【青エク】睡鬼草
「勝呂君、こっち手伝ってやって」
引率の湯ノ川が、勝呂竜士を手招きする。
夏休みも残りわずか。今日は候補生《エクスワイア》たちが全員駆り出されて、薬草摘みをやらされている。志摩や奥村などは宿題が終わってないと、一日潰れてしまう任務にぶーぶーと文句を言っていたが、その場にいた塾生、講師たち全員に『計画的に終わらせなかった自分たちが悪い』と口々に指摘されて凹んでいた。
派遣されたのは森林区域の奥深く。昼なお暗い木立の中は涼しかった。残暑と言いながらもうだるような暑さの残る毎日とは正反対で、居心地が良いくらいだ。今日の目的はそんな場所でしか採取できない非常に特殊な薬草で、茎と葉、花を使用する。効能もかなり珍しいものだ。しかも、限られた時期に急いで採取し、その場で蒸留してエキスを抽出してしまわないと効果がなくなり、あっという間に枯れてしまう。時期を逃せば、次に芽を出して花を咲かせるのは七年後、とまるでセミのようだ。
湯ノ川が指示した方へ行くと、薄紫の花弁がラッパのように開いた花の群生に足首辺りまで埋もれて、ジャージを着た一人の男子生徒が困ったような顔をしていた。一つ年上の塾生だ。もう昼を過ぎて大分経つ。つまり、ほとんど彼の所だけ進んでいないと言うことなのだろう。
「笠子《カサゴ》」
「あ…、坊《ぼん》」
明陀宗の戦闘員の血筋に生まれた少年だ。糸のように細い、まるで居眠りでもしているような目に、困っているかのように下がった眉毛。色素の薄い肌と髪の毛。ひょろりとした体つきで、『カサゴ』なんて、ごつい姿を持つ名前の魚とは似ても似つかない。いつもオドオドして、気の弱いこの少年は、なかなか自分の意見を言わず、嫌がるにしても押しが弱すぎて、簡単に周りに流されてしまうので、勝呂から見ると酷くイライラする存在だった。
「ちゃっちゃとやってしまおうや」
「…ハイ」
躊躇う笠子を他所に、勝呂は軍手をしてしゃがみ込む。根元に近い所から、支給された鋏で刈り取り、腰につけたかごに放り込んでいく。花そのものの香りは弱く、群れていてもほとんど香らない。だが、切り取った途端に甘いような、すっきりした香りが微かに立ち上る。勝呂でもいい香りだと思う。摘んでからは一気に萎れる。瑞々しいままに蒸留してしまわなければならないから、時間との勝負だ。だが、促された幼馴染みは困ったような顔をして花を見つめていた。
『睡鬼草』と呼ばれるその草は、人間に害はなく、普通に生えている状態では悪魔にも効果がない。だが、切り取った状態や、蒸留させて抽出したエキスには、ある程度までの級《クラス》の悪魔を眠らせる効果があった。古い文献に拠れば鬼退治に使われたこともあるらしい。強い悪魔には効かないが、雑魚程度なら効果は充分らしい。
ところが。今日のこの任務が始まってすぐ、耐性がなかったのか、奥村燐がこの花を一輪摘んだ格好で眠り込んでしまった。十分程度ですっきりと起き上がったが、ほんの一瞬でも悪魔にしてみれば致命的だろう。
「サタンの息子、意外に弱いんじゃね?」
幸せそうな顔で居眠りする少年を見て、ひそひそと勝手な憶測が飛んだ。燐の弟であり、引率を担当する講師の一人でもある奥村雪男が、大慌てで正十字騎士團に連絡を取って『睡鬼草』の効果と研究の見直しを依頼していた。
それ以降、燐は蒸留チームの補佐――欠伸を繰り返しながら、大量の水を汲んでは運ばされる仕事――に回されている。他の一年生達は山のあちこちに散って花を採り、中腹に設置された大きな蒸留釜へ運んでいくのを繰り返していた。
