敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
反戦を叫ぶ人の群れ――ひと月前に最初の遊星が落ちて以来、基地を囲む市民は日増しになっている。魚の死骸でいっぱいの海や、焼き尽くされた森の映像がニュースで流れるや、一部の者は石を投げるガミラスでなく、地球政府に怒りの矛(ほこ)を向けだした。これ以上に自然が破壊される前に降伏せよ。彼らはきっと、本当は、いい異星人に違いない。聖書の『ヨブ記』の神のように、すべて元通りにしたうえに倍の恵みをくださるのだ。どうしてそれがわからないのだ!
などと叫んで基地の中の人員にツバを吐きかけるようになった。真田と古代のいるこの基地が、波動技術の軍事研究をしているのは公然の秘密だったから、特に狂った者達が押し寄せるようになっていた。
『研究はんたーい! 人類は太陽系を出てはいけなーい! 波動砲は造ってはならなーい!』
『政府は嘘をついているーっ! 軍は波動砲を積む船で平和に暮らす異星の民を侵略するつもりなのだーっ!』
そんな声が聞こえてくる。波動理論が構築されて何十年も経つのだが、こんなことを叫ぶ者は初めの頃からすでにいた。これまでマトモな人間は相手にしてなかったものが、ガミラスの出現により勢力を増した――とは言え、狂人の集まりであり、言うことやることてんでメチャメチャ。やはり正気の大多数は相手にしていないというのが現実だ。
ガミラスに降伏して奴隷になろう。彼らは必ずいい異星人だから、労働で自由になれるに違いないぞ。身にシャワーでも浴びるように、彼らの進んだ知識を授けてもらえるんだ。サリンを適度に含んでいるくらいがちょうど快適という生物に進化する。それが人類の補完と言うもの――なんてなことでも考えてしまっているのだろうか。どうも、そうらしかった。その昔にカール・マルクスの本を読んだ人間がソビエト連邦や朝鮮民主なんとやら国(こく)を自由の国と本気で信じ込んだように、降伏論者はガミラスを理想の星とみなしていた。地球の軍は悪い軍で、ガミラスの軍はいい軍だ。
古代が言った。「狂ってるよな」
「まあな」
と真田は応えた。『降伏か滅亡かどちらか選べ』。ガミラスから最初にそう迫られたとき、地球政府はとりあえず、『降伏すればどんな処遇を受けるのか』と聞いてみたと言う。普通は嘘でも『悪いようにはしない』との返事が来そうなものだろう。だがガミラスはこう言った。『イエスかノーか。聞いているのはそれだけだ』。
そしてそれきり――これはまるで昔に日本が英米相手にした戦争で使ったやり口だと言う者もいる。本当はまともにやったら勝てない者がハッタリかましてるんじゃないのか、と。
あるいはそうなのかもしれない。波動エンジンを持てさえすれば、地球は勝てる。ガミラスは恐れるに足りる相手でなくなる――そう言われている。ワープ船を何隻か造ることができるなら――その船首に波動砲が積めるなら――そう言われている。やつらはそれを知っているから、地球人を恐れているのだ。だから頼む、波動砲を造ってくれと真田は請い願われていた。外で基地を囲んでいる変な連中の叫びは聞くな。
いずれにしても、遊星を投げてくるような相手に降伏など、バカげた選択と言うしかなかろう。やつらは地球人類に、絶滅以外何も求めてはいないのだ。その昔にヒトラーがユダヤに対してただ絶滅を求めたように。日本人がアイヌに対してそうしたように――そう考える以外ない。真田はまた寿司をつまみ、その自分の指を見た。
「兵器と言えば、おれのこの腕も爆弾さ。電池を外して安定剤を抜いてやれば、すぐ燃料が過熱して……」
ドカーン。家の一軒くらい吹き飛ぶ。そんなものを両手両足に一個ずつ、おれは着けて生きていると真田は思った。これがなければ脚で歩けず、手でものをつかめない。科学の進歩がこんな生き方を可能にしたが、しかしこんな生き方をせねばならなくなったとも言える。おれが波動砲を造ったら、そのときに人は言うのだろうか。その手と脚で波動砲を造ったのか。ならばその手は悪魔の手、そんな脚は悪魔の脚だと。お前などは手足のない芋虫として、汚水槽の中かどこかをのたくって生きていればよかったのだと。
今この基地を取り囲む者達ならばそう言うだろう。地球が造る波動砲は悪い波動砲だから、隕石や落下物を破壊するためと言いつつ結局は人に向けられることになります。地球に落ちる物体は愛で止めればいいのです。光速も愛があれば超えられます。二百年前、麻原彰晃という偉人がそうおっしゃっておられました。愛があれば手足などなくなっても不自由しないのに、どうしてそんなサイボーグ義手義足などに頼るのですか、トチローさん。波動技術は必ずや人を不幸にするでしょう。あなたなんかその手足の爆弾で自分自身を吹き飛ばして死んでしまえばいいのです。それが宇宙の愛なのです。
宇宙か、と真田は思った。無限に広がる宇宙――手にした海苔巻き寿司を見る。今、目の前にいる友はこれを〈銀河〉と呼んで食い、いつか自分ででっかいやつを見るのだと言う。
タクアンとシラスが中に入っていた。これもおそらく、三浦産のものだろう。だが果たして、同じものをまた食う機会があるだろうか。
いいや、おそらくこれが最後で二度とないのじゃないだろうかと真田は思った。遊星が落ち続ければ海は干上がると言われている。ほんの数発落ちただけで、環境はすでに甚大な被害を受けた。海は稚魚が成長できる海ではなくなりかけている。海苔の草も育つ海ではなくなろうとしている。
そして、いずれ人間の子も――今この基地のまわりを囲み反戦を叫んでいる者達は、果たしてそれがわかっているのか? いいや、あの連中は、皆ビューティフル・ドリーマーだ。社会や自然がどうなろうとも、コンビニへ行けばいつでもホールトマトでもシーチキンでも手に入ると思い込んでる。チョコレートは最初から板の形でこの世にあると考えてるに違いない。
牛肉や豚肉も、最初から肉の形でこの世にあると考えてるに違いない。だから自分は生き物の命を奪ったことなどないと平気で思っていられて、それは違うと言われることが許せない。今後は肉や魚など食えなくなると言われて怒り、ふざけるなと叫ぶのだ。
『つまり、ガミラスに降伏すれば、肉や魚が食えるってことだ。そうでしょう! そういうことなんですよね! なのにどうして降伏しようとしないんですか!』
このように叫ぶ者達が、〈おっぱいナチ党〉原口祐太郎などに投票してしまっているのが今の地球の現状だった。冷蔵庫に入りきらないほどの精肉を買い占めて、それが腐ってハエがたかれば捨ててまだまだ肉を買う。そんな者達が正義をかざす。〈正義〉とは常に幼稚で短絡的だ。そうでなかった例(ためし)など歴史上にひとつもあるか。
今の地下には、広大な農牧場が造られている。民を避難させるためそれが広げられていて、〈ノアの方舟〉と呼ばれる施設の建設も始まっている。海苔すら養殖されるだろう。食い物にすぐ困りはしないにしてもだ――しかしおそらく、そこで肉や魚は食えまい。食肉用の家畜を育てる余裕などはなくなるはずだ。人は隣人の飼い犬や猫を殺して食おうとするかも。それどころか、人を殺して食おうとするかも。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之