彗クロ 5
馬車を積み荷ごと所定の施設に引き渡している最中、ほんのわずかな間、ルークの姿が見えなくなった。なんのことはない、すぐ傍の荷置き場に積み上げられた木箱の、狭っ苦しい隙間にぴったり挟まった状態で膝を抱えて座り込んでいただけだったのだが……すぐに、様子がおかしいことに皆気づいた。
いつものように姿勢良くどこか遠くを見つめているのとは、少し違う。抱えた膝に口元をうずめて、視線は暗く低く、明らかに何も映さずに沈んでいる。暗がりにいるからかもしれないが、心なしか顔色も良くないように見える。
「おーい、ルークー? だいじょうぶー?」
フローリアンがひらひらと目の前で手を振っても、反射反応すら返さない。前にも似たようなやりとりはあったが、名前を呼んでも応答がないというのは、これまではなかったことだ。レグルが腕を取ってなんとか立ち上がらせようとしても、やんわりと、しかし頑なに拒絶されてしまう。
「なんだか調子わるそうだね。熱はないみたいだけど……一度医者に診せたほうがいいかな」
取引を終えてきたアゲイトが、ルークの額に手を当てながら言った。
確かに、イニスタでも青い顔をしていた。バチカルで休養を取ったとはいえ、この短期間に大層な距離を移動してきたのだ。それも砂漠だの海辺だの湿地帯だの。急激な環境の変化に参ってしまうのも当然だ。
フローリアンが片眉をひそめて首をひねる。
「じゃあ自治区に戻る? レプリカ(ボクら)を診てくれるようなお医者って、民間にはいないっしょ?」
「それは大丈夫。ベルケンドの研究所では今でもレプリカの研究がされていて、専門の医者もいるよ。簡単な診察ならしてくれるはずだ。問題は、僕の手が空きそうにないってことなんだけど」
「なんで。荷は引き渡したんだろーが」
「次の商談が控えてるんだよ。絶対にはずせない大事な取引先なんだ。しかもちょっと長引きそうなんだよねぇ」
「んだよ、つかえねー」
「うーん……ちょっと待ってね」
アゲイトは踵を返して、先ほど荷を渡した商人に何事か交渉し始めた。少しばかり話し込んだのち、どことなく晴れやかな足取りで戻ってくる。
「じゃ、こうしよう。ルークはこのまま僕が見ておくから、レグルとフローリアンは先に研究所まで行くんだ。で、診察の予約を取っておいて欲しい。病院っていうのは、飛び込みの患者を異常に待たせるものだからね」
「えー。それならおにーさんの紙鳥で十分じゃん?」
「コネだのツテだのがない相手にいきなり鳥を飛ばしても相手にされないよ。まして相手が公共施設ともなると、客の態度や信用も問われるってわけ」
「なんだそれ。おれらだけじゃ余計にダメじゃね?」
公文書に記載のないはぐれレプリカと、海をまたいで絶賛逃亡中の家出レプリカ。信用の二文字とこれほど遠いレプリカもそうそういまい。これまでいっぱしの人間扱いされてきたのは、ひとえにアゲイトの無駄に広い人脈と信用を笠に着ていられたからである。
互いを胡乱に見合うレグルとフローリアン。アゲイトはにこにこと肩をすくめた。……最近わかってきたのだが、この男は何かを皮肉ったり企んでいるときほど実にいい笑顔をするのだ。『にやにや』が『にこにこ』に自動変換されるらしい、まこと得な表情筋の持ち主である。
「身元の保証に関しては僕が書類を用意するから大丈夫。ただ、それにしたって君たちが見るからに怪しいのは確かだね。――だから、少しでもイメージを払拭するために、二人にはちょっとした善行を積んでもらおうと思うんだよね」
「「ぜんこう?」」
……本日すでに何度目か、実にいやな予感がする。異口同音に鸚鵡返ししながら、レグルとフローリアンはそれぞれに顔を歪めるのだった。