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働くあなたに燃料を

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『かんぱーい!』
 居酒屋鳳翔大船駅前店にジョッキを打ち鳴らす音が響く。ジョッキの中にはビールが店内の照明を受けて黄金色に輝いている。
 私、軽巡ヘ級と夕張さんはそれぞれが持ったジョッキに口を付け、それをゆっくりと傾けた。爽やかな炭酸が喉を通り抜け、キンキンに冷えているはずなのに胃が熱くなる。
「あー、んめえなー」
 ジョッキをテーブルに起きつつ、夕張さんがしみじみとつぶやいた。
「夕張さん、おっさんくさいですよ」
「中身はおっさんみたいなもんだよ。あたしらだってもういい年だしね」
 大学時代に私より学年が一つ上だった夕張さんはもう来年で三十路になる。確かにいい年ではあるけど、おっさんと言うにはまだ早すぎる気がする。と思いたい。
「しかしヘ級と会うのも久しぶりだよね。前に会ったのってル級さんの結婚式のときだっけ?」
「そうですね。えーっと、ル級さんの結婚式は……去年のちょうど今頃でしたよね」
「もう一年経つかぁ。早いなぁ」
 戦艦ル級さんは私の二つ上、夕張さんにとっては一つ上の先輩に当たる。
 大学時代、私たち三人は同じサークルに所属し、その中でも特に馬が合ったから在学中は一緒に過ごすことが多かった。でも社会人になってからはなかなか時間が合わなくて、顔を合わせることも少なくなってしまった。
「つーかさぁ、ル級さんが結婚って、未だに信じられないんだけど」
「えっ、なんでですか?」
「だってあの人、学生の頃は男なんてまったく興味ないみたいな顔してたじゃん!」
「確かに、クソが付くほど真面目な人ですよね」
「でしょ! 就職してからも仕事一筋だったんでしょ?」
「ええ、そうでしたね」
 実際のところ、深海棲艦に就職してからのル級さんは仕事一筋なんて生やさしいレベルじゃなかった。ル級さんは入社後一年でエリートに、そこからさらに二年後にはフラッグシップにと、誰もが驚くほど異例の速さで昇進していった。その姿は仕事の鬼と呼ぶのがふさわしい。
「それが仕事の関係で? たまたま田舎の同級生と再会して? たまたま気が合って? たまたま付き合うようになって? たまたま結婚して? なんだよそれ! マンガかよ!」
「今時マンガでもそんなベタなのないですよね」
「ホントだよ! りぼんでもなかよしでもジャンプでももっと面白いマンガ載ってるわ!」
 夕張さんはジョッキに口を付け、喉を鳴らして豪快にビールを飲み干した。
「っぷはー! もう一杯!」
「あいあい」
 私は卓上に備え付けられている呼び出しボタンを押した。
「夕張さんは最近どうなんですか?」
「どうって?」
「鎮守府にだって男の整備員とかいますよね? 一緒に機械いじりしてるうちに仲良くなったりしないんですか?」
「うーん、まあ、そうねぇ……」
「お待たせしましたー」
 店員が足早に注文を取りに来た。
「生中一つとだし巻き卵一つ。ヘ級は?」
 私のジョッキはまだ半分くらいしか空いていない。
「じゃあ鳥の軟骨揚げお願いします」
「はーい、かしこまりましたー」
 来たときと同じようにさっさと厨房へと戻る店員。
「艦娘って女ばっかりだからさぁ、やっぱりそれ目当てで来る男はいるんだよね」
「なら出会いはいくらでもあるじゃないですか」
「でもそういう男ってすぐ辞めちゃうんだよね」
「あー……ブラックですもんね、この業界」
「お待たせしましたー生中でーす。空いてるグラスお下げしまーす。ごゆっくりどうぞー」
