アパートの年越し
ピンポーンと高い音を出せば、ドアの向こうからバタバタ音が聞こえてガチャリと扉が開いた。
「いらっしゃいませ?」
首をかしげながら手嶋野を瀬々が出迎える。
「なんで疑問系? とりあえずお邪魔します」
「どうぞ~」
スーパーの袋を片手に、手嶋野は瀬々のアパートへ踏み入れた。
何度か訪れたことのある部屋のキッチンを抜けて、洋室のドアを開ける。手嶋野は目の前に広がっていた光景に絶句した。
どうかしたのかと気まずそうに背後から声を掛けてくる瀬々に、手嶋野は口を開く。
「…………なぁ、今日は何月何日だ?」
「えっと。十二月三十一日、です」
「そうだよな、大晦日だよな」
部屋の真ん中に陣取ったコタツの上には飲み終えたペットボトル、その周りに散らばる服や乱雑に置かれた教科書たち。ベッドは起きた後そのままに掛け布団が乱れており、脱ぎ散らかしたパジャマが乗っている。数は減ったものの、部屋の隅に置かれているタンス代わりのダンボールから衣類が顔を覗かせていた。
「こんな散らかった部屋で年を越せると思うなよ」
手嶋野の冷え切った声に、瀬々はヒィッと小さく悲鳴を上げた。
きっかけは冬休みに入る前、年越しの過ごし方や初詣の話になったときだった。
「え、お前、年末年始一人なの?」
「うん。ねーちゃんが旦那さんの実家に行くし、叔父さんにばーちゃんち誘われたけどえっと、きまずい? っていうので」
どうせならダラダラ過ごそうかと。
そこに居た何人かが気の抜けた声で告げる瀬々に掛ける言葉を探していれば、手嶋野が一番に言った。
「じゃ、一緒に年越しそば食おうぜ。年末、お前んち行くわ」
「へ?」
もともと、手嶋野の家は大晦日は親戚の集まりだったが高校生以上は友人と過ごしたいと集まりに参加しない親戚も多かった。一人抜けたくらいで困るような状況ではないだろうと判断した。
「ついでに初詣行けばいいだろ。どうせ、瀬々一人じゃ行かなさそうだしな」
決まり、と言い切って話を終わらせた手嶋野に瀬々は小さく礼を言った。
冬休みに入ってから弟妹を上手に使いつつ家の大掃除を進める合間に宿題をするという休みらしからぬ休みを過ごし、ようやく落ち着いて過ごせると思った矢先に訪れた部屋は、軽率に約束を取り付けたことを後悔させるのに十分だった。
「ほら、しっかり畳む。そのあと、ダンボールの中も整理して全部入れるぞ」
コートを脱がずに、散らばっていた服をかき集めて指示を指示を出す。
「は~い……」
低く下がったテンションの声に、手嶋野は苛立ちを見せないように口を引き結んで立ち上がる。そのまま部屋を出て、キッチンとユニットバスを覗く。余計なゴミはないが、予想通り掃除された痕跡はない。
「おい、水周りの掃除道具ってどこにあんの?」
「えー、キッチンの下の棚んとこにない?」
言われた場所を開けば、バケツに乱雑に入れられた洗剤があった。
キッチン周りを先に片付けて、後で瀬々に風呂とトイレを綺麗にさせるか。
この後の手順を考えて、手嶋野は洗剤と雑巾に手を伸ばした。
掃除が終わる頃には国営放送の歌番組は既に始まっており、手嶋野と瀬々は既にぐったりとしていた。テレビを点けてもちゃんと見る気力すらなかった。
「飯にするか」
「そうだね。さすがにお腹空いた」
重い身体を動かして、コタツから抜け出す手嶋野。
「つーか、この部屋寒くね? なんでストーブつけないんだよ」
「え、あー。灯油買い忘れて」
「は? 年末年始をストーブなしで過ごす気か!?」
「うーん、そうなるね」
どうしよっかとへらへらしながらゆっくり身体を抜け出す瀬々に手嶋野は、家族が戻ってきたら瀬々を家に呼ぶことを決める。
途中のスーパーで買ってきた食材を取り出すために冷蔵庫を開ければ、瀬々から戸惑った声が聞こえた。
「そばなら用意してあるよ」
「あ? まじで。さっき冷蔵庫覗いたときは見当たらなかったけど……」
冷蔵庫の中には買ってきたそばとつゆ、かき揚げとネギ以外にまともに食べられそうなものは見つからない。キッチンに顔を出した瀬々が差し出したのは、円形の何か。
「はい、これ」
テレビのコマーシャルでも良く見かける、インスタントのカップそばだった。しかも、どこで売っているのか分からない大盛りサイズ。
それを見て手嶋野は口元を引き攣らせる。
そばだし、間違ってはいない。一人暮らしだとわざわざそばを茹でるのは面倒臭い気持ちも分かる。しかし、年越しくらいはインスタントは食べたくなかった。
「俺が買ってきたのは生そばだから、今日はそっちでいいか?」
「ん、だいじょぶ」
