)
机に頬杖をついてそっぽを向く。もう会話に加わる気はなかった。
ルナは、みんなに優しい。ルナが本気で怒っているところなんて、長い付き合いだけど一度も見たことがない。
「ほんとドジだよね~」なんて嫌味っぽく言われても、へらへら笑って流しちゃう。本当は落ち込んでいるくせに。あたしは、そんなルナにイライラせずにはいられない。
けど、わかってる。あたしが本当にイラついているのは……。
「どうしたの、サエ。あ、うるさかった? ゴメンゴメン」
「ゆるして?」
「あ、ああ、うん……べつにうるさくなんかないよ」
「ゆるす心」。それはルナが、本当の親とも言えるほど懐いていた都和子先生から教わった言葉。そう、ルナはずっと、先生との約束を守っているんだ。
本当の親。ルナにはその存在がない。というより、わからない。
あたしたちが暮らしているのは施設「星の子学園」。あたしたちはいわゆる「孤児」ってやつらしい。事情があって親と暮らせなかったり、親が死んじゃって暮らす家がない子たち。
あたしの両親も、あたしが5歳のときに亡くなった。だから誕生日がわかる。けれどルナは特殊で、赤ちゃんの頃学園の前に置き去りにされていたらしい。名前だけは、おくるみに一緒に包まれていたペンダントに彫ってあったためわかったそうだ。「2人だけの秘密だよ」と見せてくれた、リングのペンダント。そんな約束、ルナはもう忘れちゃってるだろうけどね。ほんと、のんびりしてるし。
……そう。
「ほんっとに、ドジ!!」
もはやお手上げ。あー、イライラする。
お祭りの騒がしい道をずんずん歩きながら、あたしは悪態をついた。
いくらドジだからって、小学4年生にもなって迷子になるやつなんて――
いたのだ、ルナが。
夏祭りのさなか、いつのまにかいなくなってしまったらしい。
今、学園の先生とみんなで捜索中だ。なさけない顔をしたまなみをはじめ、みんなおろおろしている。
「まったく、あの子は……」
あたしが見つけたらぜったい、真っ先に文句を言ってやるんだから。なんて考えていたら、ふと、ある屋台が目に入った。古びた布には「りんご飴」の文字。ずらりと吊るされたりんご飴と、あと、いちご飴。
「んー……」
「まいどありー」
つやつや光るいちご飴2本を手に、ルナ捜索を続ける。
いちごのお菓子はルナの好きなものだ。ま、一番は焼きそばだけど。
明るく騒々しい祭り会場を抜けて、池のほうへ歩いた。ただ、なんとなく。
「……わあ」
思わずため息が漏れた。
さわさわと、夏の夜風に揺れる草。その中心に、まるで鏡のような水をたたえた丸い池があった。
その前にまるでベンチのように横たわった丸太に、浴衣姿の少女が座っていた。明るい色の髪は長く、風にかすかに揺れている。見慣れた横顔は、彼女に間違いないはずなのに。
「……ルナ?」
少しだけ、その名前を呼ぶのをためらったのはたぶん、ルナのまとった不思議な空気のせい。
たしかにそこにいるのに、蛍みたいに儚くて、今にも煙のように消えてしまいそうな。……って、バカ! 目の前にいる人間が、消えたりするわけないじゃん!
