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まばたきする間

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 グリップを握る手が呼吸に合わせて上下する。花井は巣山のそんな様子を後ろから眺めながら、彼のシャツが汗でびしょぬれになっていることを思う。マシンから弾きだされたボールは時速百三十キロで巣山の懐に入りこみ、巣山はそれを正確に弾き飛ばしていく。センター方向から左方向へと散らばる白球を花井は次々と目で追う。
 遅れて暖簾をくぐったラーメン屋には、田島が一人でスポーツ新聞を読んでいた。すでに餃子の皿とどんぶりが空になっている。つけだれの皿は二皿置かれ、田島の正面の席の皿には箸が渡されていた。白い皿にラー油の赤い油の球がぽつぽつと浮かぶ。……巣山、お前が遅いからってもうラーメン食って出てっちまったよ。そう言う田島もラーメンを食べ終わったところらしく、空いた箸をもてあましてスープの中のもやしを食べることもなくつかまえてははなしてを繰り返している。くしゃくしゃに折りたたまれたスポーツ新聞を放りだし、ニュース番組を流しているテレビに目をやる。スポーツ特集と天気予報はまだだいぶ後だ。田島は鼻白んだ様子で壁際にたたまれたメニューを取り出し、お前なに食べるのと訊いてくる。……チャーシューメン。餃子は?それも。じゃ、俺豚の角煮。油でてらてらと光るメニューをさっさと折りたたみ、厨房に注文を叫ぶ。ライスを付けるのも忘れない。よく食うなあ。今日家に誰もいねーから。
 スポーツ新聞の一面は関西球団のサヨナラ勝ちを報じている。マジックの点灯は最短で明日と書いてあった。もうそんな時期かと思うが、まだまだ七月中旬に差し掛かったばかりである。今年は調子いいのな。っぽいね。出された冷やで喉を湿らせながらおしぼりで手をふく。首筋を流れる汗をぬぐいたかったが、さすがにそれは躊躇われた。田島は顎を手で支えてスポーツ新聞を見るともなく眺めている。……田島は、プロになるのか?
 最後の球が打ち損じになり、巣山は金属バットを足元に叩きつけた。畜生、と吐いて額の汗を手首でぬぐう。打ち損じた球が転々と転がっているのを見つめ、花井を振り返った。目を開く。いつからいたの。……三分前ぐらい。声掛けろよ、全然気づかなかった。シャツの、ボタンの外れたところから手で風を送りこみながら財布と携帯しか入っていない鞄を探る。なめした革がきれいな光沢を放っている財布を取り出して、ああ、と呻いた。小銭ねーわ。……まだやんの?巣山は無言で札を抜き取り、受付へと歩いていこうとする。花井は慌ててボトムのポケットを探った。ラーメンの釣銭が入っているはずだった。だが出てきたのは使えない小銭ばかりで、花井はてのひらのそれを見つめてしばらく呆然とする。
 そうじゃなかったらなんになるって言うの。田島は口の端で笑った。花井は驚いてしまって、もう声にすらならない。そんな顔で笑うのを見たのは初めてだった。真摯に見つめる目だって先程から寸分違わず花井をとらえていて、田島から逸らすこともできない。結局絡んだ視線は田島からほどかれた。そのタイミングで花井の餃子と田島の角煮が運ばれてくる。田島はラーメンのどんぶりに突っこんであった箸を手にとって、いただきますと声を張り上げた。それはいつもの田島に違いはなかった。
 ……巣山がさあ、言ってたよ、あんまりいじめんなって。……誰が、誰を。俺が、お前を。ひどい音がした。自分の肘が冷やの入ったグラスを倒したのに気づく。テーブルを滑る水は淵までたどりついて、花井のボトムを転々と濡らした。従業員が台拭きを持ってやってくるのに、すみませんと寄越しておしぼりでテーブルの上を拭く。餃子の皿を持ち上げてその下を拭いていると、まだ手をつけていないはずの餃子が一つ足りなくなっている。お前、食べた?うん。いつの間に。お前が、グラスを倒すちょっと前。
 キャプテン、なにぼうっとしてんの。慌てて顔を前に向けると巣山は再びバッターボックスに入ってグリップを握っている。何度かぐるぐると回して構えようとするのを、花井はじっと見つめ、手元に目を落とした。てのひらにじわりとかいた汗がつぶれたマメにしみた。バッティングマシンが起動し始める。弾きだされた白球は空気を裂いて巣山のバットの下をくぐり、花井の目の前のネットに突き刺さった。先程までの球速ではない。百四十キロは確実に出ていた。もしかしたらそれ以上だ。鮮やかな弧を描いて懐に飛びこんでくる。バットの上っ面に当たった球は短い音を立てて軌道を変える。はるか頭上のネットに当たって落ちた。くっそ、当たんねえなあ。一つ呟いて巣山はもう一度バットをぐるぐると回した。左手でまっすぐ持ったバット、その横からマシンを睨む。まばたきする間に目の前にきているボール。繰り出されるバット。金属バットがボールをはじく。キィンというすっとした音が夜のバッティングセンターに響く。ボールは左中間をライナーで伸びていく。白球がネットにぶつかって落ちたのを確認して、花井は呟いた。いじめられてるって、なんだよ。
 次の球に構えようとした巣山がこちらを振り返った。ちょうどそのときマシンからボールが吐き出され、ネットにぶつかって落ちる。無防備なバットは巣山の左手に握られたまま、地面に突き刺さった。巣山は鋭い目で花井を睨み、バットを目の前で握った。田島の野郎、と呟く。顎に垂れた汗をシャツでぬぐう。とっくに胸元も背中もシャツの色は濃くなってしまっていて、巣山の体が動くたびに重たくよじれた。ファールチップが、再びネットに刺さる。
 晴天を背にして、バッティングマシンから吐き出される百四十キロのストレートをことごとくヒットにしている。それも、いちいち方向を指定して実際にその方向に打ってしまうのだから性質が悪い。花井は田島の斜め後方で素振りをしながら畜生と思っている。今、この場で、田島と同じ芸当をしろと言われてもそれは無理だ。マシン相手と言っても百四十キロである。花井はコンスタントに打てる打者ではない。そう簡単には打ち返せない。花井はただひたすらマシンから吐き出される白球の軌道を思い描き、それを打ち返すイメージをするのみだ。センター方向に向かって、ただひたすら。プルヒッターなどと、もう言わせるつもりはなかった。
 見てて痛々しいんだよお前。最後の一球を打ち返した。ボールは転々と一塁方向に転がっていく。ファーストが飛びついていなければ、ツーベースヒットになるだろう。巣山はバットを置き、ネットをくぐる。そのまま花井を置き去りにした。花井は、じっとその場にうずくまって緑色のネットを、その向こうのバッティングマシンを見ている。てのひらで顔の汗をぬぐった。まつ毛に汗が引っかかっているのがくすぐったかった。と、頬に冷たいものが触れる。緑色のペットボトルだ。巣山は花井の手に緑茶のペットボトルを落としこむと、自分はスポーツ飲料のボトルを開けて、花井の隣に腰をおろした。あー、食った直後にこれはきついな。
作品名:まばたきする間 作家名:いしかわ