瀬々はどこから取り出したのか分からないそれを、コタツの上に置いた。
「鍋借りるぞ」
「いいよー」
返事が来る前に取り出していた鍋に水を汲む。火にかけている間にそばとつゆを取り出す。一玉じゃ足りないだろうと買ってきたのは二人で三玉。入り口を適当に破いて開けて、ステンレス台に置く。
一人で過ごす部屋にしては広いキッチンに、ダンボールから取り出したばかりの深めの皿と椀を悠々と並べる。どんぶりなんてものは、この一人暮らしの部屋に存在しなかったので仕方ない。
お湯が沸いたところでそばを入れると、瀬々がにゅっと後ろから顔を出した。
「手嶋野、手際いいな」
「普通だろ。てか、危ないから下がってろ」
「えー」
しぶしぶの声を上げる瀬々を無視して、そばの茹で時間を確認する。適当なところで火を止めて、菜箸でそばを掬って深い皿へ。その皿のまま水で洗って適当な量をおわんに移した。
空になった鍋を水で洗うとつゆを入れてまた火に掛ける。
「もうちょっとで出来るから、かき揚げとネギを冷蔵庫から出して向こうに持ってってくれ」
「は~い」
そばつゆが温まったところで火を止めて、椀におたまですくう。丁度戻ってきた瀬々に箸と深い皿を持たせて手嶋野は椀を二つ持てば、コタツしか暖房器具のない部屋に戻る。
「いただきます」
「いただきますー」
湯気の立つ椀にネギを入れて、かき揚を割って入れる。テレビの歌番組は企画コーナーが始まっている。
「毎年これ見てんの?」
「うーん、もともとテレビ見ないからなぁ。去年は受験だったし。手嶋野は?」
「毎年親戚が集まってんだけど、ばーちゃんちのメインのテレビはこれだな。チビたちとか若い人らは別の部屋でお笑い見てけど」
「へぇ。なんかいいな、みんなでテレビ見てるのとか」
つゆをすすりながら言う瀬々の表情はどこか憂いが含まれていた。瀬々の家庭事情を知らなかったわけではないが、手嶋野は無自覚に地雷を踏んだかと褪せる。
「んじゃ、来年も見ようぜ。一緒に俺の親戚の家行っても良いだろうし」
「はは、何ソレ。本家にご挨拶?」
「ばーか」
くだらないことを笑いながら手嶋野もそばをすすった。
夜は更けて、めぼしいチャンネルも見つからなくなってきた時間帯に、瀬々はあくびを一つした。
「もう寝るか。つか、初詣はどうする?」
「んー、眠いし明日でも良いかなぁ」
「いらっしゃいませ?」
首をかしげながら手嶋野を瀬々が出迎える。
「なんで疑問系? とりあえずお邪魔します」
「どうぞ~」
スーパーの袋を片手に、手嶋野は瀬々のアパートへ踏み入れた。
何度か訪れたことのある部屋のキッチンを抜けて、洋室のドアを開ける。手嶋野は目の前に広がっていた光景に絶句した。
どうかしたのかと気まずそうに背後から声を掛けてくる瀬々に、手嶋野は口を開く。
「…………なぁ、今日は何月何日だ?」
「えっと。十二月三十一日、です」
「そうだよな、大晦日だよな」
部屋の真ん中に陣取ったコタツの上には飲み終えたペットボトル、その周りに散らばる服や乱雑に置かれた教科書たち。ベッドは起きた後そのままに掛け布団が乱れており、脱ぎ散らかしたパジャマが乗っている。数は減ったものの、部屋の隅に置かれているタンス代わりのダンボールから衣類が顔を覗かせていた。
「こんな散らかった部屋で年を越せると思うなよ」
手嶋野の冷え切った声に、瀬々はヒィッと小さく悲鳴を上げた。
きっかけは冬休みに入る前、年越しの過ごし方や初詣の話になったときだった。
「え、お前、年末年始一人なの?」
「うん。ねーちゃんが旦那さんの実家に行くし、叔父さんにばーちゃんち誘われたけどえっと、きまずい? っていうので」
どうせならダラダラ過ごそうかと。
そこに居た何人かが気の抜けた声で告げる瀬々に掛ける言葉を探していれば、手嶋野が一番に言った。
「じゃ、一緒に年越しそば食おうぜ。年末、お前んち行くわ」
「へ?」
もともと、手嶋野の家は大晦日は親戚の集まりだったが高校生以上は友人と過ごしたいと集まりに参加しない親戚も多かった。一人抜けたくらいで困るような状況ではないだろうと判断した。
「ついでに初詣行けばいいだろ。どうせ、瀬々一人じゃ行かなさそうだしな」
決まり、と言い切って話を終わらせた手嶋野に瀬々は小さく礼を言った。
冬休みに入ってから弟妹を上手に使いつつ家の大掃除を進める合間に宿題をするという休みらしからぬ休みを過ごし、ようやく落ち着いて過ごせると思った矢先に訪れた部屋は、軽率に約束を取り付けたことを後悔させるのに十分だった。
