小さい君。子供のような君。
風呂上りに兄と二人、ソファで向かい合ってビールを飲んでいたら、酔っ払った兄がおかしなことを言い出した。
「ルツー。お前ちっちゃくなれ。こんくらいに」
そういって兄は両手の掌で何かを包み込むような仕草をする。
「何を言ってるんだ、兄さん」
「だからさあ、ちっちゃくなれって!こんくらい!こんくらいがいい!!」
そう言って兄は両手の指をわきわきと動かす。
「このくらいがいい、と言われてもな…。大体、それだとマグカップぐらいの大きさしかないじゃないか」
「マグカップ!それもいい!」
ぱあ、と明るい表情になった兄は、さすがルツ、冴えてるぜ!などと言いながら手元のグラスの中身を飲み干す。ん?グラス?
「兄さん、何を飲んでいるんだ?」
「んー?」
現在俺の手の中にあるのはビールのたっぷり入ったジョッキだが、同じものを飲んでいたはずの兄の手の中には、透明な液体の入った小ぶりのグラスがあった。
「あ、これな。本田から貰った。日本酒」
「いつ貰ったんだ」
「今日の昼に郵便で届いたぜー。中にお前宛の手紙が入ってたからお前の部屋の机の上に置いといたけど、気付かなかったか?」
「ああ、気付かなかった…。というか兄さん、ということはその日本酒は俺宛に送られてきたのではないのか」
「一緒にメッセージカードも入ってたぜ!ご兄弟でどうぞ、って書いてあった!」
そういって兄は実に愉快そうにケセケセと笑った。
(全く、道理で今日は妙に酔っ払っていると思った…)
俺たち兄弟は、欧州の他の連中と比べても酒には強い方だ。本来ならば、このような風呂上りの一杯ごときで兄が酔ってしまうことはない。
だが一体どうしたわけか、本田の所で作られているこの日本酒というやつに、兄は滅法弱かった。少量を飲んだだけでこのように酔っ払ってしまう。まあ、酔っ払うと言っても今現在の兄のように妙に陽気になるだけで、性質の悪い酔い方をするわけではないし、二日酔いになりやすいというわけでもないのでそう問題はない。だが、以前アーサーに聞いたところによると、「日本酒はいくら飲んでも全然酔わないし、水みたいにゴクゴク行けちまう。そんで調子に乗って沢山飲んでいると、翌朝には地獄の苦しみが待っている」のだそうだ。酒というのは全世界どこにでもあるが、人種や体質によってその影響も変わってくるのだろうか。人間ではない、俺たちにとっても。
「そんでなー、マグカップはいいな!」
「なんだ、またその話か」
俺は少々呆れたような口調で答えたが、兄は全く気にする素振りもなく話を続ける。
「こう、テーブルの上にマグがあるだろ?」
そういって兄はマグを――いや、マグではなく日本酒の入ったグラスだ。それをテーブルに置く。
「そんでその中に、ちっこいルツがいるんだよ!」
あーーー!!超可愛いぜー!と言いながら足をバタバタさせる兄はひどくご機嫌だ。日本酒がよほど効いているらしい。
「…そんなに小さくなってしまったら、俺は何もできないじゃないか。仕事もできない」
「明日はお前、仕事ないだろ?」
「でも明後日からはある」
「そうそう、だからな、明日だけでいいんだって」
「明日は兄さんが仕事じゃないか。しかも国外までの遠出だろう」
「だからさぁー…」
ソファの背もたれにくったりと寄りかかって天井を見上げた兄は、うっとりした表情で言った。
「シャツのポケットの中に、お前を入れて行くんだ」
「…は?」
また変な事を言い出したぞこの人は。
「だってよ、明日行くとこは結構な観光地なんだぜ。お前、行ったことなかったろ。だからなー…胸ポケットの中にちっちゃなお前を入れて一緒に行くんだよ。仕事中だから真面目にやんなきゃいけねーけど、時々綺麗な建物とか見た時には、お前が胸ポケットからぴょこって出てきて、『兄さん、あれはなんだろう?綺麗だな』とか言うんだ!」
あーー!可愛いぜーー!!と兄は胸の辺りを両手で押さえて頭をぶんぶんと振る。待て、そこに俺はいないぞ。というか、ポケットすらない。
「…俺がそんなに可愛いものか」
ジョッキの中身をぐびりと飲み干しながら俺は言った。
「言うことだって、そんなことじゃないぞ。『兄さん、もっと真面目にやれ』とか『兄さん、ネクタイが曲がっているぞみっともない』とか、きっとそんなのばかりだ」
「ミニルツの言うことは小言でも可愛いな!」
「そんな俺はいない。いるのは、今目の前にいるでかい図体の俺だけだ」
「ちえー…」
唇を尖らせてソファから立ち上がった兄はキッチンに向った。
「兄さん、まだ飲むのか?」
「ん、もうちょっと。お前は?ビールまだあるだろ」
「いや、俺はもういい」
