ひとつに、とけあう
兄弟がいなくなってしまった。
大和田が処刑されたあの日以来、石丸はすっかり生気を失ってしまっていた。彼がいた頃はあんなに鮮やかだった日々も今では全てが灰色だ。兄弟、兄弟とお互いに呼びあい、笑いあっていた頃が懐かしい。はじめの頃はお互いなんとなく合わないだろうと避けていたが本音をぶつけあい、サウナで対決し、そうしてやっと分かり合えることができた。それなのに――それらが跡形もなく崩れ去ってしまった。
とにかく大和田が亡くなってから、石丸は半ば生きている意味まで自問自答するようになっていた。
(兄弟がいない、兄弟がいない、兄弟、が、いない、きょうだいがいない、きょうだいがいない、きょうだ、い、がいない、きょう、だい、が、いない、)
どれだけ大和田に執着していたか今ならわかる。気付くのがあまりにも遅すぎたのだ。
自分で提案した朝食会も情けないことに今では放棄してしまっている状態だ。なんとか葉隠が代わりを務めてくれているようで任せっきりにしてしまって心から申し訳ないと思った。けれども当の石丸はその謝罪の言葉を口に出来るぐらいの精神状態ではなかった。何せ食事すらまともに取れない。皆に追いついていくのが精一杯だった。
大和田に、愛すべき兄弟に逢いたくてたまらなかった。今はもういないけれど。枕に顔を埋めて声を押し殺す。
(きょうだい、きょうだい、きょうだい、)
涙が頬を伝う。もう何度目になるのかわからない、温い涙。
もしも時間を巻き戻せられるのなら――大和田に逢いたい。逢って、自分が不二咲を殺してしまう直前の彼を止めてやりたかった。そうすれば彼はあんな風に…大和田の処刑される場面を思い出してしまい、強烈な吐き気に襲われる。片手で、口元を押さえてシャワールームに駆け込む。胃の中にある物を全て便器の中に吐き出す。けれどここ数日ろくに食事に手をつけることが出来なかったせいで吐いたのは殆ど胃液だった。吐き終えたところで息を整え、レバーで流す。嗚咽と共に今度は声を上げて泣いた。
『人間、堕ちるところまで堕ちればあとは急降下していくだけだ』いつか祖父が口にしていた言葉を思い出す。悔しいが本当にそうだ。現に今、自分は風紀委員という役職を投げ出してしまっているのだから。
重い足取りでシャワールームを出てベッドへと戻る。とにかく身体が鉛のように重く気怠かった。
(兄弟を失ってしまった僕はこの先、一体どうしたらいいんだ。大切な人すら救えなかった僕に生きる価値なんて――)
「ないなんて考えてるんじゃないだろうね~」
自分しかいない筈の部屋で誰かの声が聞こえた。気がおかしくなりすぎて、とうとう幻聴でも始まったのかと自嘲気味に笑っていたが「ちょっと~!無視は流石にないでしょ~!あ、もしかして石丸クンもみんなに遅れて反抗期が来たとか? 超高校級の風紀委員が反抗期だなんてボクもビックリだよ〜うぷぷぷっ」
2度目の声を耳にしてからようやく気づいた。この癇に障る独特の高い声。そして何より「うぷぷぷ」という台詞。
「モノ…クマ?」
左右、身体半分白と黒2色に分かれていて一見可愛げ気のある容姿に見えるがその中身は残虐そのものだ。そうだ…こいつが兄弟を…!!