「ほら、しっかり畳む。そのあと、ダンボールの中も整理して全部入れるぞ」
コートを脱がずに、散らばっていた服をかき集めて指示を指示を出す。
「は~い……」
低く下がったテンションの声に、手嶋野は苛立ちを見せないように口を引き結んで立ち上がる。そのまま部屋を出て、キッチンとユニットバスを覗く。余計なゴミはないが、予想通り掃除された痕跡はない。
「おい、水周りの掃除道具ってどこにあんの?」
「えー、キッチンの下の棚んとこにない?」
言われた場所を開けば、バケツに乱雑に入れられた洗剤があった。
キッチン周りを先に片付けて、後で瀬々に風呂とトイレを綺麗にさせるか。
この後の手順を考えて、手嶋野は洗剤と雑巾に手を伸ばした。
掃除が終わる頃には国営放送の歌番組は既に始まっており、手嶋野と瀬々は既にぐったりとしていた。テレビを点けてもちゃんと見る気力すらなかった。
「飯にするか」
「そうだね。さすがにお腹空いた」
重い身体を動かして、コタツから抜け出す手嶋野。
「つーか、この部屋寒くね? なんでストーブつけないんだよ」
「え、あー。灯油買い忘れて」
「は? 年末年始をストーブなしで過ごす気か!?」
「うーん、そうなるね」
どうしよっかとへらへらしながらゆっくり身体を抜け出す瀬々に手嶋野は、家族が戻ってきたら瀬々を家に呼ぶことを決める。
途中のスーパーで買ってきた食材を取り出すために冷蔵庫を開ければ、瀬々から戸惑った声が聞こえた。
「そばなら用意してあるよ」
「あ? まじで。さっき冷蔵庫覗いたときは見当たらなかったけど……」
冷蔵庫の中には買ってきたそばとつゆ、かき揚げとネギ以外にまともに食べられそうなものは見つからない。キッチンに顔を出した瀬々が差し出したのは、円形の何か。
「はい、これ」
テレビのコマーシャルでも良く見かける、インスタントのカップそばだった。しかも、どこで売っているのか分からない大盛りサイズ。
それを見て手嶋野は口元を引き攣らせる。
そばだし、間違ってはいない。一人暮らしだとわざわざそばを茹でるのは面倒臭い気持ちも分かる。しかし、年越しくらいはインスタントは食べたくなかった。
「俺が買ってきたのは生そばだから、今日はそっちでいいか?」
「ん、だいじょぶ」
瀬々はどこから取り出したのか分からないそれを、コタツの上に置いた。
「鍋借りるぞ」
「いいよー」
返事が来る前に取り出していた鍋に水を汲む。火にかけている間にそばとつゆを取り出す。一玉じゃ足りないだろうと買ってきたのは二人で三玉。入り口を適当に破いて開けて、ステンレス台に置く。
一人で過ごす部屋にしては広いキッチンに、ダンボールから取り出したばかりの深めの皿と椀を悠々と並べる。どんぶりなんてものは、この一人暮らしの部屋に存在しなかったので仕方ない。
お湯が沸いたところでそばを入れると、瀬々がにゅっと後ろから顔を出した。
「手嶋野、手際いいな」
「普通だろ。てか、危ないから下がってろ」
「えー」
しぶしぶの声を上げる瀬々を無視して、そばの茹で時間を確認する。適当なところで火を止めて、菜箸でそばを掬って深い皿へ。その皿のまま水で洗って適当な量をおわんに移した。
空になった鍋を水で洗うとつゆを入れてまた火に掛ける。
「もうちょっとで出来るから、かき揚げとネギを冷蔵庫から出して向こうに持ってってくれ」
「は~い」
そばつゆが温まったところで火を止めて、椀におたまですくう。丁度戻ってきた瀬々に箸と深い皿を持たせて手嶋野は椀を二つ持てば、コタツしか暖房器具のない部屋に戻る。
「いただきます」
「いただきますー」
湯気の立つ椀にネギを入れて、かき揚を割って入れる。テレビの歌番組は企画コーナーが始まっている。
「毎年これ見てんの?」
「うーん、もともとテレビ見ないからなぁ。去年は受験だったし。手嶋野は?」
「毎年親戚が集まってんだけど、ばーちゃんちのメインのテレビはこれだな。チビたちとか若い人らは別の部屋でお笑い見てけど」
「へぇ。なんかいいな、みんなでテレビ見てるのとか」
つゆをすすりながら言う瀬々の表情はどこか憂いが含まれていた。瀬々の家庭事情を知らなかったわけではないが、手嶋野は無自覚に地雷を踏んだかと褪せる。
「んじゃ、来年も見ようぜ。一緒に俺の親戚の家行っても良いだろうし」
「はは、何ソレ。本家にご挨拶?」
「ばーか」
くだらないことを笑いながら手嶋野もそばをすすった。
夜は更けて、めぼしいチャンネルも見つからなくなってきた時間帯に、瀬々はあくびを一つした。
「もう寝るか。つか、初詣はどうする?」
「んー、眠いし明日でも良いかなぁ」