彗クロ 5
『最新鋭の譜業都市』。実際に目にしたベルケンドは、その触れ込みから想起される予想図を遙かに上回っていた。
規模はセントビナーとどっこいどっこい。バチカルには遙かに及ばない。全体はレトロで瀟洒な高級住宅地といった雰囲気だが、広場や住宅の隙間や歩道の片隅など、ところどころに高度な譜業機関が惜しげもなく配置され、しかもそれらは街全体の上品な雰囲気をいっさい損なっていない。気取った装飾や加工をされているわけでもなく、時には内部機構が覗け見えているものまであるのに、完璧な直線、ひずみのない曲線、機能性と堅牢性をひたすら追求した先にたどり着いた無駄のないフォルムが、素朴さと懐かしさと高級感をない交ぜにした街並みに、驚くほど調和しているのだ。バチカルの、盛んに蒸気やら熱気やらを発散しながら質よりパワーと運動量とばかりの、けたたましく煩雑で個性豊かな博覧会感とは、あまりに対照的だ。
これはこれで大した景色で、バチカルほどではないとはいえレグルとフローリアンの少年心を十分にくすぐったが、全力ではしゃいで回るには『大荷物』が足枷だった。まずはおつかいを済ませるのが先決。フローリアンなぞはいかにも無責任にほっぽりだして一人蒸発したそうな顔をしていたが、老婆を負っていてはそうもいかない。最後のじゃんけんに大逆転できたのはまさに天運であろう。
街の中央部にある所定の研究施設には、老婆の簡単な案内だけですぐにたどり着くことができた。シンプルで合理的な区画整備のおかげで道順が明快だったというのもあるが、何より、ベルケンドいちと言って過言でないほどに巨大な施設だったのだ。周辺の住宅は言うに及ばず、いくつか点在する他の研究施設に比べても、高さも幅も群を抜いていて、街のどこからでも見上げればだいたい位置を把握できるのだ。
第一音機関研究所。巨大な四角四面の、機能性に特化した飾り気のない建造物だ。無駄のない真四角というのは、質量と大きさが伴うと相当な威圧感がある。
施設には、見慣れない意匠のつなぎ姿の研究員たちがひっきりなしに出入りしている。一部は民間人にも開放されているらしく、レグルたちが堂々と正面から敷地内に入っていってもまるで見咎められなかった。国家運営にしてはずいぶんとオープンというか無防備というか……あまりにも簡単に入り込めてしまったことに、レグルともあろうものが若干の後ろめたさを感じて、自ら守衛を探してしまったほどである。
係員はすぐに見つかった。事情を話し、アゲイトから預かった書類を見せると、快く待合室に通してくれた。アゲイトが信用だなんだと理屈をこねるからわりと腹を据えて乗り込んできたのだが、とんだ拍子抜けである。とはいえ係員も、老婆を医局に預けてすぐ、実に忙しそうに自分の仕事に戻っていってしまったあたり、紙鳥を飛ばしても受け取ってもらえたかどうか別の意味で怪しかったのは確かで、直接面と向かって交渉したのはたぶん正解だったのだろう。
……が。それがどうして、レグル自身も診察を受ける流れになっているのか。
「だって、申請書のほうに、君たちの検査もするように書いてあるからね?」
シュウという四十がらみの医師は、噛みつかんばかりのレグルの凝視も意に介さず、カルテにペンを走らせながら淡々と言い放った。
アゲイトは病院という言い方をしていたが、実際は研究施設の常駐医が暇を見て外来患者も受け入れている、ということらしい。病院は立派なものが他にあるらしく、街の人はだいたいそちらで専門医を頼りにするから、基本的に予約が必要なほど多忙なことはほとんどないのだとか。
完全に、ハメられている。だからアゲイトのあの笑顔は信用ならないというのだ……!
「おれはだんぜん健康だっつの!」
「そのようだね。通算四回……五回?……高所から転落したとは思えない驚異的な頑健ぶりだ」
「たりめーだ! なのに血まで抜きやがって……ルークのことがなかったらぜってーブッチしてやんのに……」
アゲイトの根回しは周到だった。医師宛の依頼に、レグルたちが大人しく検査を受けないようならルークの予約は反故にするようにと、わざわざ書き足していたのだ!
シュウ医師は、これがまた頭に来ることにアゲイトの意図を的確に汲み取ったらしく、患者や依頼主の望まない治療は行えないこと、さらに今から正規の病院で予約を取ることがいかに困難であるかを淡々と説いたうえで、決断をレグルに預けたのである。……これで選択肢が他にあるというのならぜひとも教えていただきたい。
「ずいぶんと無茶な旅をしてきたようだから、保護者の方の心配ももっともだと思うがね。血中音素の波形は……確かに特徴的だな……」
「ハ!? ダレが保護者だよ! んなもんいねーよっ」
「君はこの書類を用意した人物に養われているんだろう? 身分証も保険証もない子供の、そこそこ馬鹿にならない額の診療費を採算度外視で支払う人間を、世間一般には保護者と呼ぶものだよ」
「……」
ぐぐぐと言葉をつまらせ、レグルはシュウを恨めしげな上目遣いで睨み上げた。
シュウは医者らしく知的で、それを鼻にかけない淡々とした雰囲気の人物だった。賢そうな顔つきからは何を考えているのか読み取りにくいが、レプリカのようにうつろなそれではもちろんない。レグルの何倍も思考を働かせている片手間に、診療記録を書き留め、そこそこそつない会話もこなす……アゲイトと同類の、有能な大人だ。手強い。
反論できない鬱憤が、禍々しい視線となってシュウへと一点集中する。穿つような射殺すような怨念まで籠もり始めたのに至っては、さしものシュウも根負け気味に、初めて苦笑いの形に顔を歪めてレグルを見返った。
「――わかったわかった、検診は以上で終了だ。検査結果はあとで保護者の人に渡しておくから、君たちは戻っていいよ。できれば、施設内で大人しくしてて欲しいんだけれど……」
「やなこったこんなつまんねー箱なんかもう用ナシだってんだバーカバーカぶわぁぁぁぁかぁぁぁぁぁ……!!」
「……だろうねぇ」
ドップラー効果を引き連れながらあっというまに診察室を飛び出していった赤毛の子供に、シュウは奇妙に懐かしげな苦笑を零した。
(つづく)