敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
「あはは」
「ケチな男だったのよ。南の島で戦闘より餓えで兵が死んだのは、みんなこいつのせいなのよ。ケチだから偵察も補給もなしで千人くらい兵を送る。それが殺られると二千人送り、また殺られると四千送る――まあ、それはこいつよりもっと上の参謀達が悪いことでもあるんだけど……でもこの辻という男は、少人数と銃剣だけで敵に突っ込む戦法を好んだ」
「ふうん」と言った。「疫病神か」
「神ですね。こいつ、戦後は国会議員になってます。もし戦争に勝ってたら、首相も夢じゃなかったんじゃないですかね。日本が世界を征服したとき、この男が全人類を恐怖で支配するはずだった。昭和のキング・アレキサンダー……」
新見は首を振って言った。
「辻政信は〈イスカンダル〉になるはずだった」
アレキサンダー。かつて世界を制覇して、インドまでその勢力を伸ばした男。古代インド語で『イスカンダル』とは〈侵略者〉の代名詞に他ならない。
相原が、「だから大切にされていた? 軍学校をトップで卒業したときに、そうなるのが決まってたのか。だからこいつの嘘と知りつつ、上の大佐とか少将とかがダメとわかっている作戦に兵を率いて飛び込んでった?」
「結果、三百万が死に、戦後も人が餓えて死んだ。そう、全部こいつのせいです。軍がこいつを〈イスカンダル〉にするためだけに国が焼かれてしまったような……辻政信という男の資料を読むと、なんかそんな気がしますね。辻のデタラメで防衛線が破られたのに、むしろ〈勝った〉とすることで事実をごまかしてしまった。辻が何をやらかしても、上の者達はかばい続けた。だって〈昭和のイスカンダル〉のキャリアにはどんな汚点もあってはならないのだから……」
相原の見る画面には、あばらを浮かせた日本兵の死体の山が映っている。
「辻がラバウルを放って逃げると軍のトップは言ったんですね。確かに辻は無謀を重ねて十万ばかりの兵を死なせはしたかもしれない。だがその代わり、アメリカ兵をなんと千人も殺したのだ。わずか十万に対して千だ! なんという偉大な戦果だ! アメリカ兵をひとり殺すためならば百が死んでも無駄ではない。辻の戦術は実に見事だ。これから辻を見習おう。我が方にはまだ百もの島がある。そのそれぞれに一万の兵士。だから合わせて百万人が万歳を叫びながら腹を切れば、白人どもは恐れ慄いて降伏するに決まっているぞ! この戦法を〈玉砕〉と呼ぼう。もう勝ったも同然だ! 辻君、よくぞ、この日本を救ってくれた!」
と、新見は両手を広げて言った。相原は苦笑するばかりでもう何も応えなかった。
「エリートなんてこんなもん。元はと言えば真珠湾で、令に反して第三次攻撃を行わなかった提督を不問にしたとき間違いが始まってるんですよね。聞かん坊のとっちゃん小僧をむしろかわいがっちゃうような、そんな組織はメチャメチャになるに決まってるじゃないですか。太平洋戦争ってほんとは勝てたはずの戦いだったのに、幼稚なキャリア貴族のせいで敗けた……」
「うーん」
と相原は頬杖ついて聞いていたが、
「今の地球の参謀もそれと同じだって言うのか。けどさ、それを言うなら沖田艦長だけど」
「そうなんですよね。さっきのはちょっと……この船って大丈夫なのかなあ」
「『大丈夫』も何も、現にもう船の中はメチャメチャだよ。航海組と戦闘組は対立してる。このままだと本当に誰かが勝手なことをして……」
「うーん」
「『命令違反を咎めない』と言えばあれだよ。こないだの。通信を切った古代を沖田艦長は不問にした」
「その話を蒸し返すんですか? あれはまたワケが違うと思いますよ」
「そうだけども、軍て組織はそう言って済ましていいもんじゃないでしょ。沖田艦長は今ぼくに、命令が来ても嘘の返事をしろなんて言ってる――これって、辻という男の独断専行まんまじゃないのか?」
「うーん。おまけに言ったのが、『今のままでは勝てない』か……」
「ホントにどういうつもりなんだ?」
「さあ……けど、『古代を処罰する』と言っても何をどうするんです? 航空隊長から降ろすの? あの人、かえって喜びそうな気がするけど」
「それはまあ……今の立場をイヤがってんの見え見えだよね」
「罰にならないじゃないですか。それに古代を咎めるなら、元々の責任者である森さんとか、〈タイガー〉を出させろと言った加藤とかも罰さなきゃいけなくなってたと思いますよ」
「そりゃまあ……けどそんなこと言ってウヤムヤにするのがいちばん良くないんじゃないの? ちゃんと査問にかけたうえでの不問ならばともかくさ。でもあのとき艦長は古代だけ呼びつけて内緒の話をしてたよね。森さんはあれを『エコ贔屓』だと言った……確かに、沖田艦長が古代をかわいがってるように傍目に見えなくもないぜ。軍という組織の中でこれはまずいんじゃないの?」
「それは……確かにそうかもしれない……だからこんなに船の中が今バラバラになってるのか……」
「なんだかなあ」相原は言った。「なんて言うか、沖田艦長……」
「なんですか?」
「まるであの古代を使って、わざと艦内を揺さぶってるような気がしないか? だいたい、元からあんなのを航空隊の隊長にするっていうのがおかしいよね?」
「ええまあ」
「古代は疫病神だ」相原は言った。「あんなのが〈ゼロ〉のパイロットじゃ勝てない……」
「それは……まあでも、下にやたらとダメダメと言う人間じゃなさそうだけど……」
「そういう問題じゃないだろう。士官なんて上と下の板挟みなくらいの方がいいのかもだよ。でもものには限度があるでしょ。下にまったく何も言えないようなんじゃ、どうしようもないじゃないか。みんながみんな苦しい思いでずっと戦っていたときに、あいつはひとりノホホンと危険のないとこにいたんだぜ。そんなやつが指揮官で、誰がついていくんだよ」
「そうですよねえ。そういう話になるに決まってますよねえ。なのにどうして……」
と新見は言ってから、急に気がついたように、
「ってゆーか、あの人、今どこで何しているの? しばらく前に姿を見たきりだけど」
「ん?」と相原は言った。「そう言やそうだな。あいつが話の中心みたいなもんなのに」
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之