敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
それが人というものだろう。真田は寿司を口に入れた。
「古代」と言う。「この寿司はうまいな」
「なんだよ急に」
「おれはいっそ、この手足よりヒレが欲しいと思うときがあるよ。イルカみたいに海を泳いで魚を食って生きていたいと……地球の海は、なんとしてでも護らなければいけないと思うが……」
「ええと……うん、まあ」
「波動砲は間に合わんだろう。冥王星をドカンとやる前に海は干上がってしまう。だから、この寿司を守るには、今ある地球の兵器で敵と戦うしかない」
「まあなあ」
「すまん」
「別にお前のせいでもないだろ。行けるもんならおれだって、すぐ核持って敵に向かって行きたいが……」
「それも難しいんだろうな」
「ああ」と言った。「敵に近づくことができれば、とは言われているが……」
それが難しい。冥王星に近づけるなら、敵を叩く最も有効な戦術は戦闘機による空襲だろうと言うのは、予(かね)てから聞く話だった。空母十隻に艦隊を組ませ、満載した戦闘機の一機一機に核を持たせて冥王星に送り出すのだ。やつらに千の戦闘機を墜とすことは到底できない――。
「問題は、冥王星が遠過ぎること。宇宙では船は敵から丸見えで、奇襲など不可能だということだ」古代は言った。「まるで昔の太平洋戦争の話だな。真珠湾ではアメリカに途中で見つからなかったから、ハワイに近づき艦載機を送り出せた。けれどもミッドウェイのときは、艦隊が途中で敵に見つかっちまった。だから勝ち目は本当は日本にあったはずなのに、空母を狙い撃ちされて全部沈むことになった……」
250年前の戦争で真珠湾を攻撃できたのは、地球が丸く人工衛星なんてものがまだなく、レーダーなどの技術もまだまだ未発達であったからだ。ところが、冥王星はどうか。地球の船では二ヵ月かかり、その間、姿を隠してくれるものは何もない。空母はとても護り切れず、奇襲などはかけようもない――。
真田は言った。「もしも船が近づけて戦闘機隊が送り出せたら、基地を叩ける望みは高いと言えるのか」
「まあな。そう言われちゃいるが、しかし何機要るんだろうな。基地の位置もわからないんじゃあ……」
奇襲を許さず、どこに基地があるかも知らせないために、敵はあんなに遠い星に陣を構えた。そうして石を投げてくる。たどり着くさえ不能ときては、このままでは地球の海は――。
そう考えたときだった。真田は足元が揺れるのを覚えた。グラグラという大きな揺れ。
古代と顔を見合わせる。
「地震かな」古代は言った。「なんか、ちょっと違うような……」
そうだ、違う、と真田も思った。これは近くでバカでっかいロケットの打ち上げでもしたような。いや、それとも違うような。『何が違うのか』ともし聞かれても表現などできないだろうが、これまでにあまり感じた覚えのない妙な振動の仕方だった。
「なんだろう」
と真田も言った。そのとき、ズーンと、腹に響く音がした。どこか遠くで寺の鐘でも撞(つ)かれたような。
「なんだ?」とまた言った。「音が後から来る……?」
それはつまり――考えて、何が起きたかを真田は知った。外国のどこかに遊星が落ちたとき、数十キロ離れたところにいた人々が報道のマイクを向けられ、語っていたことと同じだ。つまり、ここから音速で数十秒かかるところに遊星が落ちた――古代の顔にも理解の色が広がるのを真田は見た。
急いで部屋を飛び出した。あちらからもこちらからも、同じように出てきた者らですぐ舎内は騒然となった。「何があった!」「遊星か?」「わからん!」とてんでに喚き合う。
そのうちに誰かが言った。「どうも神奈川の方らしい。『津波を見た』なんて話が……」
「津波?」「神奈川のどの辺だ?」「海に落ちたってことか?」
と大勢が群がって言った。
「いや、よくわからないが……」
「神奈川」
と古代が言った。真田は友の顔を見た。まるで耐G訓練で血が頭から抜けたように蒼白だった。
真田も技術研究員と言ってもその種の訓練は受けている。眼に血液が行かないために真っ暗で何も見えなく感じる。今の古代もそうなりでもしたかのようによろめいた。
「おい、古代」
真田は友の体をつかんだ。古代は真田を向いたけれどその眼は死んだ魚のようで、こちらをちゃんと視ているように見えなかった。真田はさっきの巻き寿司に入っていたシラスの目を思い出した。寿司に巻かれた何十という茹でシラス。遊星が地に落ちたと言うのであれば、そこでは人があんなふうに――まるでおれの手足のように――。
つい、力を込めたがために、真田は自分が友の腕をヘシ折りかけているのに気づいた。しかし当の古代の方は、何も感じてないようだった。「ススム」とひとつつぶやいたが、それが友の弟の名だとそのとき真田は思い至らなかった。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之