「…この前、家族には挨拶出来たんか」
ぼそりと勝呂が尋ねる。夏に不浄王討伐に京都へ遠征に行った折の話だ。睡鬼草に手を出そうとしない少年は、寂しそうな顔をして首を無言で振った。勝呂は溜め息を一つ吐く。幹部を務めてきた家筋である志摩、宝生ほどではないが、少年の両親も代々明陀の信徒だった。両親二人と、その双方の家族は、手騎士《テイマー》としてかなりの力を持った祓魔師たちで、明陀の中でも相当に強い使い魔を使いこなすことが出来た。その二人から産まれた子供で、しかも長男とくれば、両親の期待も高かった。
だが、少年は悪魔に怯えた。兄弟や従兄弟たちが祓魔師としての素質を表す年頃になっても、何一つ出来ずに常に味噌っかす扱いされて育ってきた。
加えて、祓魔に特化した明陀は護りも堅いはずだが、その中にあって、生まれながらに魔障を受けていたと言う、特殊な事情を抱えていた。彼が生まれた当時は、明陀の中でも相当揉めたらしい。不吉な前兆とする当時の幹部連と、類まれな能力の発現であると主張する笠子の両親とその賛同者達は真っ向から対立し、危うく分裂の危機を引き起こしかけた。その後『青い夜』が起こり、両親がそれに巻き込まれて亡くなったことで彼らの対立はうやむやの内に終わったが、一族の者が少年にかけた期待は相当に高かったらしい。両親亡き後彼を引き取った祖父母は、成長しても全く祓魔の力を出せない少年に、落胆しながらも、その後も考えうる最高の祓魔教育を受けさせていた。
そして、当然のように高校で正十字学園と祓魔塾に放り込まれる。
だが、依然彼は祓魔の才を現わさず、残念ながら成績も振るわず祓魔塾でもお手上げ状態、実家でも今では帰省してもあからさまに歓迎されない雰囲気だと言う。
「笠子、お前ロクでもないこと考えてんのと違うか」
ずばり、と切り込まれて少年がびくりと身体を震わせた。泣きそうな顔で勝呂を見上げてくる。
「坊……」
「誤魔化さんと、言うてみ」
何度か口を開いて閉じてを繰り返した少年は、恐る恐る喋りだした。
「おれ…、辞めたい……」
「ナニ辞めたいんや」
大方想像がついていたが、それでも勝呂ははっきり問わねばならなかった。恐らく、明陀の事情をそれとなく察してくれた湯ノ川の計らいであったのだろう。あるいは、何とかしてくれ、と投げられたのか。
「祓魔塾辞めて、明陀も辞めたい」
「なしてや」
「なしてて……」
ぼそり、と呟いて、それきり黙ってしまう。ざわり、と風が梢を鳴らしていく。
「黙ってても判れへん」
「……坊にも判ったはるはずでしょう。俺には向いてへん」
思わず溜め息を吐いてしまう。
「確かにそうかも知れん。せやけど、お前もなんぞ遠慮しとんのと違うか」
笠子は躊躇ったように手元を見つめる。その先には、さっきから摘もうか摘むまいか迷っていた小さな花が揺れていた。
「坊」
「なんや」
「坊のとこに、奥村君て居てはりますやろ」
「おう」
何の話かといぶかしみながら答える。少年は見たこともないほど真剣な顔をしていた。
「彼、悪魔てホンマですか?」
「おん」
睡鬼草に伸ばした手が微かに震えていた。
「……俺も、同じやったら……?」
苦しげに寄せた眉根が、彼の苦悩を物語っていた。ああ、そうなのか、と今更ながら彼自身がナニに怯えていたのか腑に落ちた気がした。生まれながらに受けた魔障とはなんなのか。それがはっきり判らなくて悩んでいたのだ。うじうじと、自分の中だけで。
「なら、摘んでみぃ」
少年がビックリした顔で勝呂を見つめてくる。
「だって……」