「チャエ」
落ち着いた声。澄んだ瞳がこちらに向けられる。なんだか不思議だ。まるで一気に大人っぽくなったみたい。
「チャエじゃないって。……ほら」
「わあ、ありがとう!」
戸惑いながらいちご飴を手渡すと、たちまち子どもっぽく笑ってはしゃいだ。……やっぱりルナだ。この能天気そうな笑顔は。
並んで丸太に座り、しばらく会話もなしにいちご飴を食べる。あたしは食べ終えると(ルナはとっくにその小さな胃袋に納めている)ルナに声をかけた。
「ルナ、みんな心配してるんだよ。早く戻ろう」
「あっ」
あたしの声を遮るように、ルナが声をあげた。
「なんなの……あ」
ルナが指さした先を辿ると、池に大輪の光の花が映っていた。
見上げると、そこは光のショー。ドオォ……ン! ヒュー…ドォン! と、次から次へと花火が上がっていく。すごい数だ。何か所かで同時に打ち上げているのだろうか。視界を埋め尽くすほどの花が、一斉に咲き誇る。そんな、幻みたいな……夢のような光景を、あたしは声もなく、ルナといっしょに眺めていた。
「ん、しょっ」
ルナが立ちあがる気配がして、あたしはふと池に視線を落とした。そこには、海のような夜空と二つの月。そして、白っぽい髪の浴衣姿の少女が映っていた。
「ルナ」知らず声が震える。ゆっくりと、顔を上げる。
となりに、ルナが立っていた。腰まである長い銀色の髪が、水色の着物を纏った華奢な体を包むようにさらさらと揺れている。心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、視線を上にずらしていく。
やわらかな笑みが浮かんだ口元。そして、そこから上はキツネのお面で覆われていた。目元は見えない。
何やってんの、お面なんか着けて、と出かかった言葉を飲み込む。さああ……と銀色の髪が、足元の草が、池に映った世界が――揺れた。
「じゃあ、行くね」
……ああ、そうだったね。
あんたは、行かなきゃならないんだよね。
『どうしてもやらなきゃいけないこと』が、あるんだよね。
「……うん」
うなずくと、ルナはまた、ゆっくりと笑った。お面に隠された目元はわからない。けれど、微笑んでいるのだろう。
「ルナ、あたし」
シャ――――ン!
夏の朝。もうすぐ待ちに待った夏休みということもあって、なんだか周りのみんなの足取りも軽く感じられる登校途中。
黒のランドセルを背負って歩くあたしの近くで、耳慣れたすっとんきょうな声があがった。そちらを見なくても、何が起きたのか想像がつく。それでも足を止め、その子のほうを見る。
「イタタタ……」
「だ、だいじょうぶ!? ルナちゃんっ」
「うん、まなちゃん」
地面にうつぶせに倒れていたのがむくりと起き上がり、やっちゃった、というように頭を掻いている、髪の長い小柄な女の子。……竜堂ルナ。あたしの幼なじみ。どじで天然で、何もないところですぐコケる。「だいじょうぶ?」と口々に問う周りの子たちに、「だいじょうぶだよ」と答えてみせるその顔は、笑顔。ああもう、膝擦りむいたりして、ぜったい痛いでしょ。……もうっ。
「まったく、また転んだの!? ほら、さっさと立つ!」
「あっ……」
立ち止まる子たちを押しのけるようにして進み、ルナに近づく。細い手首を掴んで立ち上がらせる。目があうと、ルナの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう、チャエ」
「……あたしはサエだっての」
なんだかむっとして、足早にその場を去る。
「あっ、待って。今日のお祭り、チャエも行くよね!?」
「サエちゃ~ん」
ルナの、そしてまなみの声が追いかけてくるけど、あたしは振り返らなかった。
「サエ、あんたまたルナの世話焼いてたでしょ」
「保護者だね~」
「そんなんじゃないっての」
教室で仲のいい子たちにそんなことを言われ、あたしはついつい、つんとした態度を取ってしまう。校門を少し過ぎたところのことだったから、見られていたらしい。
「あの子、トロいもんね」
「あたしだったら付き合ってらんないなあ」
(……勝手なことばかり言って)
机に頬杖をついてそっぽを向く。もう会話に加わる気はなかった。
ルナは、みんなに優しい。ルナが本気で怒っているところなんて、長い付き合いだけど一度も見たことがない。
「ほんとドジだよね~」なんて嫌味っぽく言われても、へらへら笑って流しちゃう。本当は落ち込んでいるくせに。あたしは、そんなルナにイライラせずにはいられない。
けど、わかってる。あたしが本当にイラついているのは……。
「どうしたの、サエ。あ、うるさかった? ゴメンゴメン」
「ゆるして?」
「あ、ああ、うん……べつにうるさくなんかないよ」
