王宮のソナタ
痛む身体。ボロボロに引き裂かれた心。それでも、その最中に囁かれた言葉は覚えている。微睡みの中で告げられた言葉を覚えている。
「あの一言があったから、私――」
思い出すのも苦痛に感じる程の出来事も、ただ、あの一言で救われた。この人はこうするしかなかったのだと理解出来た。手段は乱暴だったけれど、そこにある想いが本物だと信じていれば、過去のことと流すことも可能だ。
それなのに、そのエドガーからあからさまに避けられてしまっては、あの時のエドガーの態度も言葉も何も信じられなくなってしまう。
「姫、俺は……」
助けられてから、初めてエドガーと目を合わせた。揺れる翡翠の双眸にエドガーの想いが垣間見える。思わず抱き締めたくなり、そして、彼に抱き締められたいと思った。
「エドガー」
取引のはずだった。カインを守る為に、仕方ないことだと受け入れた。けれど、私の想いは……そうあの夜、エドガーの後をついて、部屋に行った時に決まっていたのだ。
だから、エドガーに向けて両手を伸ばした。
「いいのか?」
恐る恐るといった感じで触れてくるエドガーの指は震えている。私も、拒否される恐怖に震えていた。
「これ以上、言わせないで」
その瞬間、私の身体はエドガーの腕の中に収まっていた。他人の肌の温もりに安堵すると、今更ながら先程の恐怖が込み上げてくる。もっと安心したくて、エドガーにきつくしがみついた。
「……怖かった」
「俺も、生きた心地がしなかった。まるであの時の自分を見せられているようで、な」
ゆっくりとエドガーが私の身体を離し、顔を覗き込んできた。突然見つめられて、どういう顔をしたらいいのか分からず、戸惑ってしまう。
「もっと早くこうすればよかった」
エドガーの手が頬に添えられ、そっと髪をかき上げていく。普段の彼から想像出来ない優しいタッチに、ドキドキしてしまう。気恥ずかしくなって視線を外すと、くっと笑う声が聞こえた。
「姫」
髪に通していた指で耳朶の裏をくすぐられる。エドガーの服を掴む指に力がこもった。
「エド、ガー……あっ」
「フフ、そんな声を出されると、止められなくなってしまうな」
そう言いつつ、止める様子を見せないエドガーの指は、耳から首筋を攻めてくる。
「駄目、あっ、……いや」
嫌と口に出してみたけれど、実はそんなに嫌じゃないのが不思議だった。エドガーに触れられているというだけで、そこが熱を持ってくる。熱はどんどん身体の中心に集まっていくような気がした。
「あ、っ」
指が首から鎖骨の窪みにさしかかったところで、エドガーは突然手を引いた。前触れもなく離れていく指が名残惜しくて、思わず出てしまった声に、恥ずかしくなって俯く。エドガーは苦笑していた。
「すまぬ。どうもお前が相手だと余裕が無くなってしまう。女を知ったばかりの若造ではないのにな」
顔を上げれば、私と同じように恥ずかしそうにはにかむエドガーがいた。いつも余裕たっぷりで私や王宮の人々を手玉に取っている、その人とは思えない。そして、エドガーをそんな風にしているのが自分だと気付いて、もっとエドガーの違う面を見たいと思う。
「あ、あのね、エドガー」
私の手を引いて部屋を出ようとするその背中に向かって、何とか声を出す。恥ずかしさに顔から火が噴くというのは、こういう事なのかと、場違いなことを考えながら、エドガーの瞳を見つめようとして、やっぱり出来ずに握られた手に視線を落とした。
「ここ、でするのが、いやなだけ、で……その、エドガーとするのは、いや、じゃない」
言ってしまってから、これは誘い文句ではないかと、尚のこと恥ずかしさが募る。女から誘うなんてエドガーは軽蔑してしまったかもしれないと、そっと見上げれば、エドガーは驚いたような顔をしていた。
「あ、あの、私、別に――――きゃっ!」
言い繕おうと言葉を紡ぐ前に、両足が地を離れた。エドガーに抱きかかえられてしまった為だ。不安定な姿勢に落ち着かなくて、とにかくエドガーの首に手を回す。すると、いつもの笑みを浮かべた端整なマスクが目の前にあった。
「そのように言われてしまったら、姫の要望にお応えせねばな。確かに、ここは誰が入ってくるか分からん。どこがいい? 俺の部屋か? 姫の部屋か?」
「エ、エドガー!」
改めて自分の発言がとんでもないものだったと認識させられて、やはり顔から火が出そうだ。
「今更、嫌だと言っても聞かんぞ。俺はあれ以来、ずっと我慢していたのだから――お前が忘れられなくて、な」
最後の方は耳元で囁くように告げられる。その近さに彼の吐息が耳に触れ、身体の奥深くに火が灯った。私は答える代わりにエドガーの肩口に顔を押しつけ、心地よい振動に身を委ねた。