「きっ…さまあああっ!!」
沸々と腹の底から湧いてくる怒りに衝動を任せてベッドから飛び出しモノクマへと拳を向けて殴りかかる。けれども、強い疲労感のせいで身体が思うように動けず何もないところで躓き、転んでしまう。
「ほらほら~、無理は禁物だよ~。ただでさえ大事なお友達がバターになってお通夜状態なんでしょ~?」
「ふざけるな…一体誰のせいだと思っているんだ…ッ!」
顔面、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら声を荒上げ、訴える。
「…全くさぁ、つくづく思うけど鈍いよねぇ。キミ、ホント鈍い」
モノクマがくるっと背を向ける。その瞬間どこからか不自然なほどの煙がモノクマを隠すように包んだ。身体が動けないままの石丸はただその光景を目を見張っている他なかった。
「少し早い気がするけどキミには特別に先にバラしちゃおっかな」
まるで語尾に音符マークでもつくような軽さでサラッと重要な一言を口にするモノクマ。
バラす?まさかここの、黒幕をか?
心臓が尋常じゃない速さで高鳴る。目を凝らし、固唾を呑み込む。
「大和田紋土を『殺した』犯人は――石丸、アンタだよ」
もくもくとした煙が段々と晴れていき、その姿が露になる。黒いブーツに不健全なほど短いスカート、大きく開かれた胸元。ハデな外見だが全体的にバランスがとれて見惚れるほどにスラッとした体型。彼女は――
「江ノ島…君?」
一度、モノクマにグンニグルの槍で無残に殺されてしまった筈の江ノ島盾子がそこにいた。
「うぷぷぷ…その明らかに失望した表情…まさに絶望的だねぇ」
彼女は現れるなりモノクマの口調をマネて石丸に言った。
今、おきている状況に頭が追いつかない。ハリネズミのように身体中穴だらけに槍で刺されしまった彼女が何故、ここに何事もなかったように無傷で生きているのか。
「どうして…ッ、君はモノクマに殺されてしまったんじゃ…」
「あー、残姉のこと?ま、飽きちゃったからつい、って感じかな」
石丸は江ノ島の発言にただ、だらしなく口をぽかんと開けたまま聞いている以外出来なかった。この女は何を言っているのだ。
「まっ!細けェことは気にすんなよ!!いちいち説明すんのもメンドくせーし!!」
かと思えば今度は両手をクロスさせてイカれた調子でこちらの質問に答えた。嫌な汗が額を伝い、だらだらと流れてくるのを感じる。
「…ひとつ訊かせてくれ」
元の調子に戻った江ノ島が「ん?」と一応、反応する。
そうだ、どうしても『あれ』の真意を聞かねば。
「僕が…兄弟を『殺した』とはどういう意味なんだ…殺したのは…兄弟を追い詰めたのは全部お前のせいじゃないかッ!!」
叫んだ刹那、江ノ島の顔色が一気に変わった。
「…は?」
上からこちらを見下す視線が、氷のように冷たい。鋭く凍てついた瞳が石丸を射抜く。恐怖を感じた。背筋に悪寒が走る。逃げようとしても逃れられない視線に石丸はただ恐れを抱いていた。
「アンタ…ここまで来てマジで察せないわけ?わかってんの?いくら編入前の学校におトモダチがいなかったからって初めて出来たおトモダチに依存してどーすんの?大和田はアンタの勝手な理想と信頼を押し付けられて死んだもドーゼンなのよ。勝手に『ボクの兄弟は強い男だ』なんて理想を抱いて、たかがそんな日も経っていない、出来たばかりのおトモダチと何わかりあえた気になってんの?そんなのアンタの独り善がりな依存なのよ。どうあがいてもね」
言葉のひとつひとつが刃となってグサリと胸を抉る。鳩尾が痛む。
そうだ。大和田君に、兄弟に無自覚のまま勝手な理想を押し付けていたのかもしれない。大和田君は僕にないものを持っていた。豪快さ、何事にも怯えずに堂々と立ち向かえる『強さ』。そんな彼は余程のことではへこたれないであろう、そう思い込んでいた。
しかし、キッカケは本当に些細だった。まさか不二咲君の前向きさに彼が嫉妬してその結果が――人間なのだ。弱さのひとつやふたつあってもおかしくない。