「ゆるす心」。それはルナが、本当の親とも言えるほど懐いていた都和子先生から教わった言葉。そう、ルナはずっと、先生との約束を守っているんだ。
本当の親。ルナにはその存在がない。というより、わからない。
あたしたちが暮らしているのは施設「星の子学園」。あたしたちはいわゆる「孤児」ってやつらしい。事情があって親と暮らせなかったり、親が死んじゃって暮らす家がない子たち。
あたしの両親も、あたしが5歳のときに亡くなった。だから誕生日がわかる。けれどルナは特殊で、赤ちゃんの頃学園の前に置き去りにされていたらしい。名前だけは、おくるみに一緒に包まれていたペンダントに彫ってあったためわかったそうだ。「2人だけの秘密だよ」と見せてくれた、リングのペンダント。そんな約束、ルナはもう忘れちゃってるだろうけどね。ほんと、のんびりしてるし。
……そう。
「ほんっとに、ドジ!!」
もはやお手上げ。あー、イライラする。
お祭りの騒がしい道をずんずん歩きながら、あたしは悪態をついた。
いくらドジだからって、小学4年生にもなって迷子になるやつなんて――
いたのだ、ルナが。
夏祭りのさなか、いつのまにかいなくなってしまったらしい。
今、学園の先生とみんなで捜索中だ。なさけない顔をしたまなみをはじめ、みんなおろおろしている。
「まったく、あの子は……」
あたしが見つけたらぜったい、真っ先に文句を言ってやるんだから。なんて考えていたら、ふと、ある屋台が目に入った。古びた布には「りんご飴」の文字。ずらりと吊るされたりんご飴と、あと、いちご飴。
「んー……」
「まいどありー」
つやつや光るいちご飴2本を手に、ルナ捜索を続ける。
いちごのお菓子はルナの好きなものだ。ま、一番は焼きそばだけど。
明るく騒々しい祭り会場を抜けて、池のほうへ歩いた。ただ、なんとなく。
「……わあ」
思わずため息が漏れた。
さわさわと、夏の夜風に揺れる草。その中心に、まるで鏡のような水をたたえた丸い池があった。
その前にまるでベンチのように横たわった丸太に、浴衣姿の少女が座っていた。明るい色の髪は長く、風にかすかに揺れている。見慣れた横顔は、彼女に間違いないはずなのに。
「……ルナ?」
少しだけ、その名前を呼ぶのをためらったのはたぶん、ルナのまとった不思議な空気のせい。
たしかにそこにいるのに、蛍みたいに儚くて、今にも煙のように消えてしまいそうな。……って、バカ! 目の前にいる人間が、消えたりするわけないじゃん!
「チャエ」
落ち着いた声。澄んだ瞳がこちらに向けられる。なんだか不思議だ。まるで一気に大人っぽくなったみたい。
「チャエじゃないって。……ほら」
「わあ、ありがとう!」
戸惑いながらいちご飴を手渡すと、たちまち子どもっぽく笑ってはしゃいだ。……やっぱりルナだ。この能天気そうな笑顔は。
並んで丸太に座り、しばらく会話もなしにいちご飴を食べる。あたしは食べ終えると(ルナはとっくにその小さな胃袋に納めている)ルナに声をかけた。
「ルナ、みんな心配してるんだよ。早く戻ろう」
「あっ」
あたしの声を遮るように、ルナが声をあげた。
「なんなの……あ」
ルナが指さした先を辿ると、池に大輪の光の花が映っていた。
見上げると、そこは光のショー。ドオォ……ン! ヒュー…ドォン! と、次から次へと花火が上がっていく。すごい数だ。何か所かで同時に打ち上げているのだろうか。視界を埋め尽くすほどの花が、一斉に咲き誇る。そんな、幻みたいな……夢のような光景を、あたしは声もなく、ルナといっしょに眺めていた。
「ん、しょっ」
ルナが立ちあがる気配がして、あたしはふと池に視線を落とした。そこには、海のような夜空と二つの月。そして、白っぽい髪の浴衣姿の少女が映っていた。
「ルナ」知らず声が震える。ゆっくりと、顔を上げる。
となりに、ルナが立っていた。腰まである長い銀色の髪が、水色の着物を纏った華奢な体を包むようにさらさらと揺れている。心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、視線を上にずらしていく。
やわらかな笑みが浮かんだ口元。そして、そこから上はキツネのお面で覆われていた。目元は見えない。
何やってんの、お面なんか着けて、と出かかった言葉を飲み込む。さああ……と銀色の髪が、足元の草が、池に映った世界が――揺れた。
「じゃあ、行くね」
……ああ、そうだったね。
あんたは、行かなきゃならないんだよね。
『どうしてもやらなきゃいけないこと』が、あるんだよね。
「……うん」
うなずくと、ルナはまた、ゆっくりと笑った。お面に隠された目元はわからない。けれど、微笑んでいるのだろう。
「ルナ、あたし」
シャ――――ン!