【青エク】睡鬼草
「摘むんや。そうすればはっきりするやろ。それとも、聖水かけたった方がええか?」
そう、彼は自分が悪魔の子なのではないか。それを思い悩んでいたのだろう。しかも、事情を知っているはずの両親は居ない。祖父母たちは話すらしようとしてくれない。
「お前、さっきの奥村見たんやな」
こく、と思いつめた顔で笠子が頷いた。
「俺も寝てもうたら、どないしよ……。なして悪魔の血引いとるんやろ」
「なんともないかも知れんやろ」
でも、と落胆したように続ける。こうやってずっと悩んできたんやな。そこから一歩も動かず。
「せやったら、なんで俺、使い魔も出せへんのやろ」
勝呂も黙ってしまう。正直、そんなこと判るワケがない。遺伝なのか、何処の誰とも知らない存在のいたずらなのか。なんにしろ、自分たちの力の及ぶ所ではない。
「あのな。手騎士だけが祓魔師と違うで。他の称号《マイスター》でも取ったらエエやろ」
「せやけど…」
少年は脊髄反射のように返した。優れた手騎士を輩出してきた家だから、その能力にこだわってしまうのは判らないでもない。
縛られすぎなんや。
勝呂にしてみれば、真実を追究しようとせずに、ただどうしようと言い続けていることのほうが理解が出来なかった。判ってしまえば、対処も出来る。なにか良い考えが浮かぶかもしれない。例え望まない結果でも、何も知らずに真実から目を逸らして逃げ続けることの方がイヤだった。それでも、万人が彼と同じように考えられるわけではない、と言うことも知っている。イラっとする気持ちを抑えた。
「同級の女子がな」
勝呂の話についていけず、笠子がきょとんとした顔をする。
「祓魔師には悪魔の血縁は結構多いて言うねや。せやから明陀の中にもそんなヤツもおるやろ」
「ほなら、なして俺なんやろ」
勝呂の言いたいことは判ったようだ。だが、決心がつかないのだろう。目を逸らして地面を見つめる。
「明陀は悪魔の血縁を嫌うとるんと違うえ」
そもそもは明陀宗の始祖、不角が封じた『不浄王』を抑えておくための集団だ。
「不浄王滅したやろ。新しい体制作ろうて、結構ワヤなんや」
混乱期なら実力でのし上がっていくのも比較的簡単だ。自分にはそれだけ明陀に、いや京都出張所に対して貢献できる、と示せばいい。だが、彼には自分の力がどんなものなのか、悪魔なのか、人間なのか、確かめようという勇気が出ないようだった。薄紫色の花をじっと見つめたまま、微動だにしなかった。
「あいつな」
勝呂がふっと笑いながら切り出す。
「奥村は思い切り良すぎるんや。お前と正反対やな。お前ら足して二で割った方がエエわ」
「思い切って…、どないなるやろ?」
泣きそうな顔をしている。ずっと誰にもその気持ちを零したことがないのだろう。思い詰める性格だったとしても、随分長いこと自分の中だけで思い悩んでいたに違いない。時間が経ちすぎて、きっと思いも何もかもが澱みすぎているのだ。
「力使いこなすんや」
「だって…」
笠子がダメだ、と言うように手を振った。苛立って、その手を思わず叩いた。
「あのな、お前は明陀に生まれたんや。イヤやろうが何やろうが、俺と一緒に明陀立て直さなあかんのや。抜けるなんて、許さへん」
少年が叩かれて斜めに流れた手を、間抜けにも突き出したまま呆然と勝呂を見つめた。
「俺、エエのやろか…」
「エエも何もあれへん。エエか、明陀立て直すには、なんでもやってもらわなあかんねや。例えお前に何の力がのうても、ホンマに悪魔で物質界《アッシャー》乗っ取ったろ思うてても、明陀に生まれてしもうたんが運のつきや。諦めて腹ぁ括り」
泣きそうなくらいに眉尻を下げて、少年が力なく笑った。
「奥村、紹介したる。あいつと話して、力使えるようになれ。お前やったらあのアホより、早く力使いこなせるようになるやろ」
だから、と勝呂が続ける。
「そいつ、摘んでしまい」
目の前でそよ風に揺れる花を指差す。
まずは一つ決着をつけろ、と勝呂はそう言ったつもりだった。
勝呂の顔を見て、花を見て。交互に繰り返した少年は、ごくりと唾をのみこんだ。そして、震える手で薄紫色の花に触れようと手を伸ばした。濃い緑の茎が、風に揺れている。いや、折り取ろうとする笠子の手から逃れようと、微かな抵抗を試みているのか。勝呂と笠子の緊張した空気が、痛いほどに張り詰める。時間が止まったように、全ての音が消え去る。少年の指が茎に近付く。あと少し、あともうちょっと…。触れるか触れないか。
「おい、お前らのトコ花まだあるかぁ?」
突然、奥村燐の暢気な声が響いた。
集中していた二人が、びくりと身体を震わせた。
「な…、驚かすな!」
思わず勝呂が怒鳴った。
「なんだよ! あ、なんかマジな話でもしてたのか?」
邪魔した? とへこたれる燐に、思わず勝呂が溜め息を吐いた。
「坊……」
笠子の驚いたような声が、ぼそりと聞こえた。
「なした……」
振り向くと笠子が手に睡鬼草を一輪持っていた。肩で荒い息を吐きながら、マジマジと小さな花弁を開いた花を見つめている。
「おれ……、俺……」
言葉が出てこないらしい。身体が打ち震えていた。
「笠子……」
ようやった、と肩を叩こうとして、手が空振りをする。あれ、と思ったら、少年の身体が地面に長々と伸びていた。
「笠子っ……!?」
ぺちぺち、と頬を張る。が、少年は安堵しきったような安らかな寝息を立てていた。
「どうしたんだ?」
燐が具合でも悪いのか? と覗き込んでくる。
「いや、ほっとしたんやろ」
「?」
「迷い吹っ切ったねや」
思わずふ、と笑い出した。イヤ、この少年にとっては、重要なことだ。だが、どうであれ一つ区切りがついた。たとえ、コレからが大変なのだとしても。それを捌いて、守って、流されやすい少年の尻を叩くのも己の役目の一つだ。
「こいつ、もしかしたらお前と一緒かもしれん」
「え?」
燐がきょとんと聞き返す。
「もしかしたら、悪魔の血ぃ引いとるかもしれん。睡鬼草触って、伸びてしもうた」
「ああ。なんかこれ、眠くなるよな」
当たり前のように燐が感想を述べると、大きな欠伸を洩らした。
「アホか。これ上級悪魔には効かへんのやで。サタンの子が眠くなるて、おかしいやろ」
「しょーがねーだろ! 眠みーもんは眠みーんだよ!」
うがぁ、と燐が怒鳴る。倒れている笠子は一向に目を覚ます気配がない。
「水汲みに行ってもよー。なんか湯気がもうもうとしてるだろ? あちこちでコイツの匂いがしてさ。眠いの眠くねーのって」
もう一つ大きな欠伸をする。
「なぁ…。こいつが悪魔なら、お前はどう思ってんの?」
「こいつのことか? どうもあれへん。こいつはこいつや。お前もお前やで」
当たり前のことを聞くな、と鼻を鳴らした。
「…そっか」
燐がほっとしたように笑う。悪魔であることを、周りが受け入れるのは大変だ。だが、本人が受け入れていくのも大変なのだ。だから、なんだかんだと自分を巻き込むこの少年を、今度はこっちが巻き込んでやろう、と思う。そのくらいしたって良いだろう。
「それにしても、コイツなんか笑いながら寝てるぞ?」