 店員が手早くジョッキを交換して足早に去って行く。その声と目は死んでいた。
 そういえばこの店もブラックで有名だった。
 居酒屋鳳翔。元々は元艦娘の鳳翔が立ち上げた小料理屋だったが、鳳翔には料理の才能だけでなく経営の才能もあったらしく、ここ数年で急激に店舗数を増やした居酒屋チェーン店だ。今や国内だけで二百店舗もあるらしい。
 しかしその急成長の裏には社員に対する過重労働の強要や非合理的な精神論の蔓延があった。そのため社員の過労死をきっかけとして労働環境の改善が社会問題化し、居酒屋鳳翔はブラック企業の代名詞と化した。
 その後、居酒屋鳳翔の経営陣もようやく重い腰を上げて労働環境の改善に乗り出したおかげで一時期よりはマシになったらしいけど、先ほどの店員の様子だと、まだ道半ばといったところだろうか。
 それでも改善しようという姿勢が見られるだけいい。私たちの業界なんてそんな気配まったくないんだから。
「それでも仕事が好きな人は残るし、仲良くしてる人もいるけど、男としては見れないんだよね」
「なんでですか?」
「そういう人たちってだいたい頭のネジがぶっ飛んでるんだよ。ヘ級だったら『どの電探が一番抜けるか』なんて話で盛り上がってるやつらと付き合える?」
「それは……ちょっと……」
「でしょ?」
「うん……」
 なんとなくいたたまれない雰囲気になって、二人してジョッキに口を付ける。
 ビールってこんなに苦い物だったっけ?
「ヘ級こそいい男いないの? 深海棲艦の提督ってイケメンらしいじゃない」
「確かにイケメンですし、優しいし、仕事も出来るんですけどねえ……」
「ならいいじゃない。何が不満なの?」
「だからこそ競争率が高くて、派閥まで出来ちゃって……今すっげえ職場の空気悪いんですよ。戦艦タ級さん派と空母ヲ級さん派で対立してて」
「そういうのあるよね、女子が多い職場だと」
「別に全員仲良くしろとまでは言いませんよ。気が合う人と合わない人は誰にだってありますしね。でもさぁ、もうみんな大人なんだからさぁ、もっとこう穏便にさぁ……ねぇ?」
「ヘ級も大変だねぇ……ちなみにヘ級はどっち派なの?」
「私はどっちでもない中立派なんですけど、これが余計に大変なんですよ……片方に肩入れしてると思われないように両方に気を遣わなきゃいけなくて。差し入れでお菓子とか飲み物を持っていくときがあるんですけど、どっちの派閥にも種類や数が同じになるようにしなきゃいけなくて……そんなのどうでもいいだろ! お菓子の数でケンカって子供かよ!」
 これが飲まずにやってられっか!
「もうやだこの職場……鎮守府に転職したい」
「ヘ級が来るなら大歓迎だけど、うちだって似たようなもんだよ? 女子ばっかりなんだから」
「ですよねー……めんどくせえなぁ、女って」
「だよねー……まあ、飲もう。今日は飲もうよ」
 夕張さんが呼び出しボタンを押した。いつの間にか私のジョッキも夕張さんのジョッキも空になっていた。
 空になったジョッキを見つめつつ、私は呟く。
「私もイ級ちゃんみたいに田舎に帰ろうかなぁ」
「えっ、イ級ちゃんってあのイ級ちゃん?」
「お待たせしましたー」
 店員再び。
「生中もう一杯」
「カシスオレンジ」
「はーい、かしこまりましたー。空いてるグラスお下げしまーす」
 イ級ちゃんは二年前に入社した新人だ。どんなときでも明るくて一生懸命でみんなに好かれていた、深海棲艦のアイドル的存在だった。色々な人に可愛がられていたと思う。
 しかしイ級ちゃんは数ヶ月前に退職してしまった。今は実家の農業を手伝っているらしい。きっとそこでも明るく一生懸命に頑張っているのだろう。
「あの子すごくいい子だったんでしょ? どうして辞めちゃったの?」
作品名:働くあなたに燃料を 作家名:ヘコヘコ