敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
「だから」と言った。「これは希望の船じゃないの。絶望の中で藁のような希望を探す船なのよ。もう今の人類は、ピザや串おでんみたいな形の船に希望は持てない。そんな心の余裕はないの。死中に活を見出す船。敗けるとわかっている戦いにあえて挑んで勝ってくる船。そんな船だと思えるような船でなければ、望みを懸けることができない――人はそこまで来てしまっていると考えられたの。だから、これを設計した者達は、戦艦〈大和〉の名と形を借りることにした」
「はあ」
と言った。なんだかよくわかるようでわからない。それに聞いてて、そんなのは、後付けの理由も混じってるんじゃないかという気がしなくもない。〈ヤマト〉の建造そのものは、五年も前から始められてはいたはずだし、最初は逃亡船のつもりだったわけだろう。
森は言った。「納得いかない?」
「いや、そういうわけでもないけど」
「理由はもうひとつあるのよ。何よりも乗組員の精神的な問題ね。きっとこの船に乗る者は、敵そのものより絶望と戦うような旅をしなければならなくなる。そこに配慮する必要があると考えられたの。人類を救う使命は重過ぎる。いつか乗組員達を押し潰してしまうかもしれない――計画を立てた者達はそう考えた」
「それはわかるよ」
「使命に潰される者を使命では支えられない。だから、救いになるものを与えようと考えられた。苦難のときに乗組員を支えるものがあるとすればロマンだろう。旅立つ者の胸にロマンをたとえかけらでも与えよう。そう考えた末に〈ヤマト〉はこの形、この名前にされたと言うわ。きっと、いつでも地球では誰かが手を振ってくれていると、乗組員にそう思わせてやろうとして。地球や人類のためじゃなく、子供を救うためでもなく、ただ誰かの無事だけ祈って、スカーフを振っているような……」
「スカーフ?」
と言った。森が言った情景が眼に浮かんでくる気がした。地球から自分に向かって手を振る娘。ひるがえる真っ赤なスカーフ。
「たとえばの話よ」森は言った。「あたし、何言ってんだろ……つまり、その、なんて言うか……」
「いいや、ちょっとわかった気がする」
「そう」
森は窓の外を見た。その横顔を古代は見た。ロマンのかけらか、と思う。男勝りのこんなキャリア女でもやはり、そんなものが欲しいのだろうか。まあ、それはそうだろう。地球には無事を祈ってくれている家族や恋人がいるのだろう。それが男であるならば、赤いスカーフは振らんだろうが。
古代も宇宙を眺めやった。おれには地球で待つ者はいない。『無事を祈る』と言う声をテレビなんかでたとえ聞いても、それがおれのためでもあると思う気にはあまりなれない。地球にある〈ヤマト〉乗員の名簿におれは載っていないのだろうから……ロマンのかけらなんてもの、どこに探したらいいんだろうか。
「それから……」と森は言った。「もうひとつ、ごめんなさい」
「は?」
「ほら、いつかのこと……艦長室にあなたが呼ばれていった後で、『なんの話だったか』なんて無理に聞こうとしたりして」
「ああ。いや、そんなの」
そもそも、すっかり忘れていた。気に留めてすらいない――古代はそう言おうとした。けれども森は、
「『地球を〈ゆきかぜ〉のようにはしたくない』」と言った。「後で聞いたわ。あなたのお兄さん、〈ゆきかぜ〉の艦長だったんですってね」
「ああ、うん……そうらしいけど、それが何か?」
「え?」
目をパチパチさせた。それから古代をマジマジと見てくる。古代はたじろいで身を引いた。
「何?」
「知らないの、〈メ号作戦〉の話?」
「は? 知ってるよ。知らないわけないでしょう」
「詳しくは知らない? 最後に残った二隻の話は?」
「ああ……なんか聞いたことあるな」と言った。「ええとなんだっけ。なんで一隻だけ行かせて、一隻だけ戻ったとか言われてるやつ?」
「そう。それ……あなた、詳細は知らないのね。その二隻の船名とかは……」
「まあ」
と言った。そりゃそうだろ。そんなもん、たとえ聞いてもいちいち覚えていられるかと思った。だいたい、軍艦の名前などどれもみな似たようで、聞いただけではそれが戦艦か空母なのか、それとも救護艦とかなのかもわからない。確かに例の海戦で最後に二隻残ったときにどうのこうのという話を人がしてるのは聞いたことがあるが、どっちの名前の船が旗艦でもう一隻がなんて名前のどんな船かもまるでチンプンカンプンで、詳しく知ろうと思ったことさえ古代はなかった。
それに、あらゆる情報が公開されてるわけでもなければ、何十という船の一隻一隻がどの段階でどう沈んだかいちいち全部知ってるやつがそう滅多にいてたまるか。詳しくなんて知らない方がむしろ当たり前じゃないか。
なのに一体、この女はその二隻がなんだと言うんだ? たった二隻で冥王星に行ってもどうせ殺られるだけに決まってたろうに。それをどうして、この女はおれが話を細かく知らんのはなぜかという顔をするんだ。
それは兄貴がその戦いに参加して、小さいながらも船の指揮を任されながらに死んだと言うなら、どう死んだのか気にならないことはない。だが、知ったところでどうする。どうせ、数十のうちの一隻……。
「その最後の二隻のうち一隻が〈ゆきかぜ〉よ」森は言った。「あなたのお兄さんの船」
「え?」と言った。
「で、そのときの旗艦が〈きりしま〉……沖田艦長がそのときの提督」
「え?」とまた言った。「そんな」
「そう。知らなかったのね」森は言った。「そうよね。無理もないかもしれない……あたしもそのとき、本当は何があってそうなったのか詳しいことは知らないし、人はいろんなことを言うけど……」
「いや、でも、けど……」
「その話じゃなかったの? 『地球を〈ゆきかぜ〉のようには』って」
「そんな。違うよ。あれはそんなんじゃなかった。あれは……」
「何?」
「その」
と言いかけて続かなかった。そもそも、あのとき沖田になんと言われたかよく思い出せなかった。体の中の歯車に何かが挟まったようになってしまって固まった。そんな古代を森はしばらく見ていたが、
「ごめんなさい。やっぱり、聞くべきじゃなかったようね。無理に話してくれなくていいわ」
部屋を出ていこうとする。待ってくれ、と言おうと思った。あのとき何を言われたか思い出すから聞いてくれ。おれには意味がわからないんだと古代は森に言いたかった。だが喉から声が出ない。森の方が振り向いて言った。
「明日のこと――どうか、生きて帰ってきてね。あなたならきっとやれると信じてる」
「ああ……」
それしか言えなかった。森は出ていく。古代はひとり残されて、なんなんだよと考えた。きっとやれると信じてるだと? 勝手に信じられても困る。
とは言え、おれがやれなけりゃ人が滅んでしまうのか。おれもあなたがきっとやれると信じてる――そう言うべきだったのだろうか。あの彼女が〈ヤマト〉を狙うビームを避けられるかどうかにやはりすべてが懸かってると言うのだから。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之