かじみちぱらだいす
外科医・森本の恋
森本光は病院を歩いていた。ここは明日付で着任予定の病院である。
病院内を歩く姿は堂々としている。森本は海外留学し、経験を積み重ねてきた。その実績は周囲からも認められている。今の森本には経験に裏打ちされた自信がある。
今日ここに来たのは、下見、というよりも、会いたいひとがいるからだ。
森本が海外留学するまえにいた帝都医科大学付属第三病院で出会い、最初は反感を持っていたものの、やがてこのひとのような外科医になりたいと憧れるようになった相手である。
今でもそのひとはフリーランスの外科医であり、紹介所からこの病院に派遣されているらしい。
早く会いたいと森本は思った。
会って、成長した今の自分を見てもらいたい。
そして、認めてもらいたい。
もうすぐ会える。
森本は胸の高鳴りを感じつつ歩く。
やがて。
見つけた。
森本に背を向けて立っている。
すらりと伸びた長くて美しい脚。あのうしろ姿は絶対に、彼女だ。
「大門先生!」
森本は歩く足を止めないまま、呼びかけた。
眼のまえにあるうしろ姿がほんの少し揺れた。それから、森本のほうを振り返る。
大門未知子。
やはり彼女だった。自分は間違えていなかった。
その顔を見て、森本の心は弾んだ。
未知子も森本の顔を見て、しかし、首をかしげた。
だれだっけ?という表情だ。
自分の顔を忘れられていることがわかって、森本は落胆した。
けれども、これが大門未知子なのだ。
忘れられてしまったのなら思い出してもらえばいい。
森本は未知子の近くまで行くと、その正面に立った。
それから、胸を張り、力強い声で名乗る。
「帝都医科大学付属第三病院で一緒だった森本です」
「……ああ」
少し間(ま)があってから、未知子は納得したような声をあげた。どうやら思い出したらしい。
会っていなかった時間の長さは、容姿にも変化をもたらす。
未知子は森本よりも六歳年上。
しかし、今も綺麗だ。
自分がひかれているのはその美貌ではないけれど。
帝都医科大学付属第三病院時代はたいして役にたたない助手でしかなかった自分。忘れられてしまっていた自分。そして、六歳年下の自分。
でも、勝負はこれからだ。
未知子に成長した自分を見てもらい、認めてもらうのだ。
森本はきりっとした表情になる。
「大門先生」
「ちょっと待って」
未知子は制止するように右の手のひらを挙げた。
「いちおう訂正しておくね」
「え?」
「私、今、大門じゃないの。加地未知子なの」
「え……」
名字が変わったということは……。
しかもその名字は……。
森本は頭の中が真っ白に近い状態になりながら、未知子に問いかける。
「まさか、加地先生と……」
「そう。結婚したんだ。男の趣味、悪すぎよね、私」
そう言うと、未知子は笑った。苦笑いのような、しかし、それでいて、やわらかい笑顔だった。
森本の恋は終わった。