彗クロ 5
レグルは半ば焼き芋に埋もれた唇をもそもそと動かした。正直ちょっとばかり耳が痛い。なんと言っても思い込みは激しい性質だ。しかもほんの数分前に「敵には悪役らしくして欲しい」とか考えていたなんて、口が裂けても言えやしない……
とりとめない会話の合間に、レグルは視界の隅にアゲイトの姿を引っかけた。街道から横に伸びた道の先で、比較的大きめで頑健そうな箱型の建物から出てきたところだった。管理館だか監督所だか、そういう名前の、いわゆる役所だそうだ。
アゲイトは子供たちの視線に気付くと、胸の前に両手で小さくバツを作って苦笑してみせた。フローリアンが足をぶらぶらさせながら、あーあとぼやく。
「ここもハズレみたいだねー」
「……らしいな」
「バチカルも空振りだったんだよね? ナントカってお友達、ホントにキムラスカに誘拐されちゃってんの?」
「……わかんねーけど。いなくなっちまったんだから、捜すしかねーだろ」
「まーそーなんだろーけどぉー」
「なんだよ」
「自分で捜さなくっていいの?」
眼前に広がる一面の田園風景を指さされ、レグルは顔をしかめた。
そういう契約だとはいえ、確かに、アゲイトに任せっぱなしというのは多少問題がある気はしないでもない。役所の記録にない人間がこの自治区に紛れ込んでいないとも限らないのだ。万全を期すならば、自分の足で歩いてしらみ潰しに面通しをするべき……ではあるのだが。
「……なーんか、バチカルん時もそうだったけど、いる気がしねぇんだよなぁ……」
「なにそれ?」
「んー」
フローリアンは怪訝に眉を曲げたが、レグルは生返事で曖昧に回答をぼかした。
バチカル、それからイニスタ自治区を当座の目的地に選んだのはルークだし、理屈に適った選択にレグルも納得していた。しかし、実際のところその得心を力づけていたのは、合理性以上に、キムラスカという国への悪印象にほかならないのだ。
現実にこうして長閑きわまる光景を見せつけられてしまうと……疑わしきは被験者ルーク、そしてその牙城であるキムラスカ王国、その前提さえ危うくなってくるような……
そこに思い至って、レグルはぶんぶんとかぶりを振った。かの被験者の人品の悪質さには、今さら再考の余地などないのだ。百歩譲ってキムラスカ自体に策略の意図はないにしても、さらに万歩譲って被験者個人に悪意がないにしても、しかし原因はあの男でありキムラスカであるに相違ない。
知らず知らずに不運を呼び込み、事態をネガティブな流れへ導き、周囲の人間を不幸に陥れていく――そういう星回りの男だ、アッシュという被験者は。本人の落ち度ではないにせよ、存在するだけで迷惑なのだ。不条理だろうがなんだろうが関係ない、レグルだけは、レグルがレグルであるが故に、あの男の尊厳をひとかけらとて認めることはできない……
「ま、ただのカンだけどよ。捜し回ってもたぶん無駄だろ」
「カンって……えー。そんなんでいいわけぇ?」
「ほんとに誘拐されたんならこんなゆるっゆるの田舎に置いとくわけねーし、自力でヤツらから逃げおおせたんならもっとねーし。なんかの間違いでここに放り込まれたんだったら、それこそ記録に残ってねー方がおかしいだろ」
「うーん? それも、そっかぁ?」
「――そうそう。それに、見た目ほど出入りの管理は緩くもないよ」
馬車のところまで戻ってきたアゲイトが、どこまで聞こえていたやら、わけ知り顔で肩をそびやかして付け足した。
「規模が大きいし人数も多いけど、区画ごとに毎日きちんと頭数を確認してるんだって。一人の一人の人相も控えてあったしね」
「全部確認してきたの!?」
「年齢(とし)の近い子供の分だけね。案の定レグルのお友達らしき子はいなかったよ。この自治区は、いわゆる田舎社会を人為的に再現したような感じだからね、もし余所者が紛れ込んでたとしたら、ものすごく目立つだろうってさ」
「知っててわざと情報止めてるってことは?」
「それを確かめるのはさすがに難しいねぇ。あえて言うなら、窓口の事務員さんはとっても気さくな、普通のおじさんでした。あと、出入りしてる商人たちにも訊いてみたけど、ここ数日は別段おかしな動きはなかったってさ」
「陰謀論は安直すぎるかぁ……でもなぁ」
「ま、今後どうするかは中で詰めてくださいな。馬車動かすよ」
フローリアンは上を仰いで、どうにも釈然としない様子である。アゲイトはひとつ苦笑して、とりあわずに御者台に回った。
今回は辻馬車ではなく、わざわざバチカルで商人仲間から預かったというおんぼろ幌馬車である。もちろん商人同士の貸し借りが純粋な善意で成り立つはずもなく、つまるところ荷運びに駆り出されたわけである。各種雑多な荷の、イニスタの分はすでに荷下ろしを終えており、残りは自治区の先のベルケンドという港宛てだ。運び終えた後もバチカルに取って返す必要はなく、港の所定の施設に馬車を預ければいいという。旅程短縮になる上、労働分の対価も少々。この手の小銭稼ぎは、行商人には日常茶飯事らしい。
馬車の発進に備えて、レグルは焼き芋を平らげながら幌の中に引っ込んだ。
車内は荷箱に埋もれて薄暗い。緩やかに回り出した車輪が伝える揺れを膝で殺しながら、獣道めいた足場をひょいひょいと前に進むと、荷の切れ間から白ニット帽がひょっこり覗けた。
ルークは御者台側の隅っこに座り込んでいた。行儀よく揃えて立てかけた両膝の上に本を広げて、外から射し込む薄日を頼りに、熱心に文字列を追っている。
バチカルを発ってからこちら、ずっとこの調子だ。いつどこで仕入れてきたやら、どうにも熱中の度が過ぎている気がしないでもない。おかげでフリーズの回数は格段に減ったが、同時に、もとより心許ない口数が輪をかけて壊滅的な有様である。声をかけてもまるっきり生返事。レグルがしゃがみこんで横合いからあからさまに覗き込んでも、まるで反応なし。張り合いがない……のは初めからだが、些細なコミュニケーションもままならないのは、ちょっと勘弁してほしい。
分厚い書籍の文面には、見たことがあるようで根本的に違和感だらけな文章が並んでいて、一見では内容が掴めない。絵本ではないようだが、挿し絵があちこちに散りばめられている。シンプルな線の図案が多く、こちらは一目でわかりやすい。
「流れ星?」
レグルは目に入った印象のままに呟いた。ちらとルークを見て返答を待っていると、やはり若干のラグののちに、ゆるやかに首が横に振られた。さらに間を置いてページが一枚繰られ、さらに二呼吸ほどあって、答えなのかどうかよくわからない応えが返ってきた。
「星の本……夜空の……宇宙のこととかが書いてあって……――あ」
唐突にルークの口元から零れた呼気は、たぶん、失笑だったのだと思う。ようやく文字の世界から離れ、正面に上げられたそれが笑顔であるかといえば微妙だったが、目元と口角は微かに緩んでいて、眼差しには力と、明らかな好奇心が宿っている。
不器用ないたずらっ子のような……初めて見る表情だった。
「レグル、これ」
「へ?」
不意をつかれて呆けてしまったレグルの注意を、ルークは言葉と指先で自分の膝元に導いた。