冷蔵庫を開ける音と閉める音が短い間隔で続き、キッチンから手に日本酒の瓶を持った兄が戻ってくる。
「日本酒にしては小ぶりな瓶だな。以前本田の家で出してもらった時は、もっと大きかったが」
「小さいのもあるんだってよ。でも、これ以外にも違う銘柄のやつもいくつか送ってくれたんだぜ」
「今度礼を言っておかねばな」
「一気に沢山飲むとお前大変だし、気を使ってくれたんだろ」
「…?何が大変なんだ?」
「あ、このグラスでもいいよなー…」
俺の質問など聞いてもいない兄は、テーブルの上に置いてあった空のグラスに顔を近づけた。
「このグラスの中に、小さな小さなルツ君が入っていまして」
「…またその話か」
いい加減うんざりしてきた。
「お兄様はその中にこの日本酒を注ぎます。とく、とく、とく」
実際にグラスにとくとくと酒を注ぎながら兄は続ける。
「そんな小さな俺に酒をかけるとは酷いな。虐待だ」
「日本酒はお肌に良いらしいからいいんだよ」
…何がいいんだ、何が。
「あー、でも虐待っぽいと言えば虐待っぽいかもなー…。でっかいお前ならともかく、ちっさいお前がこんなグラスの中でわんわん泣いてたら、流石の俺様も耐えられなくなって…」
そう言って、兄はグラスの中身をぐい、と一気に飲み干す。
「こーやって、中の酒を全部飲んでしまうのでしたー。あ、お前のことは飲み込まないようにするから安心しろよ!」
食べちゃいたいくらい可愛い、って言うけど、ほんとに食っちまう趣味なんて、俺にはねえから!
けせけせ、という兄の独特な笑い声が部屋に響く。
「…なんでそこで俺が泣くんだ、みっとも無い」
「え?だってお前…」
日本酒飲むと、めっちゃ泣いちゃうじゃん。
何を言っているんだ、とでも言いたげに兄が答えた。
…何の…話だ?
「三年ぐらい前だったかなー。春の話だ。本田の家の庭の桜が綺麗だから見に来ないかって話が来て、フェリシアーノちゃんと俺とお前で行っただろ」
「…行った。確かに、行った」
「本田の花見料理?うまかったよなー。そんで、途中で本田が日本酒持ってきて、全員で夜までわいわいやってたら、お前突然泣き出しちゃって」
「俺が……何だって……?」
「だから泣き出したんだって。でかい図体でわんわん泣き出して、兄さん、兄さんもうどこにも行かないよな?とか言いながら俺に抱きついてきて」
「……」
「ルツー。お前ちっちゃくなれ。こんくらいに」
そういって兄は両手の掌で何かを包み込むような仕草をする。
「何を言ってるんだ、兄さん」
「だからさあ、ちっちゃくなれって!こんくらい!こんくらいがいい!!」
そう言って兄は両手の指をわきわきと動かす。
「このくらいがいい、と言われてもな…。大体、それだとマグカップぐらいの大きさしかないじゃないか」
「マグカップ!それもいい!」
ぱあ、と明るい表情になった兄は、さすがルツ、冴えてるぜ!などと言いながら手元のグラスの中身を飲み干す。ん?グラス?
「兄さん、何を飲んでいるんだ?」
「んー?」
現在俺の手の中にあるのはビールのたっぷり入ったジョッキだが、同じものを飲んでいたはずの兄の手の中には、透明な液体の入った小ぶりのグラスがあった。
「あ、これな。本田から貰った。日本酒」
「いつ貰ったんだ」
「今日の昼に郵便で届いたぜー。中にお前宛の手紙が入ってたからお前の部屋の机の上に置いといたけど、気付かなかったか?」
「ああ、気付かなかった…。というか兄さん、ということはその日本酒は俺宛に送られてきたのではないのか」
「一緒にメッセージカードも入ってたぜ!ご兄弟でどうぞ、って書いてあった!」
そういって兄は実に愉快そうにケセケセと笑った。
(全く、道理で今日は妙に酔っ払っていると思った…)
俺たち兄弟は、欧州の他の連中と比べても酒には強い方だ。本来ならば、このような風呂上りの一杯ごときで兄が酔ってしまうことはない。
だが一体どうしたわけか、本田の所で作られているこの日本酒というやつに、兄は滅法弱かった。少量を飲んだだけでこのように酔っ払ってしまう。まあ、酔っ払うと言っても今現在の兄のように妙に陽気になるだけで、性質の悪い酔い方をするわけではないし、二日酔いになりやすいというわけでもないのでそう問題はない。だが、以前アーサーに聞いたところによると、「日本酒はいくら飲んでも全然酔わないし、水みたいにゴクゴク行けちまう。そんで調子に乗って沢山飲んでいると、翌朝には地獄の苦しみが待っている」のだそうだ。酒というのは全世界どこにでもあるが、人種や体質によってその影響も変わってくるのだろうか。人間ではない、俺たちにとっても。
