家に帰り着くまでが旅行です。
寝袋を持ってくれば良かったと凛は思った。寝袋があるといいような事態が発生するとは、想定外だった。
「凛」
遙が名を呼んだ。
うっかり、凛は声がしたほうを見てしまう。
ベッドで横になっている遙が凛のほうを向いている。
やめろ、やめろ、やめてくれ！
この状況、キツすぎるーーーーー！！！！！
凛はサッと眼をそらし、うつむいた。
「本気で床に寝るつもりなのか？」
遙が問いかけてきた。
だから、凛は言い返す。
「あたりまえだ」
「おまえはバカか」
遙は憎らしいぐらい冷静な声で言う。
「もうすぐ全国大会だ。それなのに、おまえは体調を崩すかもしれないことをするつもりか？」
すでに凛はよりどりみどり状態で大学からスカウトが来ているし、実は日本の大学以外の選択肢も頭にある状態だが、試合には万全の体調でいどみたい。
「たしかにふたりで寝ると狭いだろうが、床に寝るよりマシだろう」
「そーゆー問題じゃねぇよ！」
ふたりで寝ると狭いのが問題なのではない！
「じゅあ、なにが問題なんだ？」
少し不思議そうな声で遙が聞いてきた。
凛は答えることができなかった。
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明
「……凛」
遙が話しかけてきた。
「般若心経を唱えるのはやめてくれないか」
うっと凛は息をのんだ。
今、凛はひとつのベッドで遙とふたり、背中合わせの状態で、寝ている。
ちなみに、先に選べた遙の枕は、NO、だ。
枕で主張されなくても、そんなこぐらい、わかっている！
しかし、わかっていても、どうにもならないことはあって、だから、般若心経を唱えることで煩悩を消し去ろうとしていたのに……！
しかたないので、凛は、今度は頭の中で羊の数を数えることにした。
もう深夜という時刻である。
羊の数をものすごくたくさん数えた凛は、さすがに意識が途絶えた。
だが。
背中になにかがぶつかってきた。
なにかって……。
それは、もちろん。
「！」
凛は目覚めた。
そんな凛に追い打ちがかけられる。
ぶつかってきたのは遙で、さらに遙は凛の身体に腕をまわしてきたのだ……！
「！！！！！？？？？？」
凛は驚く。
そのうえ。
遙は片方の足を凛の足に乗せてきた。
ひとつのベッドで、想う相手の身体がすぐそばにあって、凛は胸のうちで叫ぶ。
かんべんしてくれーーーーーー！
ドキドキが、いや、正直に言おう！ ムラムラが止まらねぇ……っ！
遙がその身体をいっそう寄せてきた。
その感触、その体温、その香りに、くらくらする。
もう無理！
さすがにもう無理だ！！！
理性がブチッと切れそうになった。
そのとき。
「やっぱりおまえは抱き心地がいいな」
すぐそばから、遙のうっとりとした声が聞こえてきた。
その声は続ける。
「サバ」
えっ。
凛は眼を丸くした。
それから。
えーーーーーーーーーーーーーっ！！！！！
胸のうちで叫んだ。
朝がやってきた。
ベッドで上体を起こした遙は無表情で大きく伸びをしている。よく眠れたようだ。
一方、凛は遙がいるのとは反対側に腰掛け、沈痛な面持ちでうつむいている。
「なあ、ハル」
低く暗い声で凛は遙に問いかける。
「おまえはいつもサバを抱いて寝てるのか……？」
「は？」
遙は戸惑ったような声をあげた。
だが、すぐに冷静な声で凛の質問に答える。
「本物のサバじゃなく、サバの抱き枕なら抱いて寝ることがある」
「そうか」
相づちを打った凛の声は少し明るい。
遙が本物のサバを抱いて寝ているわけでなくて、そして、自分が本物のサバと同じ感触だったというわけでなくて、ほっとした。
作品名：家に帰り着くまでが旅行です。 作家名：hujio