「そんでなー、マグカップはいいな!」
「なんだ、またその話か」
俺は少々呆れたような口調で答えたが、兄は全く気にする素振りもなく話を続ける。
「こう、テーブルの上にマグがあるだろ?」
そういって兄はマグを――いや、マグではなく日本酒の入ったグラスだ。それをテーブルに置く。
「そんでその中に、ちっこいルツがいるんだよ!」
あーーー!!超可愛いぜー!と言いながら足をバタバタさせる兄はひどくご機嫌だ。日本酒がよほど効いているらしい。
「…そんなに小さくなってしまったら、俺は何もできないじゃないか。仕事もできない」
「明日はお前、仕事ないだろ?」
「でも明後日からはある」
「そうそう、だからな、明日だけでいいんだって」
「明日は兄さんが仕事じゃないか。しかも国外までの遠出だろう」
「だからさぁー…」
ソファの背もたれにくったりと寄りかかって天井を見上げた兄は、うっとりした表情で言った。
「シャツのポケットの中に、お前を入れて行くんだ」
「…は?」
また変な事を言い出したぞこの人は。
「だってよ、明日行くとこは結構な観光地なんだぜ。お前、行ったことなかったろ。だからなー…胸ポケットの中にちっちゃなお前を入れて一緒に行くんだよ。仕事中だから真面目にやんなきゃいけねーけど、時々綺麗な建物とか見た時には、お前が胸ポケットからぴょこって出てきて、『兄さん、あれはなんだろう?綺麗だな』とか言うんだ!」
あーー!可愛いぜーー!!と兄は胸の辺りを両手で押さえて頭をぶんぶんと振る。待て、そこに俺はいないぞ。というか、ポケットすらない。
「…俺がそんなに可愛いものか」
ジョッキの中身をぐびりと飲み干しながら俺は言った。
「言うことだって、そんなことじゃないぞ。『兄さん、もっと真面目にやれ』とか『兄さん、ネクタイが曲がっているぞみっともない』とか、きっとそんなのばかりだ」
「ミニルツの言うことは小言でも可愛いな!」
「そんな俺はいない。いるのは、今目の前にいるでかい図体の俺だけだ」
「ちえー…」
唇を尖らせてソファから立ち上がった兄はキッチンに向った。
「兄さん、まだ飲むのか?」
「ん、もうちょっと。お前は?ビールまだあるだろ」
「いや、俺はもういい」
冷蔵庫を開ける音と閉める音が短い間隔で続き、キッチンから手に日本酒の瓶を持った兄が戻ってくる。
「日本酒にしては小ぶりな瓶だな。以前本田の家で出してもらった時は、もっと大きかったが」
「小さいのもあるんだってよ。でも、これ以外にも違う銘柄のやつもいくつか送ってくれたんだぜ」
「今度礼を言っておかねばな」
「一気に沢山飲むとお前大変だし、気を使ってくれたんだろ」
「…?何が大変なんだ?」
「あ、このグラスでもいいよなー…」
俺の質問など聞いてもいない兄は、テーブルの上に置いてあった空のグラスに顔を近づけた。
「このグラスの中に、小さな小さなルツ君が入っていまして」
「…またその話か」
いい加減うんざりしてきた。
「お兄様はその中にこの日本酒を注ぎます。とく、とく、とく」
実際にグラスにとくとくと酒を注ぎながら兄は続ける。
「そんな小さな俺に酒をかけるとは酷いな。虐待だ」
「日本酒はお肌に良いらしいからいいんだよ」
…何がいいんだ、何が。
「あー、でも虐待っぽいと言えば虐待っぽいかもなー…。でっかいお前ならともかく、ちっさいお前がこんなグラスの中でわんわん泣いてたら、流石の俺様も耐えられなくなって…」
そう言って、兄はグラスの中身をぐい、と一気に飲み干す。
「こーやって、中の酒を全部飲んでしまうのでしたー。あ、お前のことは飲み込まないようにするから安心しろよ!」
食べちゃいたいくらい可愛い、って言うけど、ほんとに食っちまう趣味なんて、俺にはねえから!
けせけせ、という兄の独特な笑い声が部屋に響く。
「…なんでそこで俺が泣くんだ、みっとも無い」
「え?だってお前…」
日本酒飲むと、めっちゃ泣いちゃうじゃん。
何を言っているんだ、とでも言いたげに兄が答えた。
…何の…話だ?
「三年ぐらい前だったかなー。春の話だ。本田の家の庭の桜が綺麗だから見に来ないかって話が来て、フェリシアーノちゃんと俺とお前で行っただろ」
「…行った。確かに、行った」
「本田の花見料理?うまかったよなー。そんで、途中で本田が日本酒持ってきて、全員で夜までわいわいやってたら、お前突然泣き出しちゃって」
「俺が……何だって……?」
「だから泣き出したんだって。でかい図体でわんわん泣き出して、兄さん、兄さんもうどこにも行かないよな?とか言いながら俺に抱きついてきて」
「……」
作品名:小さい君。子供のような君。 作家名:カムロ